(28)
D 様
梅雨を思わせるような曇り空の下・・・冷気がよどんでいます。
庭のモミジの色は、グレーのフィルターが掛かったようにくすんでいます。
今日のこの地に、秋の爽やかさはありません・・・。
それでも、私は、こんな沈んだ秋の日が嫌いではないのです。
季節がくれた静かな日を、どこか楽しんでいる自分に気付いています・・・。
さて、D様 ー 。
先日、洗濯しようとした時・・・私は、シーツにピンクのシミが付いていることに気付きました。
血液を薄めたような色の液体が、ポトンと落ちたような感じです。3ヶ所ありました。
以前も、同じシミが付いていたことがありましたが、また始まりました・・・。
ここ1週間くらい、私は起床時に、膝に違和感を感じていました。関節が妙にギクシャクするのです。
そして、起き上がると、足の付け根のあたりにも、軽い痛みが走ります。
原因に心当たりはありません・・・。
特に激しい運動をしたわけでもなく、捻ったわけでもなく・・・また、私はまだ、歳のせいと言われるほどの高齢でもありません。
ならば、朝のこの症状の原因は何なのでしょう・・・。
D様、私は、脚の関節に危害を加えられているような・・・そんな気がしています。
今までの身体への危害・・・腕や脚の注射痕、メスの痕、低温ヤケドのような痕、朝起きると硬直している手、背中の引っかき傷、視覚の異常・・・これらを鑑みれば、私の推測は、決して見当はずれなことではないと、お分かり頂けると思います。
何よりも、このシーツに付いたピンクのシミは、何なのでしょう・・・?
私は、脚の関節から、骨髄液のようなものが抜かれているような気がしています。
少しづつ、すこしづつ・・いつの間にか・・・それは、この犯罪の特徴のひとつです。
D様、私は、脚に異常が起きる日が来るのでしょうか・・・。
私は今、ある被害者の言葉を思い出しています。
「この奴らは、どんな手段を使っても家に侵入してくる・・・。」
ドアチェーンがいつの間にか長くなっていた事実、サッシ戸が外されていた形跡・・・これらはその言葉を裏付けています。知らない間にまた、どんな細工がなされているか分かりません・・・。
唐突ですが、D様 ー 。
アメリカのギャング ー アル・カポネについては、勿論ご存知のことと思います。
彼は、1920年代に、シカゴの暗黒街を牛耳った伝説のギャングです。
彼は、1919年に制定された禁酒法を逆手にとり、酒の密売で巨額の利益をむさぼりました。
対立組織との抗争などの中で、様々な罪に問われましたが、彼は、目撃者や陪審員を買収したり脅したりして、巧みに罪を逃れたといいます。
そんなカポネが、刑務所に入るきっかけとなったのは・・・「脱税」でした。
巧みに罪を逃れるカポネに、司法当局は知恵を絞り、この容疑で起訴したのでした。
彼は、この罪で約12年の刑を言い渡され、服役することになりました。
アルカトラズ刑務所でのカポネは、権勢を誇ったボスの片鱗もなく、毛布を被って泣いたりしたと言います。
どんなに権勢をもち、人から恐れられた人間でも、裸にし、そのふんぞり返っている椅子を取り上げれば、このようになるのです。それは、歴史も証明していると思います。
第二次世界大戦中ー。
アウシュビッツをはじめ、ヨーロッパ各地に作られたユダヤ人収容所・・・ナチスの将校、兵士、そして看守たちは、囚われたユダヤ人たちに、残虐な行為を繰り返していました。
ホロコーストと言われる大量虐殺は言うにおよばず、人体実験や虐待行為を日常的に行なっていたのです。彼らは、ナチスという巨大な組織を背景に、人間としての心を失ったのです・・・。
この出来事は、人類が未来永劫、語り継ぐべき、許されざる大罪だと言えるでしょう。
戦後、その責任者たちは罪を問われました。
捕らえられた者もいれば、逃亡を謀った者もいました。
ナチスという後ろ盾を失くした彼らは、その罪に怯え、或いは、罪を逃れようと言い訳に終始する・・・小心な臆病者でしかありませんでした。
逃げ延びた者も、その執拗な追っ手の影に怯え、心休まる時はなかったはずです。
彼らは、一生涯逃れることの出来ない罰を受け続けたのです・・・。
ナチスのような巨大な組織でも、それを構成する者たちは、その制服を脱がし、組織から引き離してみれば、心細げな顔を見せる小心者でしかありません。
アル・カポネも晩年は、悪夢にうなされ、泣き叫ぶ夜も多かったと言います。
アル・カポネは、様々な罪を逃れ続けましたが、「脱税」の罪だけは逃れることが出来ませんでした。
帳簿を徹底的に調べられ、言い逃れが出来ない状況に追い詰められたのです・・・。
そして、有罪が宣告され、服役することになりました。
さて、「集団ストーカー」と呼ばれているこの組織犯罪 ー 。
多くの被害者が、この組織からの加害行為に苦しんでいます。
しかし、その立証は簡単なことではなく、被害を訴えれば「精神異常者」とされる構造になっています。
加害組織は、被害者を「精神異常者」とすることで、犯罪を隠蔽するのです。
しかし、被害者の数の多さは、犯罪を有り得ないとする者たちを、今、崖っぷちに追い込んでいます。この犯罪が、現実に起きていることは、否定できない段階に来ているのです。
私は、以前にも書きましたが、この組織犯罪の主体はKであろうと考えています。
それは、私自身の体験から考察した結論です。
この犯罪は、一個人や一団体が出来るものではありません。被害者が住む地域のみならず、全国に緊密なネットワークをもつ組織でなければ不可能なのです。そして、多くの協力者の存在や、専門的かつ大掛かりなハイテク機器の使用は、経費の豊富さを物語っています。
(こうして、今、私がワードで書いている時も、カーソルが勝手に動いたり、突然、文字が大きくなったり、アンダーラインが引かれたり・・・それがインターネットにつないでいない状態で起きているのです。)
私は以前、政府は、Kの予算の使途を徹底的に調べるべきだと提唱しました。
予算の使途を、詳細に調査してほしいと ー 。
経費が何に使われ、誰に支払われ、そして何を買い、それはどこにあるのか ー それを詳細に調べていけば、Kの活動の全容が浮かび上がってくるはずです。捜査の「秘密」や「支障」などという言葉に惑わされず、毅然と実行して欲しい・・・そう願っています。
税金で運営されている、国民のための組織を調査するのに、何をはばかることがあるでしょう。
閉鎖されている組織には、腐敗や暴走が生じるのが常なのです ー 。
私は、この社会の根底には、不正義を排し、非道を憎むという倫理が、確かに存在していると信じています。社会のその潮流が、この犯罪を暴いていく日が必ず来るはずです。
その日まで、被害者は臆することなく声を上げ続けて欲しい・・・。
正義は、被害者側にあるのですから・・・。
さてD様ー。
前回の続きを書くことにします。
Fさんは、昨年の8月に貸家を退去しました。
そのままになっていた土地に、建築許可の要らないプレハブ小屋を建てたのです。
小屋は6畳一間ほどですから、生活するというよりも、寝るのがやっとのものでした。
彼らは、置くところのない生活用品を、農機具などを入れる物置小屋に入れました。
キッチンは、小屋に隣接したところに、流し台を置き、雨風が入らないように屋根をつけました。
風呂は囲いを作り、当初は露天 ー 水道は近くの家からのもらい水でした ー 。
しかし、もともとが楽天家で、気取りのないFさんたちは、その生活を楽しんでいる様子でした。畑を手入れし、もともとあった広い庭をきれいに整備し、芝を植え・・・。
「狭いながらも楽しい我が家・・これで充分よ」
奥さんは、立ち寄った私たちに、笑いながら言うのでした。
日の出と共に起き、畑仕事をし、日暮れとともに晩酌をして寝る ー という生活は、誰にも気兼ねのない、悠々自適な日々のようでした。
Fさんたちが去り、うちの貸家は、また空き家になりました。
空き家だらけの我が家の周辺に、また1軒空き家が増えたのです・・・。
以前、Fさんたちが、「もうずっとここに居てもいい」と言っていたのは、半ば本音だったと思います。
しかし、彼らはその後、プレハブ小屋を建てる決心をしました。
それは、何がきっかけだったのでしょう?
D様、私はその理由がわかるような気がします・・・。
Fさんたちが退去する2ヶ月ほど前のこと ー 。
私は、パルと散歩に行くために、病院の駐車場を通り抜けようとしました・・・・。
駐車場の入り口に差し掛かった時・・・猫の鳴き声が聞こえてきました。
私は足を止めて、あたりを見回しました。
駐車場に入ってすぐの、フェンスのあたりに黒い猫が見えました。
パルが猫をみて興奮し、吠え始めました。
私は慌てて、リードを強く引きながら、猫をよく見ようとしました・・が、姿を隠してしまいました。
「捨て猫らしいけど、誰がこんなところに・・・」
誰かがエサをやったらしく、フェンスのそばに白いポリ容器がありました。
私は、気がかりでしたが、パルの興奮をなだめ散歩に戻りました。
病院の駐車場にいた猫は、トラと黒の2匹でした。
猫たちは夜になると、Fさん宅の縁の下にもぐり込んでいるのです。
病院の駐車場は、猫を捨てるのには不適切な場所です。車の出入りとや、アスファルト敷きの固い地面を考えるとそう思います。
猫はそもそも、Fさん宅の裏に捨てられたのかも知れない・・・私はそんな気がしました。
昼はすぐ筋向かいの病院の方に行き、誰かにエサを貰っていた・・。
Fさんは、猫が嫌いなようでした。
以前から、家の周りには、猫よけのペットボトルが置いてありました。
私が、さりげなく奥さんに訊いてみたところ ー 、
「ウチの人が苦手でねぇ・・・犬は好きなんだけど・・・」
「そうでしたか・・・ウチの猫が迷惑かけるようなことがあったら、遠慮なく追い払ってくださいね。」
「いえいえ、それはありませんから・・・」
奥さんは、笑いながら否定するのでしたが・・・。
よりにもよって、猫たちは、そんなFさん宅の縁の下に居ついてしまったのです・・・。
私は困りました。
生まれてから、1~2ヶ月位しか経っていないような子猫ですが、すばしっこいのです。
捕まえようとしても、警戒心が強くて寄ってきません。エサでつろうとしても、人が側にいると近づいて来ないのです。
Fさんは、床の下に猫が住み付いたのですから、居たたまれなかったに違いありません。
「エサをやらないようにすれば、どこかに行ってしまうよ。」
夫はそう言うのでした。
私は、何日かエサを与えませんでした・・・。
しかし、猫たちはバテる様子もなく、あたり動き回っています。
誰かにエサをもらっていたのでしょう・・・。
猫はすっかり居ついてしまいました。
Fさんたちは、猫のことは何も言いませんでした。
しかし、Fさんたちが貸家を退去したのは、それから2ヶ月ほど経った頃でした・・・。
D様、私は今になって疑問に思います。
猫は誰が捨てていったのだろうと・・・。
Fさんが猫嫌いであることは、家の周りに置いたペットボトルを見れば、誰にでも分かります。
あえて、そんなところに猫を捨てるとは・・・・。
私は以前の出来事 ー 。
Fさん宅の前に死んでいた蛇、ポルノ写真の携帯電話、夜中の水の音・・・これらは、Fさんがターゲットだったのではないか・・・そんな気がしているのです。
Fさんを、退去させるための嫌がらせだったのではないかと ー 。
そして、猫もまた・・。
Fさんの退去により、我が家の周りには、また空き家が増えました。
そしてその後、私たちに対する、組織犯罪者たちの加害行為は、エスカレートしていったのです・・・。
さて、D様ー。
2週間ほど前のことです。
私は夕食の準備をしていました。その合間、用事があり洗面所に行った時のことー。
外から「キャーッ」という女性の悲鳴が聞こえました・・・。
この続きを、次回の手紙に書かせて戴きます。
D様、この晩秋の日々を楽しんでいらっしゃいますでしょうか?
毎日が良き日でありますよう ー 。
2009・11.26
万 留 子


梅雨を思わせるような曇り空の下・・・冷気がよどんでいます。
庭のモミジの色は、グレーのフィルターが掛かったようにくすんでいます。
今日のこの地に、秋の爽やかさはありません・・・。
それでも、私は、こんな沈んだ秋の日が嫌いではないのです。
季節がくれた静かな日を、どこか楽しんでいる自分に気付いています・・・。
さて、D様 ー 。
先日、洗濯しようとした時・・・私は、シーツにピンクのシミが付いていることに気付きました。
血液を薄めたような色の液体が、ポトンと落ちたような感じです。3ヶ所ありました。
以前も、同じシミが付いていたことがありましたが、また始まりました・・・。
ここ1週間くらい、私は起床時に、膝に違和感を感じていました。関節が妙にギクシャクするのです。
そして、起き上がると、足の付け根のあたりにも、軽い痛みが走ります。
原因に心当たりはありません・・・。
特に激しい運動をしたわけでもなく、捻ったわけでもなく・・・また、私はまだ、歳のせいと言われるほどの高齢でもありません。
ならば、朝のこの症状の原因は何なのでしょう・・・。
D様、私は、脚の関節に危害を加えられているような・・・そんな気がしています。
今までの身体への危害・・・腕や脚の注射痕、メスの痕、低温ヤケドのような痕、朝起きると硬直している手、背中の引っかき傷、視覚の異常・・・これらを鑑みれば、私の推測は、決して見当はずれなことではないと、お分かり頂けると思います。
何よりも、このシーツに付いたピンクのシミは、何なのでしょう・・・?
私は、脚の関節から、骨髄液のようなものが抜かれているような気がしています。
少しづつ、すこしづつ・・いつの間にか・・・それは、この犯罪の特徴のひとつです。
D様、私は、脚に異常が起きる日が来るのでしょうか・・・。
私は今、ある被害者の言葉を思い出しています。
「この奴らは、どんな手段を使っても家に侵入してくる・・・。」
ドアチェーンがいつの間にか長くなっていた事実、サッシ戸が外されていた形跡・・・これらはその言葉を裏付けています。知らない間にまた、どんな細工がなされているか分かりません・・・。
唐突ですが、D様 ー 。
アメリカのギャング ー アル・カポネについては、勿論ご存知のことと思います。
彼は、1920年代に、シカゴの暗黒街を牛耳った伝説のギャングです。
彼は、1919年に制定された禁酒法を逆手にとり、酒の密売で巨額の利益をむさぼりました。
対立組織との抗争などの中で、様々な罪に問われましたが、彼は、目撃者や陪審員を買収したり脅したりして、巧みに罪を逃れたといいます。
そんなカポネが、刑務所に入るきっかけとなったのは・・・「脱税」でした。
巧みに罪を逃れるカポネに、司法当局は知恵を絞り、この容疑で起訴したのでした。
彼は、この罪で約12年の刑を言い渡され、服役することになりました。
アルカトラズ刑務所でのカポネは、権勢を誇ったボスの片鱗もなく、毛布を被って泣いたりしたと言います。
どんなに権勢をもち、人から恐れられた人間でも、裸にし、そのふんぞり返っている椅子を取り上げれば、このようになるのです。それは、歴史も証明していると思います。
第二次世界大戦中ー。
アウシュビッツをはじめ、ヨーロッパ各地に作られたユダヤ人収容所・・・ナチスの将校、兵士、そして看守たちは、囚われたユダヤ人たちに、残虐な行為を繰り返していました。
ホロコーストと言われる大量虐殺は言うにおよばず、人体実験や虐待行為を日常的に行なっていたのです。彼らは、ナチスという巨大な組織を背景に、人間としての心を失ったのです・・・。
この出来事は、人類が未来永劫、語り継ぐべき、許されざる大罪だと言えるでしょう。
戦後、その責任者たちは罪を問われました。
捕らえられた者もいれば、逃亡を謀った者もいました。
ナチスという後ろ盾を失くした彼らは、その罪に怯え、或いは、罪を逃れようと言い訳に終始する・・・小心な臆病者でしかありませんでした。
逃げ延びた者も、その執拗な追っ手の影に怯え、心休まる時はなかったはずです。
彼らは、一生涯逃れることの出来ない罰を受け続けたのです・・・。
ナチスのような巨大な組織でも、それを構成する者たちは、その制服を脱がし、組織から引き離してみれば、心細げな顔を見せる小心者でしかありません。
アル・カポネも晩年は、悪夢にうなされ、泣き叫ぶ夜も多かったと言います。
アル・カポネは、様々な罪を逃れ続けましたが、「脱税」の罪だけは逃れることが出来ませんでした。
帳簿を徹底的に調べられ、言い逃れが出来ない状況に追い詰められたのです・・・。
そして、有罪が宣告され、服役することになりました。
さて、「集団ストーカー」と呼ばれているこの組織犯罪 ー 。
多くの被害者が、この組織からの加害行為に苦しんでいます。
しかし、その立証は簡単なことではなく、被害を訴えれば「精神異常者」とされる構造になっています。
加害組織は、被害者を「精神異常者」とすることで、犯罪を隠蔽するのです。
しかし、被害者の数の多さは、犯罪を有り得ないとする者たちを、今、崖っぷちに追い込んでいます。この犯罪が、現実に起きていることは、否定できない段階に来ているのです。
私は、以前にも書きましたが、この組織犯罪の主体はKであろうと考えています。
それは、私自身の体験から考察した結論です。
この犯罪は、一個人や一団体が出来るものではありません。被害者が住む地域のみならず、全国に緊密なネットワークをもつ組織でなければ不可能なのです。そして、多くの協力者の存在や、専門的かつ大掛かりなハイテク機器の使用は、経費の豊富さを物語っています。
(こうして、今、私がワードで書いている時も、カーソルが勝手に動いたり、突然、文字が大きくなったり、アンダーラインが引かれたり・・・それがインターネットにつないでいない状態で起きているのです。)
私は以前、政府は、Kの予算の使途を徹底的に調べるべきだと提唱しました。
予算の使途を、詳細に調査してほしいと ー 。
経費が何に使われ、誰に支払われ、そして何を買い、それはどこにあるのか ー それを詳細に調べていけば、Kの活動の全容が浮かび上がってくるはずです。捜査の「秘密」や「支障」などという言葉に惑わされず、毅然と実行して欲しい・・・そう願っています。
税金で運営されている、国民のための組織を調査するのに、何をはばかることがあるでしょう。
閉鎖されている組織には、腐敗や暴走が生じるのが常なのです ー 。
私は、この社会の根底には、不正義を排し、非道を憎むという倫理が、確かに存在していると信じています。社会のその潮流が、この犯罪を暴いていく日が必ず来るはずです。
その日まで、被害者は臆することなく声を上げ続けて欲しい・・・。
正義は、被害者側にあるのですから・・・。
さてD様ー。
前回の続きを書くことにします。
Fさんは、昨年の8月に貸家を退去しました。
そのままになっていた土地に、建築許可の要らないプレハブ小屋を建てたのです。
小屋は6畳一間ほどですから、生活するというよりも、寝るのがやっとのものでした。
彼らは、置くところのない生活用品を、農機具などを入れる物置小屋に入れました。
キッチンは、小屋に隣接したところに、流し台を置き、雨風が入らないように屋根をつけました。
風呂は囲いを作り、当初は露天 ー 水道は近くの家からのもらい水でした ー 。
しかし、もともとが楽天家で、気取りのないFさんたちは、その生活を楽しんでいる様子でした。畑を手入れし、もともとあった広い庭をきれいに整備し、芝を植え・・・。
「狭いながらも楽しい我が家・・これで充分よ」
奥さんは、立ち寄った私たちに、笑いながら言うのでした。
日の出と共に起き、畑仕事をし、日暮れとともに晩酌をして寝る ー という生活は、誰にも気兼ねのない、悠々自適な日々のようでした。
Fさんたちが去り、うちの貸家は、また空き家になりました。
空き家だらけの我が家の周辺に、また1軒空き家が増えたのです・・・。
以前、Fさんたちが、「もうずっとここに居てもいい」と言っていたのは、半ば本音だったと思います。
しかし、彼らはその後、プレハブ小屋を建てる決心をしました。
それは、何がきっかけだったのでしょう?
D様、私はその理由がわかるような気がします・・・。
Fさんたちが退去する2ヶ月ほど前のこと ー 。
私は、パルと散歩に行くために、病院の駐車場を通り抜けようとしました・・・・。
駐車場の入り口に差し掛かった時・・・猫の鳴き声が聞こえてきました。
私は足を止めて、あたりを見回しました。
駐車場に入ってすぐの、フェンスのあたりに黒い猫が見えました。
パルが猫をみて興奮し、吠え始めました。
私は慌てて、リードを強く引きながら、猫をよく見ようとしました・・が、姿を隠してしまいました。
「捨て猫らしいけど、誰がこんなところに・・・」
誰かがエサをやったらしく、フェンスのそばに白いポリ容器がありました。
私は、気がかりでしたが、パルの興奮をなだめ散歩に戻りました。
病院の駐車場にいた猫は、トラと黒の2匹でした。
猫たちは夜になると、Fさん宅の縁の下にもぐり込んでいるのです。
病院の駐車場は、猫を捨てるのには不適切な場所です。車の出入りとや、アスファルト敷きの固い地面を考えるとそう思います。
猫はそもそも、Fさん宅の裏に捨てられたのかも知れない・・・私はそんな気がしました。
昼はすぐ筋向かいの病院の方に行き、誰かにエサを貰っていた・・。
Fさんは、猫が嫌いなようでした。
以前から、家の周りには、猫よけのペットボトルが置いてありました。
私が、さりげなく奥さんに訊いてみたところ ー 、
「ウチの人が苦手でねぇ・・・犬は好きなんだけど・・・」
「そうでしたか・・・ウチの猫が迷惑かけるようなことがあったら、遠慮なく追い払ってくださいね。」
「いえいえ、それはありませんから・・・」
奥さんは、笑いながら否定するのでしたが・・・。
よりにもよって、猫たちは、そんなFさん宅の縁の下に居ついてしまったのです・・・。
私は困りました。
生まれてから、1~2ヶ月位しか経っていないような子猫ですが、すばしっこいのです。
捕まえようとしても、警戒心が強くて寄ってきません。エサでつろうとしても、人が側にいると近づいて来ないのです。
Fさんは、床の下に猫が住み付いたのですから、居たたまれなかったに違いありません。
「エサをやらないようにすれば、どこかに行ってしまうよ。」
夫はそう言うのでした。
私は、何日かエサを与えませんでした・・・。
しかし、猫たちはバテる様子もなく、あたり動き回っています。
誰かにエサをもらっていたのでしょう・・・。
猫はすっかり居ついてしまいました。
Fさんたちは、猫のことは何も言いませんでした。
しかし、Fさんたちが貸家を退去したのは、それから2ヶ月ほど経った頃でした・・・。
D様、私は今になって疑問に思います。
猫は誰が捨てていったのだろうと・・・。
Fさんが猫嫌いであることは、家の周りに置いたペットボトルを見れば、誰にでも分かります。
あえて、そんなところに猫を捨てるとは・・・・。
私は以前の出来事 ー 。
Fさん宅の前に死んでいた蛇、ポルノ写真の携帯電話、夜中の水の音・・・これらは、Fさんがターゲットだったのではないか・・・そんな気がしているのです。
Fさんを、退去させるための嫌がらせだったのではないかと ー 。
そして、猫もまた・・。
Fさんの退去により、我が家の周りには、また空き家が増えました。
そしてその後、私たちに対する、組織犯罪者たちの加害行為は、エスカレートしていったのです・・・。
さて、D様ー。
2週間ほど前のことです。
私は夕食の準備をしていました。その合間、用事があり洗面所に行った時のことー。
外から「キャーッ」という女性の悲鳴が聞こえました・・・。
この続きを、次回の手紙に書かせて戴きます。
D様、この晩秋の日々を楽しんでいらっしゃいますでしょうか?
毎日が良き日でありますよう ー 。
2009・11.26
万 留 子


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