(62) 高速バスの中で ー。
D 様
今日のこの地は曇り ー。
梅雨に戻ったような空に安堵しています。
明けるのを、あれほど望んだはずなのに・・、
人の思いは、子供の手を離れた風船のように浮遊します。
でも、自然はより気まぐれ ー 、
雷の天体ショーを演出し、局地を豪雨で襲い、雹を落とし、
灼熱の陽射しで地面を焼き・・・
私は早くも、初秋の風を待ち焦がれています。
さて、D様ー。
25日(日曜日)、
私は、東京への高速バスに乗っていました・・・。
亡姉の法要に参列するためです。
義兄から、法要の知らせがあったのは、その1週間前 ー。
「そうですか・・もう10年になるんですね。」
52歳の早すぎる旅立ちでした。
私には、姉がこの世にいないことを、未だに認めたくない気持があります。
どこかに行けば会える・・・そんなところは、どこにもないと分っているのに、
出合った日を夢想する自分がいるのです。
10年目 ー 神式なので、この節目にも行ないます。
K県のY市での法要 ー Y市は亡姉の嫁ぎ先です。
義兄からの連絡で、私は高速バスを予約しました。
電車より時間が掛かりますが、低料金なのでよく利用します。
バスを予約した時点で、私は、車中で何か嫌なことがあるはず・・との予感がしました。
その理由は・・・、
この高速バスは、夫もよく利用します。
そして夫は、乗るたびに不愉快な思いをして帰って来るのでした。
隣に座った人が、携帯電話で長話を始めたり、
前の席の人が、いきなり座席を倒してきたり、
後ろの席の人たちが、大声でおしゃべりを続けたり、
斜め前に座ったオバサンたちが、チラチラと夫を見ては、顔を見合わせて笑ったり・・・。
咳をしたり鼻をかむ音が、車内に絶え間なく響いたり、
酷い腋臭の若者が隣に座ったり・・スルメをかじり出したり・・・。
「マナーが悪いのが多いんだよ。イライラして来るよ。」
また、不可解なこともありました。
「東京に着いて、携帯電話を使おうとしたら、電池が切れてるんだよ。
一晩中、充電して行ったのに有り得ないよ。不思議だよな。」
でも私は、ネット上で、その手口に関する記事を読んだことがあります。
充電してあるものを放電させる ー そのハイテク機器は、紛れもなく存在してるのです。
夫が、バスに乗るたびに感じる不愉快なこと・・・。
その嫌がらせは組織的に行なわれている ー 私は、その可能性が高いことを直感しています。
しかし、この者たちの行為の不自然さに、夫は気付きません。
偶然、乗り合わせた人たち・・・そう信じて疑がわないのです。
さて、当日 ー 。
何か嫌な思いはをするはず・・・私のその予感は当たりました。
バスに乗り込み、指定の座席に行くと・・、
その座席の肘掛けに、足を乗せている男がいました。後ろの席から、私の席にまで足を投げ出しているのです。
私がそこに立ち止まっても知らぬふり・・・。
「すみませんが。」
私は、男の顔を見て、足を指差しました。
「アッ、ここ?」
男は、初めて気付いたような顔で、足を引っ込めたのでした。
そして、意味不明な薄笑い・・・。
バスが発車しました。
車内は比較的空いていて、ほぼ、二つの席に一人が座っている状態です。
私の真後ろは、その「足投げ出し男」と、40代らしき女のカップル ー 。
この女の喋ること・・・彼女は、東京までの間、休みなく大声で話し続けるのでした。
それに合わせて、男の変な癖 ー 話の合間に「クーッ」という奇妙な声を出すのです。
喉の奥から、痰を掻き出す時の「カーッ」という、あの声です。
それが、女の話し続ける声の中に、定期的入ってくるのです。耳障りで、不快でした。
そして、車内のあちこちから頻発する咳払い ー 。
すぐ前の席からも、不自然な咳が聞こえます。
後ろの方からは、女のかん高い笑い声・・・。
私は、本を広げていたのですが、集中することが出来ませんでした。
仕方なく、本を閉じて目を瞑りました。
その途端、男の大きな笑い声 ー。
電車で来れば良かった・・・。
でも、同じ状況になることは、分かっていました。
姉の法要への小さな旅は、不快音に取り巻かれて始まったのでした。
私は、窓の外の流れる景色を、ぼんやりと見続けていました。
姉が亡くなる前の、あるエピソードを脳裏に浮かべていたのです・・・。
10年前の早春 ー。
姉は、父の見舞いに来るとの連絡をして来ました。
当時、父は、F市の病院に入院していたのです。
胆管にできた悪性腫瘍を切除するため、手術が必要でした。
しかし、どういうわけか、手術前の検査が進まず、入院が長引いていました。
良性腫瘍だから、大丈夫・・・。
私たちは、父にそう言っていたのでした。
その日 ー、
私は、姉が病院に着く頃を見計らって、当時、住んでいたF町を出発しました。
F市まで、2時間弱のドライブです。
姉が父の見舞い・・・しかし、姉自身も、入退院を繰り返していた頃でした。
姉は胃癌でした。
それと分った時には、腫瘍はすでに、リンパ腺にまで転移していました。
胃の調子が悪く、その何年も前から胃腸科に通院していたにも関わらず、そのような状態になっていたのです。
「そんなになるまで、医者か気付かないなんて・・・?」
私は、納得することが出来ませんでした。
義兄も、医者に何度も説明を求めたようです。
しかし、専門用語でうまく辻褄を合わせた話には、切り込んでいく隙はありませんでした。
姉は、医者を恨むこともなく、自分の病状を理解していました。
リンパ腫が治癒した例もあるし、希望は捨てていなかったのです。
入退院を繰り返す日々でしたが、姉は、いつも明るい雰囲気を漂わせていました。
元々が歯を食いしばり頑張る・・・というタイプではないのです。
どんなことも、サラリと受け流して乗り切る人でした。
「姉はこのところ、体調がいいみたい・・・。」
抗がん剤の治療が、うまくいっているんだろうな ー 。
私は、鼻歌を唄いながら、F市への道を走り続けました。
「あれっ、Miちゃんは、まだ着いてないの?」
私は、父の病室に入るなり、そこにいた母に訊きました。
F市内に入り、思わぬ渋滞があり、私は予定より遅れてしまったのです。
「まだ。もう着いても、いい頃なんだけどね。」
「Miは、能天気なところがあるから、また、道草でもしてるんだろ。」
父は、姉の到着を心待ちにしているくせに、のんびりした口調で言いました。
私は、父を見て、また痩せたなと思いましたが、
「お父さん、顔色がとってもいいよ。久しぶりに会う娘に、気持が弾んでいるんだね?」
「馬鹿なこと言うなよ。」
それでも、父はどこか嬉しそうでした。
結局、姉が病院に着いたのは、予定より2時間近くも過ぎた頃でした。
ベッドに半身を起こして待っていた父は、姉が着いた時には、もう横になっていました。
「ゴメン。お腹が空いちゃって、途中で、お昼をとって来たから ー。」
「お昼を・・? 一緒に食べよう思っていたのよ。」
私は、軽く腹を立てていました。
それでも ー、
姉が、病室に姿を現わすと、病室全体に、柔らかな光が満ちるのを感じていました。
緩くセットした髪、白いジャケット・・そして、水色のスカーフを首に巻いた姉は、眩しいくらい素敵でした。
起き上がろうとする父を、母が止めました。
横になったままでしたが、父は姉の来訪が嬉しくて堪らないのが、私には分りました。
外は、木々の芽が吹きかけた頃・・・。
早春の病室は、不思議な幸せに満ちていました。
私たちは、取りとめのない話に興じました。
「結局、Y市から、6時間近くも掛かっちゃたんだよね。」
義兄が言いました。
その間、姉は、下手な歌を唄い続けたと言うのです。
「それが、同じ歌なんですよ。カモメが翔んだ、カモメが翔んだって・・。
ズーッとですからね。」
姉の歌は、音痴とは言わないまでも、お世辞にも上手いとは言えません。
それを、狭い車の中で、聞かされ続けたというのですから・・・。
「止まったな ー と思うと、また、同じフレーズ・・・これには参った。」
私たちは、義兄にいたく同情したのでした。
病室に、笑い声が響きました。
ベッドの中で父も笑い・・・「災難だったなぁ」と、嬉しそうに、何度も何度も・・。
その4ヵ月半後 ー 。
姉は、逝去しました。
私が駆けつけた時、
義兄は、遺体に取りすがって号泣していました。
父を見舞った早春のあの日・・・、
姉の病状は、悪化していたのでした。
「じゃ、私たちでコーヒーでも飲んで来ようか。」
父の病室で、しばし談笑した後、姉が私を誘いました。
義兄と姉、そして私は、近くの喫茶店に行くことにしたのです。
病室を出て、病院の廊下を歩いていた時、義兄が言いました。
「実は、Miの体調が悪くて、途中で何度も、休みながら来たんだよね。」
体調が悪い・・・?
私は立ち止まり、姉を見ました。
こんなに明るくて、元気そうなのに・・?
「このところ、ちょっと悪くなってるの。ほら・・」
姉は、首に巻いていた水色のスカーフを外しました。
私は、姉の首を見て愕然としました。
付け根の部分が、大きく腫れていたのです。
まるでコブが出来たように・・・。
「ほら、これもカツラなのよ。」
姉は、それを少しずらして見せました。
「このカツラはね。夏目雅子のお母さんがやっている『ひまわり基金』という団体で貸してくれるの。
私の髪は、抗がん剤で抜けちゃった。」
姉は、そんな時も悲壮な感じではなく、さらりと明るいのでした。
私はショックでした。
呆然と姉の顔を見ているだけで・・・。
「大丈夫よ。間もなく別の抗がん剤を試すの。先生が、今度の薬は合うはずだって・・・。」
しかし ー 、
10年前の7月28日に、姉は眠るように逝ってしまったのです。
「パパ、足が少しむくんでいるようなの。擦ってくれる?」
その夜、義兄は、姉の足をさすり続けました。
当時、義兄は、出勤前に姉の病室に寄り、
仕事が終われば、すぐ病院に来て、遅くまで姉に付き添うという生活でした。
昼休みも時間があれば、病室を訪れたと言います。
「ありがとう、楽になった・・。疲れたでしょ? 私も眠くなった・・。」
「じゃ、明日の朝、来るから・・・。」
義兄は「おやすみ」を言い、病室を出ました。
病院から電話が入ったのは、義兄が家に帰って間もなくでした。
娘と共に、病院に駆けつけた時には、姉の脈はもうありませんでした。
姉は、眠ったまま、静かに息を引き取ったのでした・・・。
D様 ー。
私は今、あの早春の病室を思い出しています。
あの日、父の病室には「幸せ」という、柔らかな光が射していました。
父も姉も病魔を背負い、家族はその回復を悲痛なまでに願い・・・。
それでも、私たちは確かに幸せでした。
「カモメが翔んだ、カモメが翔んだ」と唄い続けて来た姉 ー 。.
あなたは、一人で生きられるのね・・・。
そんな歌詞が入る歌を、姉はどんな気持で唄っていたのだろう・・・。
そして、姉の後を追うように逝った父 ー。
その年の12月のことでした。
今頃、父は、姉の下手な歌を、繰り返し聞かされているのかも知れない。
それでも、父は嬉しそうで・・・。
**********************************************
D様 ー。
1週間ほど前のことです。
私は、居間から廊下に出るドアを拭いていました。
その時 ー、
あることに気付いて愕然としたのでした・・・。
この続きを、次回に書かせて頂きます。
猛暑は、まだまだ続くようです。
体調にはくれぐれも御留意下さいますよう ー。
2010・7・28
万 留 子

今日のこの地は曇り ー。
梅雨に戻ったような空に安堵しています。
明けるのを、あれほど望んだはずなのに・・、
人の思いは、子供の手を離れた風船のように浮遊します。
でも、自然はより気まぐれ ー 、
雷の天体ショーを演出し、局地を豪雨で襲い、雹を落とし、
灼熱の陽射しで地面を焼き・・・
私は早くも、初秋の風を待ち焦がれています。
さて、D様ー。
25日(日曜日)、
私は、東京への高速バスに乗っていました・・・。
亡姉の法要に参列するためです。
義兄から、法要の知らせがあったのは、その1週間前 ー。
「そうですか・・もう10年になるんですね。」
52歳の早すぎる旅立ちでした。
私には、姉がこの世にいないことを、未だに認めたくない気持があります。
どこかに行けば会える・・・そんなところは、どこにもないと分っているのに、
出合った日を夢想する自分がいるのです。
10年目 ー 神式なので、この節目にも行ないます。
K県のY市での法要 ー Y市は亡姉の嫁ぎ先です。
義兄からの連絡で、私は高速バスを予約しました。
電車より時間が掛かりますが、低料金なのでよく利用します。
バスを予約した時点で、私は、車中で何か嫌なことがあるはず・・との予感がしました。
その理由は・・・、
この高速バスは、夫もよく利用します。
そして夫は、乗るたびに不愉快な思いをして帰って来るのでした。
隣に座った人が、携帯電話で長話を始めたり、
前の席の人が、いきなり座席を倒してきたり、
後ろの席の人たちが、大声でおしゃべりを続けたり、
斜め前に座ったオバサンたちが、チラチラと夫を見ては、顔を見合わせて笑ったり・・・。
咳をしたり鼻をかむ音が、車内に絶え間なく響いたり、
酷い腋臭の若者が隣に座ったり・・スルメをかじり出したり・・・。
「マナーが悪いのが多いんだよ。イライラして来るよ。」
また、不可解なこともありました。
「東京に着いて、携帯電話を使おうとしたら、電池が切れてるんだよ。
一晩中、充電して行ったのに有り得ないよ。不思議だよな。」
でも私は、ネット上で、その手口に関する記事を読んだことがあります。
充電してあるものを放電させる ー そのハイテク機器は、紛れもなく存在してるのです。
夫が、バスに乗るたびに感じる不愉快なこと・・・。
その嫌がらせは組織的に行なわれている ー 私は、その可能性が高いことを直感しています。
しかし、この者たちの行為の不自然さに、夫は気付きません。
偶然、乗り合わせた人たち・・・そう信じて疑がわないのです。
さて、当日 ー 。
何か嫌な思いはをするはず・・・私のその予感は当たりました。
バスに乗り込み、指定の座席に行くと・・、
その座席の肘掛けに、足を乗せている男がいました。後ろの席から、私の席にまで足を投げ出しているのです。
私がそこに立ち止まっても知らぬふり・・・。
「すみませんが。」
私は、男の顔を見て、足を指差しました。
「アッ、ここ?」
男は、初めて気付いたような顔で、足を引っ込めたのでした。
そして、意味不明な薄笑い・・・。
バスが発車しました。
車内は比較的空いていて、ほぼ、二つの席に一人が座っている状態です。
私の真後ろは、その「足投げ出し男」と、40代らしき女のカップル ー 。
この女の喋ること・・・彼女は、東京までの間、休みなく大声で話し続けるのでした。
それに合わせて、男の変な癖 ー 話の合間に「クーッ」という奇妙な声を出すのです。
喉の奥から、痰を掻き出す時の「カーッ」という、あの声です。
それが、女の話し続ける声の中に、定期的入ってくるのです。耳障りで、不快でした。
そして、車内のあちこちから頻発する咳払い ー 。
すぐ前の席からも、不自然な咳が聞こえます。
後ろの方からは、女のかん高い笑い声・・・。
私は、本を広げていたのですが、集中することが出来ませんでした。
仕方なく、本を閉じて目を瞑りました。
その途端、男の大きな笑い声 ー。
電車で来れば良かった・・・。
でも、同じ状況になることは、分かっていました。
姉の法要への小さな旅は、不快音に取り巻かれて始まったのでした。
私は、窓の外の流れる景色を、ぼんやりと見続けていました。
姉が亡くなる前の、あるエピソードを脳裏に浮かべていたのです・・・。
10年前の早春 ー。
姉は、父の見舞いに来るとの連絡をして来ました。
当時、父は、F市の病院に入院していたのです。
胆管にできた悪性腫瘍を切除するため、手術が必要でした。
しかし、どういうわけか、手術前の検査が進まず、入院が長引いていました。
良性腫瘍だから、大丈夫・・・。
私たちは、父にそう言っていたのでした。
その日 ー、
私は、姉が病院に着く頃を見計らって、当時、住んでいたF町を出発しました。
F市まで、2時間弱のドライブです。
姉が父の見舞い・・・しかし、姉自身も、入退院を繰り返していた頃でした。
姉は胃癌でした。
それと分った時には、腫瘍はすでに、リンパ腺にまで転移していました。
胃の調子が悪く、その何年も前から胃腸科に通院していたにも関わらず、そのような状態になっていたのです。
「そんなになるまで、医者か気付かないなんて・・・?」
私は、納得することが出来ませんでした。
義兄も、医者に何度も説明を求めたようです。
しかし、専門用語でうまく辻褄を合わせた話には、切り込んでいく隙はありませんでした。
姉は、医者を恨むこともなく、自分の病状を理解していました。
リンパ腫が治癒した例もあるし、希望は捨てていなかったのです。
入退院を繰り返す日々でしたが、姉は、いつも明るい雰囲気を漂わせていました。
元々が歯を食いしばり頑張る・・・というタイプではないのです。
どんなことも、サラリと受け流して乗り切る人でした。
「姉はこのところ、体調がいいみたい・・・。」
抗がん剤の治療が、うまくいっているんだろうな ー 。
私は、鼻歌を唄いながら、F市への道を走り続けました。
「あれっ、Miちゃんは、まだ着いてないの?」
私は、父の病室に入るなり、そこにいた母に訊きました。
F市内に入り、思わぬ渋滞があり、私は予定より遅れてしまったのです。
「まだ。もう着いても、いい頃なんだけどね。」
「Miは、能天気なところがあるから、また、道草でもしてるんだろ。」
父は、姉の到着を心待ちにしているくせに、のんびりした口調で言いました。
私は、父を見て、また痩せたなと思いましたが、
「お父さん、顔色がとってもいいよ。久しぶりに会う娘に、気持が弾んでいるんだね?」
「馬鹿なこと言うなよ。」
それでも、父はどこか嬉しそうでした。
結局、姉が病院に着いたのは、予定より2時間近くも過ぎた頃でした。
ベッドに半身を起こして待っていた父は、姉が着いた時には、もう横になっていました。
「ゴメン。お腹が空いちゃって、途中で、お昼をとって来たから ー。」
「お昼を・・? 一緒に食べよう思っていたのよ。」
私は、軽く腹を立てていました。
それでも ー、
姉が、病室に姿を現わすと、病室全体に、柔らかな光が満ちるのを感じていました。
緩くセットした髪、白いジャケット・・そして、水色のスカーフを首に巻いた姉は、眩しいくらい素敵でした。
起き上がろうとする父を、母が止めました。
横になったままでしたが、父は姉の来訪が嬉しくて堪らないのが、私には分りました。
外は、木々の芽が吹きかけた頃・・・。
早春の病室は、不思議な幸せに満ちていました。
私たちは、取りとめのない話に興じました。
「結局、Y市から、6時間近くも掛かっちゃたんだよね。」
義兄が言いました。
その間、姉は、下手な歌を唄い続けたと言うのです。
「それが、同じ歌なんですよ。カモメが翔んだ、カモメが翔んだって・・。
ズーッとですからね。」
姉の歌は、音痴とは言わないまでも、お世辞にも上手いとは言えません。
それを、狭い車の中で、聞かされ続けたというのですから・・・。
「止まったな ー と思うと、また、同じフレーズ・・・これには参った。」
私たちは、義兄にいたく同情したのでした。
病室に、笑い声が響きました。
ベッドの中で父も笑い・・・「災難だったなぁ」と、嬉しそうに、何度も何度も・・。
その4ヵ月半後 ー 。
姉は、逝去しました。
私が駆けつけた時、
義兄は、遺体に取りすがって号泣していました。
父を見舞った早春のあの日・・・、
姉の病状は、悪化していたのでした。
「じゃ、私たちでコーヒーでも飲んで来ようか。」
父の病室で、しばし談笑した後、姉が私を誘いました。
義兄と姉、そして私は、近くの喫茶店に行くことにしたのです。
病室を出て、病院の廊下を歩いていた時、義兄が言いました。
「実は、Miの体調が悪くて、途中で何度も、休みながら来たんだよね。」
体調が悪い・・・?
私は立ち止まり、姉を見ました。
こんなに明るくて、元気そうなのに・・?
「このところ、ちょっと悪くなってるの。ほら・・」
姉は、首に巻いていた水色のスカーフを外しました。
私は、姉の首を見て愕然としました。
付け根の部分が、大きく腫れていたのです。
まるでコブが出来たように・・・。
「ほら、これもカツラなのよ。」
姉は、それを少しずらして見せました。
「このカツラはね。夏目雅子のお母さんがやっている『ひまわり基金』という団体で貸してくれるの。
私の髪は、抗がん剤で抜けちゃった。」
姉は、そんな時も悲壮な感じではなく、さらりと明るいのでした。
私はショックでした。
呆然と姉の顔を見ているだけで・・・。
「大丈夫よ。間もなく別の抗がん剤を試すの。先生が、今度の薬は合うはずだって・・・。」
しかし ー 、
10年前の7月28日に、姉は眠るように逝ってしまったのです。
「パパ、足が少しむくんでいるようなの。擦ってくれる?」
その夜、義兄は、姉の足をさすり続けました。
当時、義兄は、出勤前に姉の病室に寄り、
仕事が終われば、すぐ病院に来て、遅くまで姉に付き添うという生活でした。
昼休みも時間があれば、病室を訪れたと言います。
「ありがとう、楽になった・・。疲れたでしょ? 私も眠くなった・・。」
「じゃ、明日の朝、来るから・・・。」
義兄は「おやすみ」を言い、病室を出ました。
病院から電話が入ったのは、義兄が家に帰って間もなくでした。
娘と共に、病院に駆けつけた時には、姉の脈はもうありませんでした。
姉は、眠ったまま、静かに息を引き取ったのでした・・・。
D様 ー。
私は今、あの早春の病室を思い出しています。
あの日、父の病室には「幸せ」という、柔らかな光が射していました。
父も姉も病魔を背負い、家族はその回復を悲痛なまでに願い・・・。
それでも、私たちは確かに幸せでした。
「カモメが翔んだ、カモメが翔んだ」と唄い続けて来た姉 ー 。.
あなたは、一人で生きられるのね・・・。
そんな歌詞が入る歌を、姉はどんな気持で唄っていたのだろう・・・。
そして、姉の後を追うように逝った父 ー。
その年の12月のことでした。
今頃、父は、姉の下手な歌を、繰り返し聞かされているのかも知れない。
それでも、父は嬉しそうで・・・。
**********************************************
D様 ー。
1週間ほど前のことです。
私は、居間から廊下に出るドアを拭いていました。
その時 ー、
あることに気付いて愕然としたのでした・・・。
この続きを、次回に書かせて頂きます。
猛暑は、まだまだ続くようです。
体調にはくれぐれも御留意下さいますよう ー。
2010・7・28
万 留 子


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