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(69) 「公安Kスパイ養成所」について 

(69)
D 様




雨がこの地から色を奪っています。
水の微粒子を含んだ空気がヴェールとなり、くすんだ景色を作っているのです。
ひっそりと佇む木々は、時折の水滴に葉を揺らし・・・物憂げです。

窓越しの雨音は、抑揚もなく単調で・・・
CDプレーヤーからのピアノの音には無関心です。

ついこの間の、あの光と熱の日々は、何処へ行ってしまったのだろう・・・、

私は、ぼんやりとコーヒーの湯気を見つめています。





さて、D様
前回の続きを書かせて戴きます。

島袋修氏の著書「公安警察スパイ養成所」 ー 。
この著書からは、公安Kの活動の一端を知ることができるわけですが、その内容をもう少し考察してみます。


まず、島袋氏が公安Kに在籍していた時代、氏の仕事は日本共産党(以下:日共)に対するるスパイ活動でした。
その内容は、いかなる手段をもっても、日共を洗いざらい調査するというものです。その為には、日共内部にスパイを作ることが重要となり、スパイ獲得に活動の重点が置かれています。

氏が受講した警察大学校での集中講義では、日共への敵愾心を抱かせるための、徹底した洗脳教育が行なわれました。そして、スパイ活動をするための具体的な手口の教示です。

島袋氏は著書の中に、その内容を70項目にわたり記しています。
その内容を大まかに分けると、以下のようになります。

1.日共についての講義
 (成り立ち、党の構成・党員数・活動内容・状況・スパイ対策、警察対策、等)
2.情報収集事項・方法・注意・心構え
3.拠点の設定(その位置・借り上げる場合の留意事項、等)
4.張り込み、尾行の方法(隠しカメラの撮影方法)
5.スパイ獲得の意義と方法・手順・注意・心構え・人選・謝礼金、等。
6.スパイへの調査依頼事項、及びスパイの管理について

島袋氏は、日共担当グループに分けられましたので、このような内容なのだと思われますが、
この講義内容から、公安Kの活動の一端を見ることができます。 

実際、島袋氏は、赤旗の新聞配達をしていた高校生をスパイに仕立て上げ、日共の重要な情報を得ていました。(この少年にはA-6という暗号名が付けられました。)

 ※スパイ獲得の方法は、相手を罠にかけたり、脅したり、親切ごかし近づいたり、金でがんじがらめにし・・・  まさに卑劣というしかない手段を用います。


A-6は、その後、長期間スパイとして活動するはめになったのですが、最後は自殺してしまいました。
島袋氏はそれについての、良心の呵責で、ずいぶん悩まれたようです。
そして、氏自身もまた、自殺を図ったのでした。

その後 ー。
島袋氏は、「公安警察スパイ養成所」を書いたわけですが、この中に以下の記述があります。

「退職して、私ははっきりと悟った。自分が警察時代に果たしていた任務は、人間から人間らしい気持を奪い、犯罪者を作ることであったと ー 。公安Kはペテン師集団、偽善者集団であった。」

氏は、在職時代には見えなかった公安Kの実像を、退職後に明確に見るに至ったのです。


さて、D様 ー。
公安Kでの、島袋氏の活動内容をもう少し追ってみます。

氏自身の日共への監視活動 ー その手口は不法であり、卑劣・悪らつでした。
共産党事務所へ侵入し、資料の窃盗などは、当たり前のように行なっています。

私が注目したのは ー、
「深夜トタン屋根をはがして忍び込み、資料を収集したこともある。」という記述 ー。
屋根をはがす・・・建物内に侵入するため、公安Kはここまでするのです。

D様 ー。
この手口には、「組織犯罪」との共通性があります。
現在、日本国中で被害が告発されている組織犯罪は、いかなる手段をもっても家宅侵入を図ります。
その目的は、ターゲットへの身体への危害、窃盗、飲食物への異物混入、物品の破損・汚染、害虫や不快虫の放散・・・被害内容から、そのように推測できます。

公安Kは、屋根をはがしてまで不法侵入する ー 島袋氏のこの著書がなければ、誰もが「まさか・・」と、一笑に付すことでしょう。しかし、事実として行なわれているのです。
勿論、組織員は、その痕跡を残さないスキルは身につけているはずです。

しかし、仮に、この組織犯罪の被害者がその痕跡を見つけ、
「誰かが屋根から侵入して来た」と言ったとしましょう・・・お分かりですね。精神疾患が疑われてしまうのです。

また、郵便ポストから、手紙を接着剤で釣り上げるという手口もありました。
(現在は、郵便局の中に協力者がいると言われています。)


更に、以下の記述もあります。
琉球大の日共支部が、火災にあった時のこと ー。
「焼け跡から出たゴミを、ハゲタカの如く素早く持ち去り、風呂場で内容を改めながら仕分け作業をした。」 ー というのです。  

この記述は、私にある出来事を思い起こさせました・・・。

1年半ほど前の朝のことです ー。
私は、ゴミを出すために、地域の集積所へと行きました。
そして、ゴミを入れて置くための小屋(・・と言っても、囲いに屋根を付けた程度) の網戸を開けました・・・。

「エッ? 何これ・・?」

私は、その異様な様子に驚きました。
そこには、ゴミの袋が10個ほど置かれていたのですが・・・線上に置かれたように乱れがないのでした。
一つ一つがきっちりと、隙間なく並べられているのです。

整然とし過ぎていました・・・。いつもの、乱雑に放り投げた感じではありません。

その頃、私はすでに、この組織犯罪の被害者であるという自覚がありました。
ですから私は、この状態の意味をすぐ悟りしました。

私が、何番目に集積所に来たかを見ていれば、どのゴミを出したかが分かります。
この組織犯罪において、ターゲットのゴミを調べるのは知られていることですが、
それが行なわれようとしたのでしょう。

私は、そこにあったゴミの位置を変えました。
自分のゴミを真ん中に置き、更に、それを含め、何度も袋を置き換えたのです。
自分でも、分らなくなったくらいに ー。
そして、何事もなかったように戻って来たのですが、その後、あのゴミはどうなったのか・・・。

集積所のゴミが整然としていたのは、後にも先にも、その時だけです。
住民たちには、どこから、どんな指示がなされたのか・・・それを思うと、私は暗鬱としてしまうのです。


また、氏の著書の中から、
「登録抹消されたナンバーを車に取りつけ・・」とい部分 ー。

この組織犯罪においては、車のナンバーによるアンカリングを訴える被害者が少なくありません。
私もそれは、何度か経験しています。

つい先日も・・。
車で、スーパーマーケットに向かっていた時のことです。
スーパーに行くためには、国道6号線を横断しなければなりません。私は、ほぼ毎回、赤信号で車を停止させます。その停止する位置の左側に警察署があります。

その日、私は交差点の赤信号を見て、速度を落としました。
すると、警察署の駐車場から赤い車が出てきました。
運転していたのは、マスクをした女性・・・車は、私の前に入りました。

信号待ちの間、私は、その車のすぐ後で停止することになりました。
否が応にも、ナンバーが目に入ります。

その車のナンバーは・・・「4273」でした。
語呂合わせをすれば、「死になさい」でしょうか・・・。

D様 ー。
これは、偶然なのかも知れません。私がナーバスになっていることも否定しません。
しかし、この犯罪の被害者は、このような経験が多いのです。

2ヶ月ほど前、国道を走っていた時も・・・、
気が付くと、私の車のナンバーと、全く同じナンバーの車が、すぐ前を走っていたことがありました。
ゾロ目でも、左右対称でもないランダムなナンバーですが、ピッタリと合っていたのです。


また、4~5年前になりますが ー。
高速バスの駐車場に車を置いて、出かけた日のことです。

そして夜、
私は、帰りのバスを降りて、駐車場に行きました。
そして、置いてあった車のドアにキーを入れました。
しかし、キーが入りません・・・。何度も入れ直しましたが、同じでした。

「おかしいな・・・?」

私は、車を見直しました。
薄明かりの中に見えるのは、ダークグリーンのホンダの車・・・ナンバーも間違いありません。
私の頭は、混乱しました。

私は、呆然と辺りを見渡しました。
周囲には、まだ何台もの車が停められています。

「アレッ・・?」
私は、斜め後方に停まっている車に気付き・・・驚きました。
その車も、同じナンバーを付けています。
色も車種も同じ・・・。

私は、その車のところに行き、ドアにキーを入れてみました。
・・・それが、私の車だったのです。

「こんな偶然があるなんて・・・。」

私は、狐に包まれたような思いでした。

当時、私には、この組織犯罪の被害者である自覚はありません。
しかしこれは、この犯罪の手口と共通していますし、ほかの件も鑑みれば、加害行為はすでに始まっていたと考えられます。

それにしても、加害行為に都合のいいナンバーがよく手に入れられるものだと・・・被害を自覚した後、私は、その方法に思いを巡らしたものでした。

登録抹消されたナンバープレートを車に付ける・・・島袋氏の著書の記述です。
氏が公安Kも在職していたのは、昭和49年から59年までの10年間ですから、活動はその時代の技術レベルで行なわれたのは当然のことです。

しかし、25年以上も経った現在は、そのレベルは飛躍的に向上しているはずです。
車のナンバープレートを偽造するくらいのことは、簡単だと言えるでしょう。
車のナンバーによるアンカリングは、容易に出来るのです・・・。


また、氏の著書には ー、
郵便ポストから、手紙を接着剤で釣り上げるという手口もありました。
現在は、郵便局の中に協力者がいると言われていますし、私自身もそうとしか思えない体験をしています。


D様 ー。
現在の公安Kの活動においては、島袋氏の時代にはなかったハイテク機器が使用されているのは当然です。
例えば、携帯電話ひとつにしても ー その当時はまだ一般的ではありませんでした。
しかし、飛躍的に普及した現在においては勿論、活動に駆使されていることでしょう。

人工衛星からの監視カメラの精度は25年前の比ではないし、街中や道路際の至る所に、監視カメラが設置されています。そして、盗撮用カメラの小型化、盗聴器や音声発信機器の進化、脳内チップ・・・。
また、携帯電話や車のGPS機能による、持主の現在位置の把握 ー 。

つまり、島袋氏の時代のスパイ行為の内容は、現在のハイテク機器が取り入れられた内容とは、雲泥の差があると言えます。国民を監視するための機能は、より高度にシステム化され、その態勢は磐石なものに進化しているはずです。

外に出れば、監視カメラ、携帯電話や車にはGPS機能・・・家にいればハイテク機器による盗聴、盗撮 ー。
また、銀行口座、ネット上の通信販売、クレジットカードの使用履歴、携帯電話の発着信履歴・・・対象者の経済状態や購入品の詳細、何日何時にどこにいたかまで、秒単位で筒抜けです。

国民のプライバシーは、無きに等しいと言っても過言ではありません。

それらのハイテクシステムを掌中にし、活動しているる組織が、カルト的な狂気に蝕ばまれているとすれば・・・震撼とせざるを得ません。


今、日本各地から、組織犯罪の被害が告発されているのは、紛れもない事実です。
そして、公安Kという組織が、現在、何をしているのか・・・明確にされてないのも事実 ー。

島袋氏の著書から垣間見えるこの組織の異常性・・・。
それが、ハイテク機器を手に入れ暴走している ー との疑念を持つのは、私だけではないはずです。




D様ー。
私へのインターネットや電子メールへの妨害がひどくなっています。
先日も、メールが送信できない状態になりました。
何度やっても送信不可・・。


でも、私は書き続けます。
不順な天候の折、ご自愛くださいますよう ー。



2010.9.16
万 留 子

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(68) 「公安K」と「黒い手帳」 

D 様



真夏が重い腰を上げたようです。
台風に急かされたのでしょうか・・・?

昨日、今日と空を薄い曇が覆っています。
空気は、水の微粒子を含み、遠くの景色はグレーの紗をかけたような色合いです。
風もまた、程よい湿気を含み、植物たちを穏やかに揺らしています。

光と熱と湿気と汗と・・・そんな、やりきれない夏の午後は遥かに遠い日のような・・、
涼やかでゆるやかな時が流れています。

遠く聞こえる車の音は、静けさをより際立たせ・・・、
聞こえなくなった蝉の声もまた・・・。

私は、家路を急ぐパルの足音に耳を澄ませています。




さて、D様 ー。
前回の続きを書かせて戴きます。


前回は、島袋修氏の著書「公安警察養成所」より内容を抜粋し、公安Kの活動の一端を考察しました。
私は、この著書について、前回のうちに一気に書き終える予定でした。
しかし、予定の通りには行きませんでした。

その原因は ー。
異常な睡魔です。パソコンに向かったり、読書を始めたりすると、強烈な眠気が襲ってきます。
以前から経験してることなのですが、最近とみに激しくなりました。
それは「居眠り」と言うより、一時的に「気を失う」という表現が適切かも知れません。

睡魔の前兆は ー、
喉の粘膜が、乾いていくような違和感です。
それと同時に、体全体を包むかのような微かな電子音・・・。

ハッと気が付くと、15分くらいが経っています。
一瞬のうちに時間が飛んでしまったような感覚・・・自分の体調を考えれば、有り得ない「居眠り」なのです。

前回は、それが繰り返され、作業能率が著しく低下した状態になりました。
やむなく記事を、2回に分けることにしたのです。

今回、私は ー、
その「居眠り」を防ぐための工夫をしてみました。
夜、記事を書く間、網戸の外に扇風機を置いたのです。外の新鮮な空気が、常に自分に当たるようにしました。
すると、夜気がほどよい涼風となり、なかなか快適なのでした。
功を奏したのか・・・不自然な睡魔からは逃れられました。


というわけで ー、
前回、書けなかったことの中から、「公安警察スパイ養成所」の著者について書かせて頂きます。

まず、島袋修氏がS会信者だと言うことを書かなければなりません。
それは、この著書の後半部分で、彼自身が書いています。

島袋氏は、警察を退職して10年後に、自殺を図ったのですが、その時の遺書がこの著書の中に載っています。
その遺書の文中に、I会長に心酔している記述があるのです。

結局、その自殺は思い止どまるのですが・・・、
自殺を思い止まらせてくれたのも、氏は「御本尊様」だというのです。



さてD様 ー。
私は、この組織犯罪に、S会が加担していることは間違いないと思っています。
この犯罪の実態を知るにつれ、その確信は深まっています。
主体は「公安K」ですが、最も密接に繋がっているのがS会で、その関与度は、様々な協力者たちの中でも、
群を抜いて高いはずです。それは今や、シャム双生児のように、切り離すのが至難な状態になっていると ー。

長い自公政権の間に、S会が、政治の中枢部分にまで入り込んでしまった結果です。


連立政権の間に、自民党はK党の言いなりでした。
矢野絢也氏の著書「黒い手帳」の中には、その実態が生々しく書かれています。
それは、日本の政治が、あのI名誉会長の意向に左右されていたということです。

矢野氏のこの著書の中に、下記の記述があります。。
「『天下を取る』『創価王国をつくる』 - このI名誉会長の政治的野望は、現在、既に半ば達成されていると言ってもいいかも知れない。現在の自公政権は、K党に振り回されており、K党主導といってもいい状況にあるからだ。」

そして、矢野氏は、福田内閣での一例を挙げています。
平成20年、福田康夫首相(当時)は、秋の臨時国会の日程を決めようとしていました。
福田氏は、「新テロ特措法改正案」の成立に万全を期すため、国会を「8月末召集、会期90日間」と予定しました。

しかし、K党は「9月末召集、会期60日間」を、強硬に主張して来たのでした。
K党の狙いは、会期を遅く、短くすることで、矢野氏の国会招致を阻むというものでした。(矢野氏は、S会とK党の内部を知り尽くしており、証人喚問が行なわれれば、S会が大きなダメージを打けることは必至でした。)

K党の要求に、福田氏は譲歩し、国会は「9月11日召集、会期70日間」と決定しました。

しかし、K党はさらに横槍を入れ、「福田首相の所信表明を9月29日にせよ」と要求してきたのでした。
これは、国会は9月11日に召集しても、29日までの間、首相は何も出来ないということです。
K党はあくまで、最初の要求「9月末召集」を押し通そうとしたのでした。

福田氏は、激怒の挙げ句、K党から要求があった翌日に辞意を表明したといいます。


更にK党は ー、
次の麻生内閣にも、衆議院の早期解散を要求して来ました。都議選の日程を鑑みた要求でした。
K党にとって都議選は、国政選挙に匹敵する重要な位置付けになっているのです。

矢野氏は ー、
「・・・学会本部が東京にあることに加え、日本の人口の一割を占める首都圏での権力を持つことには大きなメリットがあるのだ。」
「S会のお膝元である東京で、I先生と組織を守るためには、警視庁など行政への影響力を常に保持しておく必要がある。」 と書いています。

東京都民が、議会に無関心で、選挙率も低いまま ー という状況の中で、S会は日本の首都に置いて、ジワジワとその存在領域を広げ、都政の中枢にくい込んでいるのです。


さて、K党はー、
麻生首相になっても、要求を出し続けました。

「黒い手帳」の中には、国民新党の亀井静代表代行が、長野県での講演において、
「麻生政権は、解散や国会招集日まで、S会の言いなりだ。」と、指摘したことが書かれています。

更に、亀井氏は ー、
「K党が、矢野絢也氏の証人喚問に反対するなら、国民新党への選挙協力をすると持ちかけてきた」 
と暴露しています。


D様 ー。
自民党は、選挙協力の際にも、K党に主導権を握られていたのです。
「黒い手帳」には、そのエピソードが書かれています。

平成19年7月の参議院選挙の時のこと ー。

「私(矢野)の知人が、ある自民党候補の選挙事務所を訪ねて、愕然としたと話していた。自民党の先生を応援しているその人によれば、昔なら、地元の名士や農協職員、町内会の会長さんといった伝統的な自民党支持者が、活動を仕切っていたのだが、この時、そういう人たちは、片隅で小さくなっていた。
 代わって存在感を示していたのは、公明党の議員や学会のお偉方、学会員さんたちだった。彼らは活発なもので、『比例区の票、K党に頼むよ』などと、露骨な会話が交わされていた。」・・・というのです。

挙げ句は、選挙協力の見返りとして、学会員から自民党候補者に対し、後援会名簿の提出まで求めた例があったのでした。矢野氏は、「選挙事務長は、憮然とした表情でその話しを聞き、自民党系の支持者たちは、居心地が悪そうに、俯いて座っていた」と書いています。

自民の候補者は、
「自分が当選し、かつ結果として、自公合わせて政権維持ができるのだから」と、自分を納得させ、
「少々お辞儀をさせられようが、無理難題を言われようが、平身低頭してでも学会票を手に入れたいと思う」・・・
とまで言ったのでした。


D様 ー。
自公連立政権の間に、S会は日本の政治の主導権を握っていたのです。
震撼とせざるを得ません・・・。

そして、このバックグラウンドで、S会が警察へも影響力を強めていったことは、想像に難くありません。
それは、S会にとって大きなメリットとなります。

(都議会で大きな発言力を持つK党は、警視庁に対しては、以前から「力」を発揮していました。東村山市の朝木議員の不審な「転落死事件」への、おざなりな捜査はそんな背景があると言われています。)


そして、2008年3月に、妙観講の女性信徒2名が逮捕された事件 ー。
この事件は、S会信者の家に、この女性たちが侵入して、仏壇の御本尊(と書いた紙)を、鋏で切り、
無理やりこのS会信者に脱会届を出させたというものです。
(※「妙観講」とは、日蓮正宗の信徒集団で、S会が敵視している団体 ー。)

しかし、週刊新潮で報じられた記事によれば、真相は違うようです。
このS会信者は、納得の上で、脱会届けを書き、自分自身の判断で御本尊にハサミを入れたというのです。
(そもそも、他人の家のハサミのある場所を、訪れた婦人たちが知る由もなく、週刊新潮の記事には信憑性があります。)

この女性宅を訪れた婦人たちは、快く家に招き入れられ、帰る際も、自分たちの住所や連絡先を記した紙を渡しているという事実も ー。

警察が介入するまでもない出来事でした。
これが事件化した背景には、K党の議員OBの暗躍があったと言います。

「支援する会」の調べによると ー 。
K党の都議経験者が、管轄の野方署に対し、この出来事の立件を依頼した事実が浮かんで来ました。

週刊新潮には、捜査関係者の証言として、
「事件の告訴が、学会側から出された直後の平成19年11月に、藤井富雄氏(K党幹部)が野方署に来訪し、『この告訴についてよろしく頼む』と圧力をかけた。」 - との記事が掲載されています。

結果、警視庁はこれを事件化し、「妙観講」の二人の婦人を逮捕したのでした。
S会の意向が、警視庁に影響を及ぼしていることが分ります。
事件が揉み消されたり、デッチ上げられたりしているのです。


さて、D様 ー。
公安KとS会の協力関係ですが ー。
この関係は、双方にとってメリットがあります。

S会は、公安Kの組織内に影響力を持つことが出来ます。
また、公安Kは、全国にネットワークをもつ巨大な宗教法人を取り込むことにより、その統治システムを磐石にし、より有効に機能させることが出来ます。

公安Kに協力しているのは、S会の「広宣部」という特殊部隊が考えられます。
(矢野氏は、この特殊部隊から、壮絶なストーカー行為を受けたのです。)

「黒い手帳」には、以下の記述があります。

「実をいうと、私は公明党の幹部を務めていたときから、学会内に監視・尾行を行なう『特殊部隊』存在することをうすうす気付いていた。反学会的な記事を書くジャーナリストなど、反学会勢力に対する細かなデータが上がってきたものだった。」

この特殊部隊の「広宣部」は、昭和63年頃、男子部の秘密組織として誕生したといいます。
結成の目的は、S会と対立関係にある「顕正会」の実態把握でした。

東京第九総合本部の男子部幹部が、その活動をS会幹部に報告したところ、大喜びされて、組織が編成されたとのことです。その後、「広宣部」は全国に広がり、組織化されていったようです。

この特殊部隊に関しては、多くの人が証言しているのですが、元S会員で、この「広宣部」の組織員だった男性が、ある裁判において陳述書を提出しています。

それによると、「広宣部」は、盗聴・盗撮・尾行・対象者の交友関係の調査・郵便物の抜き取り・怪文書による攻撃・対象者のゴミを持ち帰っての情報収集・・・などの諜報活動を行っていたと言います。当初は、「顕正会」の実態把握でしたが、その後、対象が「妙観講」に変わり・・・現在は、さらに広げられていることが推測されます。

D様 ー。
私は、このような組織が、宗教法人の中に作られていることに驚愕します。
敵対する者は、どんな卑劣な手段をもっても攻撃するという異常さは、かつてのオウム真理教を彷彿とさせるではありませんか ー。

そもそも、このS会には、宗教法人としての清廉な品格というものがあるのでしょうか?
高潔・慈悲・寛容・自制などの心が・・・。

このS会が政権の中枢にまで入り込み、日本の政治を牛耳っていた・・・私はその事実にゾッとするのです。
また、公安Kとの癒着 ー それは、この組織をより傲慢にし、増長させているはずです。



D様 ー。
「公安K」と「S会」を二つの円に例えてみます。
当然、二つの円は全く重なっているわけではありません。
二つの円の一部が重なっているのです。

私は、この重なった部分で組織犯罪が行なわれていると考えています。
つまり、公安Kにしても、この犯罪に関わっているグループは、そのうちの一部署のみです。
部署ごとの機密は、他の部署には洩らすことはありません。組織員には、徹底した教育がなされているはずです。

S会の特殊部隊は、この二つの円が重なった部分で、この組織犯罪における最もダーティな部分に関与していると考えられます。そして、一般信者も動員され、協力させられているはずです。

しかし、D様 ー。
S会信者が一丸となって ー というのではありません。

私は、一般の信者は犯罪の全容を知らないままに、パートを受け持っていると見ています。
信者たちは、言われるがままに、何でもするはずです。世の法律よりも、道義よりも、自分自身の良心よりも・・・信者が優先するのは、教義であり、教団の指示なのですから ー。

それは、オウム真理教を鑑みれば明白です。
オウム信者たちは、麻原教祖は偉大なグルである・・・と信じて疑いませんでした。
麻薬患者のように、その教えに心酔していたのです。信者たちが何よりも優先するのは、グルの教えでした。
そして、その信仰心は、たやすく事件に利用されてしまいました。

犯罪の全容を知るのは教団幹部だけで、信者たちは洗脳され、思考力を奪われ・・・狂気に陥った教団をただ支えていたのです。

そして今 ー、
「公安K」と「S会特殊部隊」・・・この二つの円が重なった部分で行なわれている犯罪は、オウム真理教と変わることのない狂気が支配しています。その規模はオウムの比ではなく、また、より悪辣に巧妙に行なわれています。多くの被害者がそれを告発しているのです。



さて、D様 ー。
S会の信者である島袋氏が、この組織犯罪に関与していたかどうかについてですが、
私は、その可能性は低いと考えています。

島袋氏は、確かに、S会信者であると同時に、公安Kの組織員でもあったわけですから、私の論から言えば、
この犯罪に最も近い位置にいることになります。
しかし、著書の内容を鑑みて、氏がその活動をしていたとは思えないのです。

島袋氏は公安Kにおいて、日本共産党に対する諜報活動を担当していました。
その活動内容は著書に書かれており、公安Kの組織形態からすれば、組織犯罪に関わる余地はありません。
また、S会の特殊部隊への組み込みも、物理的に無理だと思われます。

つまり島袋氏は、二つの円が重なる部分にはいなかったのです。

また、島袋氏が公安Kを辞めるまでの経緯と、その後の氏の境遇・・・そして、この「公安警察スパイ養成所」を書いたという事実は、どうしても組織犯罪に関わったというイメージに結びつかないのです。

前回に書きましたが ー、
島袋氏が受けた警察大学校での講義には、全国から40名が集められました。
内訳は、「日本共産党・民生同盟」担当が10名、「極左」担当が13名、「警察内の共産党スパイ摘発」担当が6名・・・残りの12名の任務は、「今を以っても分らない」と島袋氏は書いています。

私が注目するのは、この「12名の任務」です。
私は、この極秘にされている任務が、この組織犯罪に関わってくるのではないか・・・と考えているです。
公安Kの最深部で行なわれているこの組織犯罪は、受任者以外に知らされることはないはずです。

いずれにせよ、今回、島袋氏の著書を取り上げたのは、公安Kの活動の一端を知るためであり、その面からこの著書は読むに値すると考えたのです。


 ー というわけで、この「公安警察スパイ養成所」の内容を前回に続き、考察してみたいと思いましたが・・・
 前置きに紙幅を取り過ぎてしまいました。次回の前半部分で書かせて頂くことをお許し下さい。





D様 ー。
今日の初秋の爽風が、あなたに届きますように ー。
ご自愛下さい。


                                      2010.9.9
                                         万 留 子


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(67) 「あるブログ」と「公安Kスパイ養成所」

D 様




連日の猛暑・・。
この地にも、強い陽射しが降り注いでいます。

でも、真夏とは違う乾いた風・・・。
裏庭の木々が、サワサワと落ち着かぬ気に揺れています。

それはまるで、私に届かぬ言葉に苛立っているような・・・。

ほら、アソコだってば ー。
早く行ってあげて。

木々たちは、知っているのかも知れません。
パルの居場所を・・・。

私は、木々たちを見つめ、その声を聞こうとしています。




さてD様 ー。
唐突ですが・・・ 筆跡というものは、まず変えられないものです。
文字を覚え始めた頃から培われてきた、自分なりの字の形は、変えようと意識しても、つい癖が出てしまいます。

例えば、「あ」の文字を百人に書いてもらえば、全部が違う「あ」になるはずです。
同じ文字ですが、その書き方は百人百様です。

また、人の筆跡を真似しようとしても、それは至難のことで、
真似した文字の中にも書き手の癖が出てしまうものです。

文章にも、同様のことが言えると思います。
例えば、太宰治の小説は、太宰の文体で書かれています。
全く違うテーマの作品でも、太宰特有の文体は隠しようもありません。

それは、三島由紀夫にも、芥川龍之介にも、夏目漱石にも・・・そして、村上春樹にも言えることで、
その作品の文体には、作者の息遣いが流れ、誰かが真似ようとしても無理なことです。

文豪たちに限らず、一般の人たちにも同様のことが言えると思います。
毎日綴る日記は、書き手それぞれの「文体」があるだろうし、手紙などにもしてもそうです。その人なりの個性は出ています。勿論、インターネット上のブログ記事なども例外ではありません。

文章には、書き手が無意識に放つ「匂い」のようなものがあるのです。
意識するしないに関わらず、それが出てきます。


さて、D様 ー。
私は、4,5日前にあるブログを訪問しました。
私のブログの訪問者履歴にあったサイトを訪れてみたのです。
今年の6月に開設した新しいブログでした。

そして、記事を読んでいるうちに、妙な既視感に捉われたのでした。
どこかで読んだ文章・・・そんなはずはないのに・・・。

どこで・・・?

やがて、それは、あるブログ記事の文体に酷似していることに気付きました。
書いてある内容は、全く別のものです。ポジティブに生きていこうとする記事でした。
しかし、その文章は、かつての「匂い」を放っていたのでした。


さて、D様 ー。
私は、前々回に、ブログ「キャプチャーされる日々」について書きました。
このブログは、突然、閉鎖されてしまったのですが ー、

ブログ主は、私に対し、そんな事態になることを恐れるかのようなコメントを残していました。
「自分の意思でブログを閉鎖することはない。もし閉鎖された時は、このコメントと共に(私のブログ内に)記事を載せて欲しい。」と ー 。

そして、ブログ主が予想していた通り、ブログは閉鎖されました。
私は、自分のブログのサイドバーで、連絡のコメントをくれる様にと呼びかけました。
・・・が、ブログ主「たつ」さんからの連絡はありませんでした。

そこで私は、約束通りに、自分のブログ内に、その経緯と当該記事を掲載しました。
読者からは、「たつ」さんの安否を憂慮するコメントも寄せられたのでした。

それから、約半月 ー。
何気なく訪問したブログ・・・。
その記事の文体に、私は「キャプチャーされる日々」と同じ「匂い」を感じたのです。

私は、しばし、その画面の文字を追いました。
記事は、全く違う内容・・・。
しかし、ふとあるキーワードに気付きました。

たつさんの以前のコメントにあった下記の一文・・・。
「私は元々、学生時代に、精神医学関連の本を多少読んでいました。」

そして、今回訪問した記事の中には ー、
「・・・一般的に、それは欲求と呼ばれている。フロイトはこれをリビドーという言葉で表した。」

開設したばかりで、それほど多くない記事の中に、共通する内容があったのでした。
また、文の繋ぎ方、終わり方などにも・・・。


D様 ー。
私は、文章の専門家ではないし、同一人物であるとの断定はしません。
穿ち過ぎの可能性も否定しません。
いずれにしろ、これ以上の詮索はしないつもりです。

ただ、「たつ」さんが、元気な日常を送っていることを祈りたいと思います。


**********************************************



さて、D様 ー。
前回の続きを書かせていただきます。

公安Kという組織に付いてですが、
前回は、その活動の実態は、国民には知らされていないことを書きました。
だから、予算の使途を詳細に検証する必要があると ー。

実態の解明には、予算面からの検証の他に、内部告発を誘発していくことも有効です。
告発者自身の罪は問わないことと、そして身元の秘匿を保障した上で、受け付ける態勢を整えるのです。
非合法な活動に疑問をもっている組織員は、必ずいると思われます。


現時点でも、何人かの公安OBが、内部告発を行なっています。
島袋修氏もその一人です。


島袋氏は、元沖縄県警の警察官です。公安課に所属していました。
(正式には、「県警察本部・警備部・警備課調査一係」 ※諜報専門の部隊とのことです。)

氏は、上記の部署に10年間在職していました。
そして、退職後に、その活動内容を綴った「公安警察スパイ養成所」(宝島社)を出版されました。
その内容は、詳細で衝撃的です。


島袋氏は、この著書に、在職中の活動内容を書き綴っていますが、
まず、公安の組織員として特別教育を受けた時のことを取り上げてみたいと思います。

その教育は、警察大学校(東京中野区・当時)で行なわれました。
全国の公安所属の警察官の中から選ばれた組織員が、「警備専科教養講習」という集中講義のために集められたのです。この教育を受けるのは、公安所属の中でも、特に優秀な者だということで、沖縄県警からの参加は、後にも先にも、島袋氏が知る範囲では、氏自身一人だけということです。

島袋氏は ー、
「・・・ところが警察大学校に入校して驚いたことには、この『警備専科教養講習』とは、戦前の『陸軍中野学校』に準ずるようなスパイ養成講座だったのだ。」 と、この著書の中で言っています。


この一文にある「陸軍中野学校」とは ー、
大日本帝国陸軍の軍学校で、諜報や防諜、宣伝など秘密戦に関する教育や、訓練を目的として、
昭和13年に開校されたものです。

その教育内容は、諜報、謀略、防諜などの、秘密戦に関連する講義と実践でした。
以下に、それを説明してみます。

「諜報」とは、情報を収集のこと ー 。
内外の情勢を掌握し、どのような事態に遭遇しても、迅速・的確な意思決定が求められます。

「謀略」とは、敵を欺く情報操作や宣伝のことで、敵を孤立・混乱させたりする目的で行なわれます。

「防諜」とは、敵が仕掛けてくる諜報、謀略を探知し、それを逆利用し、偽の情報を流して敵を混乱させることです。                                    (参考資料:ウキペディア)


学生たちは「名誉や地位を求めず、日本の捨石となって朽ち果てる」という信条や、汚く卑怯ともいえる諜報活動をするからこそ、「至誠」の心を、強く持つよう教育されました。言わば戦争前夜 ー 大日本帝国憲法の下で、軍国主義が暴走していた時代の、特殊任務の軍人教育です。


島袋氏は、戦後から36年も経過した昭和56年に、「警備専科教養講習」を受けたわけですが、それが、この「陸軍中野学校」に準ずるスパイ養成講座だった ー と言うのです。

何の為に・・・?
それは、「国民を対象とするスパイ行為」を実施するためです。

「警備専科教養講習」ー 島袋氏がこの講習の受けた時の受講者は40名でした。
担当の内訳は、「日本共産党・民生同盟」担当が10名、「極左」担当が13名、「警察内の共産党スパイ摘発」担当が6名・・・残りの12名の任務は、今を以っても分らないと、氏は言います。

※日本の警察機構において、「諜報活動」と「情報収集」の現場を統括指揮するのは、警察庁警備局公安一課で、通称「第四係」と呼ばれています。この「第四係」は、内部の隠語では「桜」と呼ばれていました。現在は「ゼロ」とのこと ー。

以下は、島袋氏の著書の一文です。
「われわれ『裏の公安』は、面が割れては仕事にならない。『桜』たちは、警察署に出署することもなく、特別な拠点を設けて任務に精を出す。一般の警官とは生息地が違うのである。」

また、
「『現代版中野スパイ学校』で私は、徹底的な洗脳を受けた。」との記述も ー。

その中には、日本共産党に対する徹底した敵愾心教育がありました。
常に、日本共産党への敵対意識を持ち、戦う姿勢を示すことが要求されたのです。

教官は、
「日共を倒壊することは、国民の利益であり、そのためには違法行為も辞さない。」
「日共の言う国会(武力革命を放棄し、国会を通して民主的に共産主義革命を達成するという平和路線)とは、国民に対しての欺瞞手段である。」
・・などと、受講生たちに叩き込んだと言います。


D様 ー。
私は、コミュニストではないし、日共支持者でもないのですが、何もここまで力まなくとも・・・と思ってしまうのです。これは、戦前の「特高警察」が、共産主義者を弾圧したのと同じではありませんか ー。
この民主主義の国において、思想・信条の領域にまで警察が入りこむことが、許されるはずもありません。

公安Kの理屈は ー、
「日共の本質は、暴力革命を目指す組織だということである。現在、外に対しては、『自由と民主主義』を標榜しているが、それはあくまで欺瞞であり、言葉の上のことである。本質は全く変わっていない。」

そして、公安の予算の半分が、日共対策に使われていると言うのです。
いやはや・・・と言うしかありません。

鈴木邦男氏は著書「公安化するニッポン」の中で、
「・・・この謎めいた公安の理不尽な活動は、自らの予算を拡大させるための方便、自らの利権のことしか考えていない輩たちなのではないか ー。」と言っています。


さて島袋氏は、この警察大学校の「警備専科教養講習」で、
国民が対象となるスパイ技術の手法を叩き込まれたわけですが ー 、

その中には、CIA長官の下記の言葉もあったとのことで、公安Kとの密接な関係が推測されます。
「情報活動の成功を人に告げることなし。また失敗を告げることなし。諸君の仕事は国家が永久に感謝し、歴史が評価するであろう。」

歴史が評価する・・?
歴史が断罪する ー の間違いではないのか。

公安Kは、この言葉に値する活動をしているのか?
国民に陰湿な目を向け、痛くない腹を探り、あろうことか不法・卑劣、かつ悪らつな行為で、罪なき国民を苦しめ・・・その疑いが、持たれているのです。


第二次世界大戦中、ナチスの将校たちは無力なユダヤ人に対し、残虐の極みとも言える行為を行なっていました。相手に反撃の力がないと見るや、人間はここまで非道になれるのかと・・・戦後、世界中が震撼としたものです。

しかし、戦後すべては暴かれ、この戦犯たちは断罪されました。
生き残った者たちも、生涯その罪におののき、惨めな人生を送ることになったのです。
そして、歴史はその罪業を、永遠に許すことはありません。

(現在のイスラエルは、その惨禍のトラウマを抱え、周辺諸国と協調することが出来ません。しかし、武力をもっては、互いの憎悪も、内包したトラウマも、膨張を続けるだけ・・・そう気付くべきです。そして世界は、そのトラウマを取り除く方法を、模索して行くべきなのでしょう・・。)


そして今、日本の各地から上がっている、組織犯罪の被害の訴えは紛れもない事実・・。
巨大なネットワークをもつ組織が、ハイテク機器を駆使し、ターゲットに壮絶な加害行為を行なっているのです。

私は、怒りを込め、この組織犯罪を告発しています。
生きている限り、それを止めることはありません。

そして、D様 ー。
私は信じます。この組織犯罪が暴かれ日は必ず来ると・・・。




さて、島袋氏は ー、
警察大学校で受けた「警備専科教養講習」の内容を、著書の中で70項目に分けて書いておられますが、
その内容と、受講後の活動についてを、次回に書きたいと思います。




D様 ー。
起床時に確認すると、脚に針の痕が見つかります。
その間隔が、このところ短くなって来ました。
それに伴い、また、脚に糸くずのような血管が浮いてきています。
脚に締め付けられるような痛みも、感じるようになりました・・。

近く、診察を受けたいと思っています。


猛暑が続いています。
D様も、ぜひ御自愛下さいますようー。






                             2010.9.2
                                 万 留 子



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(66) 「近隣の変化」と「公安K」について

D 様




旅立ちをためらうかのように、真夏が居座っています。
暦はすでに秋のページを開いているのに・・・。

待ちきれずに咲いたコスモスの花にも、
陽は容赦なく照り付け、花弁をうつむかせています。

流れ出る汗を拭きつつ、職場へと向かう大人たち ー 。
日焼けした顔を眩しげに歪めて、登校の途を行く子供もたち ー 。

私は、そんな朝の光景をぼんやりと窓から見ています。
視界の端にはパルの小屋・・・所在無げに主の帰りを待っています。
モミジの木がそれを、優しく熱射から守っているけれど・・・。

いつもの夏の風景の中に、パルだけが抜けています。





D様

我が家の周囲の様子が、微妙に変化してきました。
ここ2週間ほどのことです。

まず、我が家の真向かいにある空き家 ー。
この建物の二階に窓があります。
この窓は、我が家を西側から見渡すのに、最適な位置にあるのですが・・。

何年もの間、閉め切ったままだった、この窓のカーテンが開けられたのです。

以前 ー。
敷地内の貸家に住む、小学生のLが・・、
「おばさん、あの二階の窓のカーテン動くんだ。時々、カタカタッて音もするし・・・。」
Lは、お化けがいると言うのでした。
(このことを、私は、以前の手紙に書いたことがありました。)

カーテンの向こうに誰かがいる ー 私も、そんな気はしていました。
夜中にパルが、この建物の方を見て、激しく吠えていたこともありました。
窓越しに建物を見ても、ひと気はなく、ひっそりとしているのに・・・。

私が、カーテンに気付いたのは、10日ほど前のことです。
まるで、「ここには何もありませんよ」とでも言うように、カーテンは突然、開けられていたのでした。


数年前までは ー、
この建物には、ラーメン店が入居していました。
私たちは、引っ越してきた当初、間近にあるこの店をよく利用していたものです。

しかし、数ヶ月後 ー。
店は別の場所に移転してしまいました。
それ以来、空き家です。

ラーメン店が退居してすぐ、建物の色が塗り替えられました。
白から、鮮やかなオレンジ色になったのです。
それは、近隣の光景には馴染まない、奇抜な色でした。
家の真ん前の建物・・・その色は、日常的に、嫌が応にも目に入ることになります。

「何のつもりかね。こんな色に塗って・・。」
夫は不機嫌でしたが ー。

「明るくて、いいんじゃない。」
私は、夫をそう慰めたのでした。
幸いなことに、私はオレンジ色が嫌いではなかったのです。

しかし、もし、私がこの色が嫌いだったら・・・。
この建物を見るたびに、不快感に捉われたはずです。

(当時、私はまだ、自分が被害者であることに気付いていません。.
気付いていれば、この組織犯罪の手口の一種だと悟ったはずです。
ターゲットにマイナス感情を呼び起こす ー その為の手口は多種多様です。)

建物は、入居者がいないまま4年近くが経ち・・・今、オレンジ色は、鮮やかさを失いつつあります。



さてD様、周囲の様子の変化ですが ー。
隣のアパートにもありました。

このアパートは、この半年ほどの間に、外灯を点けるようになったり、
外観を手入れしたして、イメージが変わって来たのですが ー 。

4,5日前の朝のことです。
私がゴミを出しに行った帰りでした。
ゴミ集積所からの帰りは、このアパートの南側を見ることになります。

何気なく、アパートに目をやった私は、「オヤッ」と思いました。
2階のベランダに、洗濯物が干してあるのです・・・。
それは、今までには見られなかった光景でした。

D様 ー。
このアパートには、生活感というものがありませんでした。
人が暮らす日常の音も、ほとんど聞こえて来ません。
住人は、いつもひっそりとしているのです。

それが、このところ外観的に、人が住んでいる様子が見えるようになったのです。
ハンガーに吊るされた洗濯物・・・それは、町の風景に馴染んで、このアパートの印象を変えていました。
物音は、相変わらずしませんが、アパートに漂っていた陰気さは、消えたように思います。


そして、アパートの東隣に並んでいるSA家ですが ー。
最近、生垣を剪定しました。
我が家との境界の寒椿の丈は、今までの半分ほどになりました。
また、この寒椿の向こうに生い茂っていた木々も同様の高さになり、我が家から見える景色が一変しました。
空が広がり、明るくなったのです。

我が家との境界の辺りは、印象が大分変わりました。


更に、東隣のWA家も ー。
業者が来て、雑草を刈り取って行きました。
そして、全く聞こえなかった子供の声が、時折、聞こえて来るのです。
夏休み・・のせいだったかも知れませんが、昨年まではなかったことです。

そして、また ー。
SA家とWA家の奥さん同士が話している声が、聞こえて来ました。
これも初めてのことです。

夜、全く見えない両家の明かりも、時折ですが、点いているのが見えるようになりました・・・。

組織犯罪?
そんなことは被害妄想ですよ。
周囲は、こんなに長閑で、普通の人たち・・・。
有るはすないじゃないですか。

・・・そんな演出を始めたのかも知れません。
そう言えば、私の行動の節目に、24時間鳴り続けていた「ホーッ」の音も、このところは止んでいます。

しかし、D様 ー。
家宅侵入は続いています。
加害行為は、より陰湿に、そして巧妙に行なわれているのです。


**********************************************



次に ー。
前々回の続きに入らせて頂きます。


私が、この組織犯罪の主体と確信している「公安K」についてです。
私がそう考える理由は、いくつかあります。

まず、この犯罪の内容を鑑みれば、一個人や団体にできるものではありません。
この犯罪は、専門技術を駆使し、多額の金銭を使い、広範囲に多数の人員を動員して行なわれています。
協力者は、日本全国は勿論のこと、外国にまで潜在しています。

ゆえに、被害者が外国に行ったとしても、加害行為は続けられます。
国内同様とは言いませんが、ハイテク機器を使った加害行為 ー 電磁波照射や音声送信などが行なわれます。
それは、アメリカ在住の「目に見えない危険」さんや、最近、オーストラリアに行かれた「戦え!! 集団ストーカー被害者」さんの例からも顕著です。


D様 ー。
この犯罪組織の規模の大きさが、お分かりいただけると思います。

私は、この犯罪は、国家が国民を統治するシステムの中で行なわれている ー と考えています。
現在の支配体制を揺るがす者や、不都合な者を排除していく為のシステムです。
それは、国内の多くの企業、団体、個人が取り込まれ、この国では既に機能しています。

そして、そのシステムの機能を維持するため、常にターゲットが必要とされているのです。
それが、現在、この国で行なわれている組織犯罪のバックグラウンドです。

この統治システムは、アメリカから世界各国の友好国に広められ、被害者は世界中に散在しています。
かつて、クリントン大統領が、CIAに対し、この組織犯罪を止める様にと命令したと言われていますが、
規模が縮小したとは言え、加害行為は止んでいません。

日本においては、縮小するどころか、この組織犯罪は増長を続けています。
公安Kを制御する政治家がいないのです。
マスメディアも沈黙したまま・・・。

公安Kにおいては、国から与えられる予算の使途すら、明確にされていません。
やりたい放題の狂気の集団に化した原因は、こんなところにもあるのです。

それを明確にすれば、活動する上で支障が出る・・・政治は、そんな理屈を鵜呑みにし、この組織をアンタッチャブルな存在にしてしまいました。

D様 ー。
予算の使途を明確にすれば、どんな支障が出るというのでしょう?
私は、そんなことはないと断言します。

支障が出るというのなら、論理的にそれを説明しなければなりません。
また仮に、支障が出るとしても、それでもいいではありませんか。
優先すべきは、組織が健全に動いているかどうかの検証であり、民主主義国家においては、当然のことです。
「支障」を、水戸黄門の印籠のごとく振りかざし、秘密主義を押し通すことなど許されるはずもありません。

そもそもが、戦前の「特高警察」と同じ体質をもつ組織ですから、国民の常なる監視が不可欠なのです。
そして現在、多くの国民が、この組織に胡散臭いものを感じているのですから ー。

凄まじい人権侵害 ー ターゲットとされている被害者の苦しみを思えば、救済に一刻の猶予もないのです。


D様 ー。
私は、以前から言っているのですが ー、
予算の使途を詳細に調べていけば、この組織がどんな活動をしているのかが、浮かび上がって来ます。
多大な予算で何を買い、組織員は日々何をしているのか・・・。

電磁波や超音波を照射するための機器は購入していないか ー。
催眠などのための薬品類の購入はないのか ー。盗聴機、盗撮機、通信機器は ー。
また脳内マイクロチップやパソコンの購入は ー。
協力者には何をさせ、報酬はいくらなのか ー。

勿論、これらの検証に対し、帳簿を偽装することは考えられます。
しかし、可能な限り執拗に追求していくべきです。
税金の使途を追求するのに、何の遠慮がいるでしょう。


D様 ー。
実は、予算の使途の極一部ですが、私は公安OBから直接、聞いたことがあります。
6,7年前のことです。

当時、夫は福祉関係の仕事を計画していました。
県内のN市に、特別養護老人ホームを建設するというものです。

特別養護老人ホームを経営できるのは、「医療法人」か「社会福祉法人」です。
夫は、社会福祉法人を設立する必要がありました。
施設の建設計画と平行して、県の担当課にその設立を申請をするのです。

社会福祉法人は、理事会が運営しますから、まず、その人選をしなければなりませんでした。
その他に、理事の2倍の人数の評議員も必要でした。

夫は人脈を駆使し、医師、元学校長、寺の住職、社会福祉協議会員、牧場主など、地元の有力者に役員就任を依頼しました。その中に、夫が、仕事上で関わったことがあるSNという人物がいたのです。


SN氏は、関東のS県在住でしたが、両親がF県出身でしたので、いずれこちらに戻るということにしたのです。
それで書類が作成されました。

SN氏は、警視庁のOBでした。在職中は、都内S区の署長を務めたり、警察学校の要職に就いたりの、エリートコースを歩んで来た人でした。中国語が堪能で、公安の該当の部署には、長く在籍していたようです。

このSN氏は、大変な電話魔でした。
当時、私がやっていた会社に、暇さえあれば、電話をかけて来るのです。
そして私は、他愛もないことを延々と聞かされるのでした。

話しが1時間で終われば短い方です。切るタイミングが掴めないまま、2時間近くも聞き役を務めたこともありました。こちらの都合を、考慮することは全くないのです。

電話は勿論、私にばかりではなく、夫の方にも掛けまくっていたようです。
聞けば、長電話では有名な人なのでした。

そんなある日 ー。
このNS氏が、話しの中で ー。
「・・・今度、警視庁がアメリカから凄い機器を買いましたよ。何十メートル離れたところからでも、そこに焦点を合わせれば、会話でも何でも聞くことが出来ます。これからは、盗聴器なんて付けてる時代じゃないですよ。」

思えば、口の軽い人でした・・・。
田舎の零細企業の社長に話したところで、何の問題もない ー と思ったのかも知れません。

しかし、D様 ー。
SN氏のこの話は、もちろん、問題を含んでいます。
つまり、警視庁が違法な盗聴をしているということです。
その為のハイテク機器を、アメリカから購入しているのですから ー。

警視庁の公安部は、この機器の購入に際し、どのような経理処理をしているのでしょう・・・? 
公安K全体の予算使途の、詳細な検証が急がれます。 



さて、D様。
公安Kの組織員を、養成するための機関に付いてですが ー。
その機関と、教育内容を内部告発した本があります。
それを、次回に書かせて頂きます。
  


**********************************************



パルがいなくなり、今日で12日目になりました。

犬は、何百キロ離れたところからでも、帰って来ると言います。
利口な犬ですから、何とか辿り着くことでしょう。

どこかで保護され、飼われているのかも知れない・・そんな気もします。
パルを心配してくれる人たちの優しさが、私にエネルギーを与えてくれます。

パルはきっと、帰ってくると思います。


猛暑はまだ暫く続くとか ー 。
体調に御留意くださいますよう ー 。




                               2010.8.27
                                     万 留 子



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(65) パルが行方不明に ー。

本文に入る前に ー。

この度、下記のサイトに、当ブログを補助していくためのページを開設しました。
急遽、そのようにしたのには理由があります。


最近、「キャプチャーされる日々」というブログが、閉鎖されました。
それに関して、ブログの運営者である「たつ」さんから、依頼されていたことがありました。

その詳細を、下記ブログに記載しました。
もし、お時間がありましたら、御訪問いただければ幸いです。


「海辺の町から」
http://blogs.yahoo.co.jp/marukorin08          
                 




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D 様


連日の猛暑が、気まぐれな休暇でも取ったのでしょうか・・?、
陽射しのない、柔らかな空が広がっています。

動かない空気の中、木々は静謐に佇み・・・
地面を這う雑草は眠ったかのように密やかです。

遠く聞こえるミンミン蝉の声
時折の子供の嬌声

夏が旅支度を始めているような、静かな午後 ー。
時が音もなく流れています。





D様 ー。

飼犬のパルが、いなくなりました。
今日で4日目になります。


16日の朝 ー。
私は、朝食の支度をしていました。

その時分になると、パルはいつも吠え始めます。
繋いである犬小屋から、居場所を移動するよう要求するのです。
その要求に応え、夫が、別棟の事務所の側か、裏庭のどちらかに連れていきます。
それが、朝食前の夫の日課になっています。


その日 ー 。
朝食の用意が整い、食卓に付いた時、

「そう言えば、今朝は、パルがおとなしいわね。」
「珍しいよな。夏バテかな?」

私と夫は、そんな会話をしましたが、特に気にすることなく、朝食を摂り始めたのでした。。


そして、朝食後 ー。
夫は、別棟に行くために外に出ました・・が、すぐ戻って来ました。

「おい、パルがいないぞ。」


パルがいない?
私は、すぐ犬小屋に行ってみました。

「ロープが切れたわけじゃないんだよ。留め具も付いたままだし・・・。」

夫は、ロープの端を持ち、不可解な顔をしていました。
それは、誰かが外した ー そう考えざるを得ない状況だったのです。

誰が・・・?

私の表情に不安の色を見たのか、
「そのへんで遊んでるんじゃないのか? 間もなく戻って来るよ。」
夫は、それを振り払うかのように言うのでした。

そうかも知れない・・・。
束の間の自由を満喫したら、帰ってくるはず ー。
以前も、こんなことがあったけど、ちゃんと戻って来たのだから・・。

私は、パルが帰るのを待つことにしました。

しかし、
パルは昼になっても、戻って来ませんでした・・・。
初めてのことでした。


「ちょっと、その辺を見て来るよ。」
夫が、付近一帯を捜すべく、車で出かけて行きましたが ー、
見つけることが出来ないまま、小一時間ほどで戻って来ました。


私は、役場の担当課に電話をしました。
そして、保護された犬はいないかと、尋ねたのです。
「昨日も今日も、保護した犬はいないですよ。」

パルは、不自然な状態でいなくなってしまいました・・・。


私は、警察に届けることにしました。
先週に続き、また、通報する羽目になったのです。

やがて、パトカーで2名の警察官が、やって来ました。
歳は、50代半ばと、40代前半といったところでしょうか ー。


「犬が、いなくなったということですが・・。」

私は、昨夜からの状況を説明しました。

昨夜11時半頃、私は、裏庭にいたパルを、犬小屋まで連れて行き、そこに繋ぎました。
パルは、私に素直に従いましたが、犬小屋には入らずに、草むらに座ったのでした。
私は、蚊取り線香を炊いてやり、頭を撫でてから家に入ったのです。

そして、翌朝の8時頃に、パルが居ないことに気付き・・・。


私は、警官たちにそれを話しました。

それと ー 、
パルは以前から、夜中に急に吠え出すことがあったこと、
誰かがエサをやった形跡が、頻繁に見つかっていたことも ー 。


その後、私は警官たちに、犬小屋や留め具などを見てもらいました

しかし警官は、以外なことを言うのでした
「・・犬が、自分で外したことも考えられるよね。」

犬が自分で?・・・まさか。
「犬がこの留め具を、どうやって外すんですか?」
「首を動かしたりしているうちに、外れたりすることもありますよ。」

犬が首を動かせば、留め具が外れると・・・?
有り得ないと思いました。

「しっかり留めて置きましたし、それはないと思いますよ。」
「でも、誰かが外すのを、見ていたわけじゃないでしょ?」
「もちろん、見てません。」

見ていたら、その場で止めるし、居なくなることもないでしょうに・・・。

でも、警官たちは、
「見ていないなら、誰かが外したという断言は出来ないよね。」

なんという屁理屈・・・。
以前来た二人と、同様の対応です。

私は反論しました。
「犬が自分で外した ー という可能性は、否定しません。しかし、それは、0コンマの後に、また0が付くパーセンテージでしかないと思いますよ。状況を見れば、誰かかが外したと考えるのが妥当だと思います。」

「犬が外した例もあるんですよ。」
「それは、驚きですが、そんなに頻繁な例ではないでしょう?」
「でも、誰かが外したのを、見ていたわけじゃないんだから ー。」

「例えばですね。人が死んでて、首に締められた痕があって、傍にその痕跡と一致する紐が落ちていたら・・・
 状況は、殺人事件ですよね。見ていなくとも、誰かに殺されたことは明白でしょ?」

余程の「ぼんくら」でもない限り、そう推測しますよね。見ていなくても ・・・の言葉は、呑み込みました。

百歩譲って、パルが自分で外したにしても、暫くしたら帰って来るはずです。
逃げたとか、逃がしたというよりも、連れて行かれた ー と、考えざるを得ないのです。

連れて行かれた・・・。
もう、14歳にもなる雑種犬を、連れて行く理由は何なのでしょう?
嫌がらせなのか、犬が邪魔なのか ー。


「しかしね、人の家の犬を、何の為に逃がすの?」
警官は、あくまでも「誰か」のせいには、したくないようでした。

「それは、犯人に訊いて戴くしかありません。ただ、今までのことを考えると、犬に吠えられるのが嫌な人 ー という推測が出来ると思います。」

家宅侵入するにせよ、家の回りに水を撒くにせよ、花を折るにせよ、雨戸に糞便を擦り付けるにせよ、
敷地内に釘をバラ撒くにせよ・・・犬が居なければ、吠えられることはありません。

今までは、吠えられれば、エサを与えて黙らせて来たけど、
居なければ、それに越したことはないはずです。

私は、先日の網戸が破られた事件も話しました。

すると、若い方の警察官は、プロとは思えない言葉を発したのでした。
「そこの錠を外すためねぇ・・・でも、そこに錠が付いていると、外からは分らないでしょ。何で分ったのかね。」

私は、ひと呼吸を置いて言いました。
「サッシ戸を外す時に、どこに引っ掛かって外せないのか、分りますよね。」
「分るかなぁ・・」
「分ったから、網戸を破って、錠を外したんでしょ?」


若い方の警官と私が、網戸のところで、そんな話しをしている間に、
年配の方は、事務所にいた夫に、話を聞いて居たようでした。

夫は、ありのままに状況を説明しました。
以前から、犬にエサを与えている者が確かにいたこと ー 、
2年ほど前は、夜中に犬小屋の前に男がいたことー。

夫と話した年配の方の警官は、徐々に、犬が逃がされただけの事件ではないと、分って来たようでした。
「分りました。・・・が、今のところ、もう少し様子を見てもらうしか無いですね。」

私は ー、
「もし、パルが帰って来たら連絡します。」
ただし、帰って来なかったら、再度、相談させて戴きます・・・。
そして、以前に通報した件と共に、すべて記録をして置くように、お願いしました。

「相談係がいますから、そちらに報告しておきます。でもね、記録は3年間だけ保管して、その後は廃棄となりますよ。」
「3年間?」
「法律で決められていますから ー。」
「法律で・・?」

D様 ー。
私は、そんな法律があるとは、知りませんでした。
何の為にでしょう・・?

例えば、相談したことが事件に繋がった場合、その記録は、捜査上の貴重な資料となるはずです。
それを、たった3年で廃棄することが定められている ー と言うのです。


私は、憂鬱感の中、パトカーを見送ったのでした・・・。





D様 ー。

私は、ここまで気力を振り絞って書きました。
パルのことが、頭から離れません。

戻ってくる・・・。
そう自分に言い聞かせています。

しかし、時に胸が熱くなり、大声でパルの名を呼びたい衝動にかられ・・・、
不安と焦燥、そして、悲しみと怒り ー。

寄せては退いて行く、感情の波の中で、無力感にさいなまれています。


今、少し疲れています。
前回に予告した「公安Kに付いて」は、次回に書かせて頂くことをお許し下さい。



D様 ー。
私は、今回の件を乗り越えて見せます。
あなたへの手紙を、途絶えさすことはありません。
書き続けます・・この卑劣な組織犯罪がなくなる日まで ー。




猛暑は、まだ暫く続くとか・・.
どうか御自愛下さいますよう ー。



2010.8.19
万 留 子



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命ある限り書き続けます。

記事のアップが遅くなってしまいました。お詫び致します。

記事をアップしようとすると、動作がフリーズするのです。異様な重さのあと、「表示できません」の画面となります。
接続診断をしても、問題はなく・・・遠隔操作による悪質な妨害だと考えています。

アップまでに何時間もかかってしまいました。それでも、私は書くのを止めることはありません。今後とも応援していただければ幸いです。


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<初めて御訪問の方へ>

この小説は、どの回もほぼ独立した形式になっています。繋がりがあるとしても、その回の前後だけです。でも、時間があれば(1)から読んで頂ければ嬉しく思います。そして、今後ともよろしくお願い致します。
尚、この小説は事実をもとに書かれています。


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