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(28)

D 様



梅雨を思わせるような曇り空の下・・・冷気がよどんでいます。
庭のモミジの色は、グレーのフィルターが掛かったようにくすんでいます。
今日のこの地に、秋の爽やかさはありません・・・。
それでも、私は、こんな沈んだ秋の日が嫌いではないのです。
季節がくれた静かな日を、どこか楽しんでいる自分に気付いています・・・。


さて、D様 ー 。
先日、洗濯しようとした時・・・私は、シーツにピンクのシミが付いていることに気付きました。
血液を薄めたような色の液体が、ポトンと落ちたような感じです。3ヶ所ありました。
以前も、同じシミが付いていたことがありましたが、また始まりました・・・。

ここ1週間くらい、私は起床時に、膝に違和感を感じていました。関節が妙にギクシャクするのです。
そして、起き上がると、足の付け根のあたりにも、軽い痛みが走ります。
原因に心当たりはありません・・・。
特に激しい運動をしたわけでもなく、捻ったわけでもなく・・・また、私はまだ、歳のせいと言われるほどの高齢でもありません。
ならば、朝のこの症状の原因は何なのでしょう・・・。

D様、私は、脚の関節に危害を加えられているような・・・そんな気がしています。
今までの身体への危害・・・腕や脚の注射痕、メスの痕、低温ヤケドのような痕、朝起きると硬直している手、背中の引っかき傷、視覚の異常・・・これらを鑑みれば、私の推測は、決して見当はずれなことではないと、お分かり頂けると思います。

何よりも、このシーツに付いたピンクのシミは、何なのでしょう・・・?
私は、脚の関節から、骨髄液のようなものが抜かれているような気がしています。
少しづつ、すこしづつ・・いつの間にか・・・それは、この犯罪の特徴のひとつです。
D様、私は、脚に異常が起きる日が来るのでしょうか・・・。

私は今、ある被害者の言葉を思い出しています。
「この奴らは、どんな手段を使っても家に侵入してくる・・・。」
ドアチェーンがいつの間にか長くなっていた事実、サッシ戸が外されていた形跡・・・これらはその言葉を裏付けています。知らない間にまた、どんな細工がなされているか分かりません・・・。


唐突ですが、D様 ー 。
アメリカのギャング ー アル・カポネについては、勿論ご存知のことと思います。
彼は、1920年代に、シカゴの暗黒街を牛耳った伝説のギャングです。

彼は、1919年に制定された禁酒法を逆手にとり、酒の密売で巨額の利益をむさぼりました。
対立組織との抗争などの中で、様々な罪に問われましたが、彼は、目撃者や陪審員を買収したり脅したりして、巧みに罪を逃れたといいます。

そんなカポネが、刑務所に入るきっかけとなったのは・・・「脱税」でした。
巧みに罪を逃れるカポネに、司法当局は知恵を絞り、この容疑で起訴したのでした。
彼は、この罪で約12年の刑を言い渡され、服役することになりました。

アルカトラズ刑務所でのカポネは、権勢を誇ったボスの片鱗もなく、毛布を被って泣いたりしたと言います。

どんなに権勢をもち、人から恐れられた人間でも、裸にし、そのふんぞり返っている椅子を取り上げれば、このようになるのです。それは、歴史も証明していると思います。

第二次世界大戦中ー。
アウシュビッツをはじめ、ヨーロッパ各地に作られたユダヤ人収容所・・・ナチスの将校、兵士、そして看守たちは、囚われたユダヤ人たちに、残虐な行為を繰り返していました。
ホロコーストと言われる大量虐殺は言うにおよばず、人体実験や虐待行為を日常的に行なっていたのです。彼らは、ナチスという巨大な組織を背景に、人間としての心を失ったのです・・・。
この出来事は、人類が未来永劫、語り継ぐべき、許されざる大罪だと言えるでしょう。

戦後、その責任者たちは罪を問われました。
捕らえられた者もいれば、逃亡を謀った者もいました。
ナチスという後ろ盾を失くした彼らは、その罪に怯え、或いは、罪を逃れようと言い訳に終始する・・・小心な臆病者でしかありませんでした。
逃げ延びた者も、その執拗な追っ手の影に怯え、心休まる時はなかったはずです。
彼らは、一生涯逃れることの出来ない罰を受け続けたのです・・・。

ナチスのような巨大な組織でも、それを構成する者たちは、その制服を脱がし、組織から引き離してみれば、心細げな顔を見せる小心者でしかありません。

アル・カポネも晩年は、悪夢にうなされ、泣き叫ぶ夜も多かったと言います。

アル・カポネは、様々な罪を逃れ続けましたが、「脱税」の罪だけは逃れることが出来ませんでした。
帳簿を徹底的に調べられ、言い逃れが出来ない状況に追い詰められたのです・・・。
そして、有罪が宣告され、服役することになりました。

さて、「集団ストーカー」と呼ばれているこの組織犯罪 ー 。
多くの被害者が、この組織からの加害行為に苦しんでいます。

しかし、その立証は簡単なことではなく、被害を訴えれば「精神異常者」とされる構造になっています。
加害組織は、被害者を「精神異常者」とすることで、犯罪を隠蔽するのです。
しかし、被害者の数の多さは、犯罪を有り得ないとする者たちを、今、崖っぷちに追い込んでいます。この犯罪が、現実に起きていることは、否定できない段階に来ているのです。

私は、以前にも書きましたが、この組織犯罪の主体はKであろうと考えています。
それは、私自身の体験から考察した結論です。

この犯罪は、一個人や一団体が出来るものではありません。被害者が住む地域のみならず、全国に緊密なネットワークをもつ組織でなければ不可能なのです。そして、多くの協力者の存在や、専門的かつ大掛かりなハイテク機器の使用は、経費の豊富さを物語っています。

(こうして、今、私がワードで書いている時も、カーソルが勝手に動いたり、突然、文字が大きくなったり、アンダーラインが引かれたり・・・それがインターネットにつないでいない状態で起きているのです。)


私は以前、政府は、Kの予算の使途を徹底的に調べるべきだと提唱しました。
予算の使途を、詳細に調査してほしいと ー 。
経費が何に使われ、誰に支払われ、そして何を買い、それはどこにあるのか ー それを詳細に調べていけば、Kの活動の全容が浮かび上がってくるはずです。捜査の「秘密」や「支障」などという言葉に惑わされず、毅然と実行して欲しい・・・そう願っています。

税金で運営されている、国民のための組織を調査するのに、何をはばかることがあるでしょう。
閉鎖されている組織には、腐敗や暴走が生じるのが常なのです ー 。

私は、この社会の根底には、不正義を排し、非道を憎むという倫理が、確かに存在していると信じています。社会のその潮流が、この犯罪を暴いていく日が必ず来るはずです。
その日まで、被害者は臆することなく声を上げ続けて欲しい・・・。
正義は、被害者側にあるのですから・・・。



さてD様ー。
前回の続きを書くことにします。

Fさんは、昨年の8月に貸家を退去しました。
そのままになっていた土地に、建築許可の要らないプレハブ小屋を建てたのです。
小屋は6畳一間ほどですから、生活するというよりも、寝るのがやっとのものでした。

彼らは、置くところのない生活用品を、農機具などを入れる物置小屋に入れました。
キッチンは、小屋に隣接したところに、流し台を置き、雨風が入らないように屋根をつけました。
風呂は囲いを作り、当初は露天 ー 水道は近くの家からのもらい水でした ー 。

しかし、もともとが楽天家で、気取りのないFさんたちは、その生活を楽しんでいる様子でした。畑を手入れし、もともとあった広い庭をきれいに整備し、芝を植え・・・。
「狭いながらも楽しい我が家・・これで充分よ」
奥さんは、立ち寄った私たちに、笑いながら言うのでした。

日の出と共に起き、畑仕事をし、日暮れとともに晩酌をして寝る ー という生活は、誰にも気兼ねのない、悠々自適な日々のようでした。

Fさんたちが去り、うちの貸家は、また空き家になりました。
空き家だらけの我が家の周辺に、また1軒空き家が増えたのです・・・。

以前、Fさんたちが、「もうずっとここに居てもいい」と言っていたのは、半ば本音だったと思います。
しかし、彼らはその後、プレハブ小屋を建てる決心をしました。
それは、何がきっかけだったのでしょう?

D様、私はその理由がわかるような気がします・・・。

Fさんたちが退去する2ヶ月ほど前のこと ー 。
私は、パルと散歩に行くために、病院の駐車場を通り抜けようとしました・・・・。
駐車場の入り口に差し掛かった時・・・猫の鳴き声が聞こえてきました。
私は足を止めて、あたりを見回しました。

駐車場に入ってすぐの、フェンスのあたりに黒い猫が見えました。
パルが猫をみて興奮し、吠え始めました。
私は慌てて、リードを強く引きながら、猫をよく見ようとしました・・が、姿を隠してしまいました。

「捨て猫らしいけど、誰がこんなところに・・・」

誰かがエサをやったらしく、フェンスのそばに白いポリ容器がありました。
私は、気がかりでしたが、パルの興奮をなだめ散歩に戻りました。

病院の駐車場にいた猫は、トラと黒の2匹でした。
猫たちは夜になると、Fさん宅の縁の下にもぐり込んでいるのです。

病院の駐車場は、猫を捨てるのには不適切な場所です。車の出入りとや、アスファルト敷きの固い地面を考えるとそう思います。

猫はそもそも、Fさん宅の裏に捨てられたのかも知れない・・・私はそんな気がしました。
昼はすぐ筋向かいの病院の方に行き、誰かにエサを貰っていた・・。

Fさんは、猫が嫌いなようでした。
以前から、家の周りには、猫よけのペットボトルが置いてありました。
私が、さりげなく奥さんに訊いてみたところ ー 、
「ウチの人が苦手でねぇ・・・犬は好きなんだけど・・・」
「そうでしたか・・・ウチの猫が迷惑かけるようなことがあったら、遠慮なく追い払ってくださいね。」
「いえいえ、それはありませんから・・・」
奥さんは、笑いながら否定するのでしたが・・・。

よりにもよって、猫たちは、そんなFさん宅の縁の下に居ついてしまったのです・・・。

私は困りました。
生まれてから、1~2ヶ月位しか経っていないような子猫ですが、すばしっこいのです。
捕まえようとしても、警戒心が強くて寄ってきません。エサでつろうとしても、人が側にいると近づいて来ないのです。

Fさんは、床の下に猫が住み付いたのですから、居たたまれなかったに違いありません。


「エサをやらないようにすれば、どこかに行ってしまうよ。」
夫はそう言うのでした。
私は、何日かエサを与えませんでした・・・。

しかし、猫たちはバテる様子もなく、あたり動き回っています。
誰かにエサをもらっていたのでしょう・・・。
猫はすっかり居ついてしまいました。

Fさんたちは、猫のことは何も言いませんでした。
しかし、Fさんたちが貸家を退去したのは、それから2ヶ月ほど経った頃でした・・・。

D様、私は今になって疑問に思います。
猫は誰が捨てていったのだろうと・・・。

Fさんが猫嫌いであることは、家の周りに置いたペットボトルを見れば、誰にでも分かります。
あえて、そんなところに猫を捨てるとは・・・・。

私は以前の出来事 ー 。
Fさん宅の前に死んでいた蛇、ポルノ写真の携帯電話、夜中の水の音・・・これらは、Fさんがターゲットだったのではないか・・・そんな気がしているのです。
Fさんを、退去させるための嫌がらせだったのではないかと ー 。
そして、猫もまた・・。

Fさんの退去により、我が家の周りには、また空き家が増えました。
そしてその後、私たちに対する、組織犯罪者たちの加害行為は、エスカレートしていったのです・・・。


さて、D様ー。
2週間ほど前のことです。
私は夕食の準備をしていました。その合間、用事があり洗面所に行った時のことー。
外から「キャーッ」という女性の悲鳴が聞こえました・・・。

この続きを、次回の手紙に書かせて戴きます。



D様、この晩秋の日々を楽しんでいらっしゃいますでしょうか?
毎日が良き日でありますよう ー 。


                                                 

                                                  2009・11.26
                                                       万 留 子

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(27)

D 様



今日のこの地の空は、真綿を薄く伸ばしたような曇に覆われています。
時おり、雲の合間から射す陽光には、もう地面を熱する激しさはありません。
太陽は、寒い季節への身支度を整えたようです・・・。
私は昨日、久しぶりに町の郊外へ出ましたが、紅葉は鮮やかさを失くしつつありました。
木々の葉は薄茶色となり、その枝から落ちようとしています。
来年、若葉となって蘇るために・・・。


D様 ー 。
タレントの清水由貴子さんが亡くなられてから、もう7ヶ月が経ちました。
彼女の死は自殺でした・・・。
彼女をそこまで追い込んだのは何だったのでしょう?

マスメディアは「介護疲れ」と報道しました。
確かに、彼女は母親を介護していました。介護が大変なものであることは、想像に難くありません。
当然、疲れることもあるでしょう。
しかし、母親が大好きで、何よりも大切にしていた彼女が、それを理由に自殺を選ぶものでしょうか・・・。

今、インターネット上の多くのサイトに、清水由貴子さんの自殺の真の理由が書き込まれています。
彼女を疲れさせたもの、自殺へと背中を押したもの ー それは「介護疲れ」などではないと・・・。

彼女は生前、集団ストーカーの被害を訴えていました。
そのことは、T氏が主宰するサイト「AGSAS」に詳しく出ています。
彼女が、T氏と会って、その被害を訴えた時の録音が残っており、それが文字に起こされて掲載されているのです。その内容は、多くの被害者の訴えと共通するものがあり切実です。

彼女が、集団ストーカーの被害を訴えていたのは、確かな事実として残っているのです。
そして確かなことは、彼女は「介護に疲れた」などとは一言も言っていないということー。

マスメディアは、彼女が「集団ストーカーの被害を訴えていた事実」を報道せずに、誰にも言っていない「介護疲れ」を、自殺の理由としたのでした。

一昨日、朝のテレビ番組で、清水由貴子さんの妹さんが、本を出したことを報道していました。
妹さんなりに、姉である清水由貴子さんの死について、考えられたのでしょう・・・。
しかし、私はその本の題名に違和感をもちました。
本のタイトルは「介護うつ」です。

D様 ー 。
私も8年前に姉を亡くしています。長い闘病の末の旅立ちでした・・・。
姉を思えば、今も胸が熱くなります。

もし、姉を思って本を書くとすれば、私は彼女がその本の中で、生き生きと蘇るような内容、そしてタイトルにすると思います。逝去した理由を本の題名にはしません。

「介護うつ」・・・このタイトルは、今、生きておられるお母さんへの配慮もありません。
娘が、自分の介護の為に「うつ」になり、死を選んだのだとすれば・・・母親としては耐えられないことでしょう。

この本のタイトルは、妹さんが自発的に付けたのではないような気がします。
私は、出版社サイドの誘導があったのでは・・・と想像しています。

ネット上で、清水由貴子さんの自殺の理由は「集団ストーカー」の被害によるもの ー と取りざたされ、その声が大きくなりつつある今、それ打ち消すように「介護うつ」というタイトルの本が出版されたのです・・・。




さてD様ー。
前回の続きを書くことにします。


家の敷地内にある貸家には、昨年の8月まで老夫婦が住んでいました・・・。

入居が決まったのは、夫の知人の紹介でした。一昨年の5月のことです。
町の郊外に家を建てるので、完成までの間、3ヶ月くらい借りたいと言うのでした。

空き家でしたので、私たちに異存はありませんでした。
この御夫婦 ー Fさんたちは、間もなく入居しました。

Fさん夫婦は隣のM県出身でした。
彼らは結婚後、間もなく首都圏のS県に移り、土木工事の小さな会社を経営していました。
そして、高齢期に入り、その会社を息子に任せて、この地で老後を過ごすことにしたのです。

彼らは、この町の郊外に畑付きの古い家を買いました。
好きな農業をしながらのんびりと暮らすことにしたのです。

しかし、久しく人が住んでなかった家は、思いのほか傷んでいました。結局、その家は取り壊して、新たに小さな家を建てることになりました。
うちの貸家に入居したのは、その古い家を取り壊し始めた頃でした。

Fさんは、もともと土木工事の会社を経営してましたから、家の解体はスムーズに進みました。
難なく解体を終え、敷地を整備しました。
そして、建築申請という段階になり・・・計画は思いがけない壁に阻まれたのでした。

彼らの土地には、家を建てることが出来なかったのです・・・。
敷地に接する道路の幅が、規定の長さに達していなかったのでした。
以前の家が建てられた当時は、問題はなかったのですが、その後の法律の改正により、家を建てる際の道路幅の規定を満たさなくなっていたのです。

Fさん夫妻は慌てました。
家が建たなければ、老後の予定はすっかり狂ってしまいます。それまでに、つぎ込んだ費用も小さな額ではありません。家が建たない土地だけが残ってどうするのでしょう・・。

彼らは、法律的に救済の道はないものかと、方々をあたりました。
しかし、法律の壁は頑として立ち塞がっていました。
以前の家が残っていれば、改装するという形がとれましたが、取り壊したあとですから、どうにもなりませんでした。
事態を変えることが出来ないまま、日にちが経過していきました。
完成まで3ヶ月という彼らの予定は、大幅に狂ってしまいました・・・。

私たちも、何か方策はないかと、いろんな人に相談しました。
しかし、法律の壁は立ち塞がったままでした。

Fさんは途方に暮れました・・・。
3ヶ月という予定は延び、彼らは私たちに「すみません」と謝るのでした。
律儀な人たちなのです。

「Fさん、謝られることは何もありませんから ー 。」
私はむしろ、ずっと居て欲しいくらいでした。

「何年でも居てください。同じ敷地内に、家族同様に住めばいいじゃないですか・・・と言っても、何年も家が建たなきゃFさんが困るか・・・」
私たちは他愛のない冗談で笑い合いました。

Fさんの奥さんは、「ウチの人も、もうずっとここに住んでもいいって・・・諦めているんですよ」と笑いながら言いましたが、半ば本音だったと思います。

Fさんは、貸家から畑に通うという生活になりました。
朝早く、弁当やお茶を持って畑に出かけるのです。そして、夕方に帰って来ます。
どちらも生家は農家だとのことで、畑仕事は慣れていますし、好きなのでした。


そんな夏の暑い日でした・・・。
私は所用で出かけ、夕方に帰ってきました。
車で家の前にさしかかった時 ー 道路に何か落ちているのが見えました。
濡れた布きれのような ー 。
「何だろう・・・」
私は車の速度を落とし、ウインドウ越しにそれを見ました。

蛇でした・・・。
長さ7,80センチくらいの蛇が道路端に伸びていました。
死んでいるようで、全く動きません・・・。

我が家の周辺は、家が立ち並んでいて蛇が生息しているようなところはありません。
それまでにも、辺りで蛇を見たことなどありませんでした。

蛇は、Fさん宅の前 ー 道路を挟んだ向かい側に死んでいました。
今は空き家となっている建物のすぐ側です。
「これはいつからここにあるのだろう・・・」
私は信じられない思いでそれを見ていました。

Fさんは畑に行っていて、その日もまだ、帰って来てませんでした。
私は、道路を管理する役場に電話をすることにしました。
家の敷地内に車を停めて、携帯から電話をしようとした時、受信のメロディが鳴りました。

友達からの久しぶりの電話・・・・長くなりました。
話を終えた時は、時刻は5時をだいぶ回り、役場の退庁時刻は過ぎていました。

私は、買ってきた夕食の材料の鮮度が気になり、慌てて家に入りました。
そして、蛇のことは気掛かりでしたが、夕食の準備に取りかかりました・・・。

その夜、夫に蛇のことを話すと「こんなところに蛇が出るのかー?」と驚き、
「Fさんも嫌な思いをするだろうから、明日早く、役場に電話して片付けてもらった方がいい」と言うのでした。
勿論、そうするつもりでした。

しかし、翌朝 ー 。
朝食前に行って見ると、蛇はありませんでした・・・。
私はFさんに訊いてみました。
「エッ・・・蛇? そんなのいたの・・。昨日は、帰るのが少し遅くなって、暗くなってたから・・・気がつかなかった・・・」
Fさんは、キョトンとした顔で言うのでした。

私が見たのは、5時少し前 ー 家に入ったのが5時半頃でした。
Fさんが帰って来たのは、暗くなってからですから、午後7時位にはなっていたでしょう。
あたりが暗ければ、気が付かないということも考えられます。
いずれにしろ、蛇は私が見てから、今朝までの間に片付けられたことになります・・・。

D様ー。
蛇は、まるで私が見たのを期に片付けられたような・・・そんな気がしてなりません。


それから間もなくのある日 ー 。
私は、コンビニで買い物をした帰り、Fさん宅の前を通りました。

すると、玄関前に、薄緑色の小さな物が落ちているのが目に入りました・・・。
立ち止まって見ると携帯電話でした。落としたというよりも、そこに置いたという感じでした。
「アレッ・・行く時はなかったのに・・・。」
コンビにまでは200メートル位の距離ですから、あるいても数分です。
買い物をして戻るまでに10分とかかっていません。

私は不審に思いつつ、それを拾いました。
そして、何気なく折りたたんであった画面を広げて驚きました・・・。
ハードコアのポルノ写真が目に飛び込んで来たのです。
全裸の女性が性器を露にして写っています・・・。

驚きました・・・が、この歳になれば、そんなものに顔を赤らめて、悲鳴を上げることはありません。
私は、携帯電話に残された情報を調べようとしました。
しかし、電話番号をはじめ、情報の一切は消されていました・・・。

私を、それをどうするべきか迷いました。
そのままFさんの玄関前に置いておくわけにはいきません。Fさんの奥さんが、画面を見たら腰を抜かすことでしょう。それに、この嫌がらせのターゲットは、私であることは間違いないと思いました。
私がコンビニに行き、帰る時間を見計らって、誰かが置いたものなのでしょう。

取り合えず事務所に持ち帰り、ナイロン袋に入れて机の中に保管しました。
警察に届けようとも思いましたが、金額的な価値はゼロですし、こちらの被害も一瞬驚いたくらいで、実害はありません。そのまま様子をみることにしました・・・。


Fさんの、自分の土地に家が建てられないという事情は変わりませんでした。
いつか建てたいという希望は持っているようでしたが、その一方で、借りている家から畑に行くという日常も楽しんでいるかのようでした。


そんなある日 ー 。
犬の毛づくろいをしてい私に、Fさんの奥さんが話しかけて来ました。
「なんかね・・・夜に寝てる時に水の音がするのよ・・今まではそんな音はしなかったんだけど・・・どこか水道が漏れているんじゃないかしらね。」
貸家のすぐ北側には、幅が2メートルほどの川が流れています。道路や敷地からの雨水や、浄化した生活用水は、その川に流れて行きます。

私は川に行って、排水口を見てみました。微かに水が流れていました。
そんなところを、気を付けて見たのは初めてでした。通常の水量が分からないのですから、見たところで、何か分かるわけでもありません・・・。

日中には気付かない水の音が、深夜になると大きく耳障りに聞こえてくる ー ということは考えられます。私は、念のため水道設備の会社に電話をしました。

そして、漏水を調べて貰ったのですが、漏れているところはありませんでした。
「どこか、出しっぱなしのところがあるんじゃないですか?」
「いえ・・・それはないです。」
狭い家の中で、出しっぱなしがあれば、すぐ気付くはずです。ましてや夜中に ー 。
結局、夜中の水の音の原因は分かりませんでした。

Fさんは、その後も水の音が気になるようでした・・・。

私が、ガスライティングの手法に「ノイズキャンペーン」があることを知ったのは、その後、間もなくでした。不自然な水の音 ー それは、被害者たちが訴える加害手段のひとつなのでした。

Fさん夫婦が貸家に住んでいのは、結局、1年と2ヶ月間でした。
ずっと居て欲しかったのですが、退去していきました。
そのきっかけとなったのは・・・。

D様、この続きを次回の手紙に書きたいと思います。



インフルエンザの流行が騒がれています。
どうか、くれぐれも御自愛くださいますよう ー 。



                                                2009.11.20
                                                       万 留 子



《追伸》

D様、私は昨夜、この手紙を書きました。
使用したノートパソコンをカバンに入れ、就寝したのは日付が変わったころでした。
その時、パソコンには何の異常もありませんでした。
しかし、今日、ブログを更新しようとパソコンを開いたら、キーボードが埃にまみれていました。
そして、マウスが全く効かなくなっていたのです・・・。

家宅侵入の形跡は今も続いています。
D様、この犯罪の卑劣さは他に類を見ません・・・。



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(26)

D 様


昨日、この地に降り注いだ雨は、明け方には止みました。
今日の空には、雨の名残りの濃いグレーの雲が浮かんでいます。
雲は大気に動かされ、陽射しが時おり、この町を照らしますが、
秋の清涼さはなく、どんよりした空気があたりに漂っています・・・。
この静かな日に、私はあなたへの手紙を書いています。


D様 ー 。
先日、私は、あるハイテク機器に驚かされました。インターネット上の、あるサイトに掲載されていたのです。
それは、歯の中にレシーバーをインプラントする技術についてでした。

デジタル信号を受信できるレシーバーを、歯に埋め込めば、受信機を持つことなく、外部からの声や音を聞くことが出来るというのです。応用は多岐にわたり可能で、その技術は、少なくとも7年前には開発されていたのでした。

D様、あなたはすでに御存知だったのかも知れません。

ハイテク機器は日進月歩で進化しています。この間は、ペン型の録画機が安価で売られていることに驚いたのですが、このインプラントレシーバーも、一般に、普及する日は近いのでしょうか・・・。

この組織犯罪の被害者の中には、「歯に盗聴器をインプラントされる」などと言う人がいます。私はそんなサイトは、Kの息がかかったものか、自作自演だろうと思っていました。
しかし、技術的には可能な時代になっているのです。
治療を受けてる歯科医院で、いつの間にか・・というようなことも、有り得ない話ではありません。
この犯罪の協力者は、どの分野にでもいるのですから・・・。

被害者の中には、電磁波や超音波による被害を訴える人も少なくありません。
エキセントリックに騒ぎ立てているようなサイト(これも、Kによる自作自演だと言われています)も多いのですが、これを排除しつつ検索を続けていくと、被害者の切実な訴えに行き当たります。

電磁波を放つ銃や機器は、現実に存在していますし、それらの写真を掲げて被害を訴えている人たちもいます。被害者が訴える被害の実態は、具体的であり現実味があります。

被害を訴える人を、精神異常者に仕立て上げようとしても、もう無理な段階が来ているのだと思います。
この組織犯罪は、この日本の社会で生きる誰もが、被害者になる可能性があります。
そして、その確率は小さいものではありません。
社会がこの問題を認知し、犯罪の暴露に取り組むべき時は、とっくに来ているのです。

実はD様、この電磁波の被害には、私自身も遭っていると考えています。
キーンという耳鳴りと共に、ピリピリしてくる肌、そして、全身の血液が細かく波打つような感覚・・・。

それは、日常的に私を襲っています。

電磁波が、身体に悪影響を及ぼすことは知られています。
私の健康が蝕まれていくとすれば、D様、その病気と症状を、あなたに詳細に報告していきます。
症状に、電磁波の被害を訴える人たちと、共通するものがあれば、また、研究により判明している、身体への影響と共通するものがあれば、その被害の可能性は濃厚となります・・・。



さて、前回の続きを書くことにします。

その日のブライティングは、続きました・・・。

私とパルは、公園を出て、来た道を戻りました。
そして、先刻は渡らなかった橋を渡り、向こう岸に向かいました。
橋は、片側一車線で、それぞれ歩道が付いています。

あたりは暗さを増していました。
歩道を歩く私たちの側を、時おり車が行きかいます。

向こうから人が歩いて来ました・・・。
黒っぽいトレーナーの上下に、白いキャップを被っています。
歩く動きに合わせ、手元の光が揺れています。懐中電灯を持っているようでした。
光の輪が、足元を不規則に照らしながら近づいて来ました。

すれ違うまであと5メートル位という時・・・。
突然、顔に強烈な光が当たりました。私は眩しさに顔をしかめ、立ち止まりました。
その男が懐中電灯を向けたのでした。

懐中電灯は、かなり強い光を放つものでした。
その光はすぐに逸らされましたが、男は黙って私の横を通り過ぎていきました。
何だろう・・この人は・・。
私は、思わず男の行った方を振り返りました。
何事もなかったように、同じ速度で歩いて行く男の後姿がありました・・・。

私とパルは、また歩き始めました。
橋を渡り終え、左に曲がると、来た時と反対側の土手沿いの道に出ます。
私たちは、土手を下りる道を歩いて、川原に出ました。
川原は、愛犬家たちが寄り集まるところで、皆、それぞれの犬を連れては、散歩にやって来ます。
しかし、その日の薄暗い川原には誰もいませんでした。

私は再び、パルのリードを外しました。
パルは大喜びで川岸の方に走って行きました。あと私は、マイペースで歩いていればいいのです。
パルはちゃんと、目の端で私を捉え、付かず離れずの距離を保ちながら付いて来ます。

私たちの散歩コースは、行きと帰りに、川にかかる二本の橋を渡り、四角になる道のりを歩きます。橋と橋の間は5,6百メートルで、橋の長さは百メートル位 ー 家からの距離を入れれば約2キロの散歩になります。

私はひとり川原の道を歩いていました。
パルは、どこに行ったのか姿が見えませんが、いつものことです。私は、気にすることなくマイペースで歩いていました・・・。

薄暗い景色のなかで、異様な赤色が見えました。
向こう岸 ー 先刻、通ってきた消防団の駐屯所からの光でした。
小雨に反射して、あたりを赤く染めています。陰気な赤でした・・・。

さっきは、点いてなかったのに・・・・。
通常は無人のところですから、私たちが通り過ぎてから、誰かが来て、
点けたのでしょう・・・。

私は再び歩き始めました。
そして、向こうの橋まで間もなくという時・・・。
向こう岸に見えるデイケアセンターの屋根の西端が光りました。
屋根の一部分に閃光が走ったのです。

D様ー。
私は、その頃すでに、ターゲットに対するガスライティングの手法に、「ブライティング」というものがあることを知っていました。その夕方、光は、私に驚愕や不安、恐れなどの感情を呼び起こしました。
しかし、私の脳には、冷静にその手口を観察している部分もあったのです。私はその日、ブライティングの様々な方法を知ることになりました。

私は、橋の方へ向かって歩き続けました。
橋のたもとに、川原と上の土手を行き来するための、石の階段があります。
その階段を上がり、左に曲がれば橋のたもとです。更に左に曲がり、橋を渡れば四角の最後の一辺を歩くことになります。そして、橋を渡りきり右に曲がれば消防の駐屯所です。

私は石段を上らず、橋の下を通って、もう少し向こうに行こうと思いました。
橋の下をくぐれば、間もなく行き止まりです。川幅が狭くなり、そこから先は川原がなくなります。

間もなく行き止まりという時・・・。
バァーンという銃声のような音が鳴り響きました。
私はギクッとして、反射的に音がした方を見ました。
先に見える竹藪の後ろが光りました。

私は立ち止まり、辺りを見回しました。
散弾銃を撃ったような音・・そして、正体不明の光・・・。
人影はなく、周りは薄暗く静まり返っていました・・・。
強い不安が私を襲いました。

私は、パルを呼びました。帰ることにしたのです。

私たちは、また橋の下をくぐり、石段を上りました。
私とパルは、橋の上を歩き始めました・・・。

向こうにチカチカする眩しい光が見えました。
自転車のライトでした・・・。
自転車を押しながら、誰かが歩いてきます。
そばをもう一人が歩いていました。

乗っているわけでもないのに、自転車は強烈な光を放っていました。
しかも、速い間隔で点滅しているのです。
自転車のそのようなライトを見たのは、初めてでした。

歩いて来たのは二人の女性でした。
二人は無言で通り過ぎて行きました・・・。

橋を渡り終えると消防の駐屯所です。
シャッターを開けた車庫の中で、消防車のランプがぐりぐると回っていました。
赤い光が反射して、辺りを異様な情景にしていました・・・。

私とパルは歩き続け、閉店したスーパーの駐車場に差し掛かりました。
暗い中に、光を放ちながら立っている人が見えました・・・。
警備員のようでした。制服の上にいくつものランプが点いた着衣を付けています。
遠くから見るその光は、ギラギラとして不気味でした・・・。

何故、あんなところに立っているのだろう・・・?

私たちは、その光の方に歩いて行きました。

「こんばんわ・・」
私は、その警備員に挨拶をしてみました。
「何か、あったのですか?」
私の脳の冷静な部分が、更に言葉をつなぎました。

近くで見る警備員は、人の良さそうな中年の男でした。
「いや、立っているように言われてるんでね・・」
「誰もいないところに・・?」
「今日、商店街でイベントがあったんで、この駐車場も使わせてもらったんだよね」
「でも、車なんて、ほとんど停まってないじゃないですか?」
「俺もそう思うんだけど、急遽、こっちに回されてね。時間まで立ってなきゃならないんだよ」
「・・・大変ですね・・」
私とパルはその場を離れ、歩き始めました。

通りを渡り、振り返ると、ひと気のない暗い駐車場に、光を放ちながら立っている男の影が見えました。
異様で不気味な光景でした・・・。

家の近くの病院の駐車場を通り抜け、私たちは家に戻りました。
隣のアパートに外灯が点いていました・・が、一ヶ所だけです。
他のいくつかの外灯は、切れてしまったのか、点いていません。

点いている外灯は、切れかかり点滅していました。
切れかかった蛍光灯は、その一角を照らしては、また暗くするということを繰り返し、あたりをより陰気にしているのでした・・・。


D様、私はパルと散歩に出ると、いつも誰かに見られているような気がします。
散歩コースからは、NTTの通信塔や、消防の火の見やぐら、警察書の無線塔などが見えます。
たとえば、このような高いところにカメラを設置すれば、広範囲にあたりを監視することが可能となります。
川原を散歩する者たちなどは、明瞭に観察することが出来るでしょう。

D様、うがち過ぎだと思われますか?

しかし、ハイテク機器の進歩は、監視社会をより磐石なものにしているはずです。
以前に書きましたが、現在は、盗聴器など付けなくても、焦点を合わせた建物内部の声や物音を、遠く離れた場所から聞くことが出来る機器があるのです。4年ほど前に、警視庁の公安OBから聞きました。
以前、仕事上のことで、夫と付き合いがあった人です。

科学の進歩は、社会を豊かにしてくれるのでしょうが、その使用を誤れば、私たちを苦しめる存在にもなってきます。使用する側の暴走を、阻止する歯止めが不可欠なのだと思います。



さてD様ー。
現在、若い夫婦が息子と三人で入居している貸家には、以前、老夫婦が住んでいました。
彼らは、それまで首都圏に住んでいたのですが、老後をこの地で暮らすことにしたのです。
しかし、・・・。


D様、次回の手紙にこの続きを書きたいと思います。


このところ不順な天候が続いています。
ご健康にはくれぐれも御留意下さいますよう ー 。



                                                      
                                               2009.11.12

                                                    万 留 子

   

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(25)

D様



数日前、冬が到来したかのような寒さがこの地を襲いました。
北の地方では、初雪が観測されたところも多いとか・・・。
しかし、翌日はインディアン・サマーの好日・・・爽風は木々を揺らし、色づいた葉は
楽しげに身を踊らせるのでした。
そして、今日は薄い曇が空を覆っています。
季節は、冬への歩をためらいながら進めているようです・・・。


D様ー。
先週、ブログの記事を更新した時のことです。

私は、ワードで作成した文書を、ブログの管理ページにコピーしました。記事を更新したのです。
そして、すぐ、ブログのページを確認をしました。

「何これ・・・」

私は慌てました。いつもの画面ではありません。
前回の記事の上に、更新した記事が載っているのです。
プロフィール欄の位置にまで、前回の記事が侵入しています。
つまり記事が、二重に掲載されているような画面でした。

「プロフィール欄とか、アーカイブなどはどこ ー ?」
私は、画面をスクロールさせました・・・。
それは、かなり遡ったところにありました。
読者は、まず気付かないでしょう。

昨日までは、正常に表示されていたのに・・・・。

私は、修復を試みました。
しかし、その為の詳しい知識があるわけではなく、手探りの作業です。
管理画面から、試行錯誤を繰り返した末に、自力での修復は無理だと悟りました、
そして、NTTの遠隔サポートに電話をしたのです。

電話に出た担当者は、今までの人たちと違う感じの応対でした。
担当者は、若い人が多いのですが、歳が少し上のような ー 。
口調に若さがなく、語尾が伸びる話し方・・・妙に慣れた感じです。

この担当者は、一度電話を切り、ブログの状態を確認すると言うのでした。
私は、ブログのURLを教えました。

「これは、パソコンに原因があるのか、管理会社の問題なのか、ウチではわかりませんね。」
やがて、かかってきた電話の向こうで、担当者はそう言うのでした。

「遠隔操作で確認できませんか? 」
「ブログのことは、出来ないんですよ。」
「記事の内容に立ち入ったことではなくて、技術的なことですから・・・」
それまでにも、ブログの枠組みを作成するなど技術的な援護は、遠隔操作で何度も受けています。
「ブログのことは出来ないですね」
「分かりました・・」
頑として言い張る担当者に、私はらちが開かないと判断し、電話を切りました。

そして、すぐまた、同じ遠隔サポートに電話をしたのです。
若い男性の声が応対しました。
担当者は、私から状態を聞くと、ブログを確認しました。
そして、すぐ遠隔操作を始めました・・・。

担当者は、ブログの管理会社の問題 ー との判断でした。
問い合わせのページに入る方法なども教えてくれましたので、私はそこからfc2にメールをして、調査を依頼したのです。

返答を待つ間、私は、テンプレートの変更を試みました。
しかし、テンプレートを変えても、状態は変わりません・・・。
それでも、いくつか試すうちに、読みづらさが解消されるデザインがあると分かりました。
私はとりあえず、そのテンプレートに変更しました。

やがて、fc2からメールが届きました。
「画面は正常に表示されており、トラブルは確認できませんでした」というものでした。

私は、いつものテンプレートをプレビューさせてみました。
画面は、いつのまにか正常にもどっていました・・・。

D様、あなたは、これをどう思われますか?
勿論、自然に起こり得ることではなく、誰かの悪意が働いたことは確かです。
それが誰なのか ー 確かめるすべはありません。

しかし、私は思うのです。
私のブログを妨害した者は、その卑劣さを、自らアピールする結果になってしまったと・・・。
ブログの内容が、その者にとって不都合なのでしょう ー 。
今回の妨害行為は、この日本の社会に、そういう卑劣な者たちが、確かに存在しているのだと、
自ら証明する結果となったと思うのです。



さてー。
前回の続きを書くことにします。

昨年12月の夕方ー。
窓から見たあたりの景色は薄暗く、低い雲から小雨が降り落ちていました。
パルが窓越しの私に気付き、期待を込めた表情で私を見ています。
早く散歩に行きたいのです。

私は、雨よけの薄いコートをはおり、外に出ました。
そして、パルをリードに繋ぎ、歩き始めました・・・。

いつも通る病院の駐車場 ー 。
診療時間は終わり、停まっている車はまばらでした。
病院の中は明かりが点いてましたが、人影は見えません。
「寂しい感じだね・・」
私は、パルに話しかけながら、そこを通り過ぎようとしました。

「ウッ・・!」
私は、思わず声を洩らしました。
突然、閃光が私の顔を照らしたのです。

顔をしかめながら光の方角を見ると、車のライトでした。
駐車場の端に停まっていました。
ルクスを上げた強烈なライトが、私に向いています。
次の瞬間、エンジンを始動させる音がしました。

「エンジンをかける前に、ライトを点けるなんて・・」
私は、驚きと安堵と、小さな怒りを瞬時に感じました。

車は、急発進して駐車場を出て行きました。
私は、タイヤを鳴らしながら遠ざかる、車の赤い尾灯を見ているだけでした・・・。

駐車場を通り抜け、道路を横切ると、今は閉店してしまったスーパーの駐車場があります。
私とパルは、その駐車場も通り抜けます。
かつては賑わった、スーパーの大きな建物が、雨の中にひっそりと佇んでいました。

広い駐車場の東南の角に、焼肉店があります。一時は、スーパーと共に閉店するのでは ー と噂されたのですが、何とか営業を続けています。
薄暗い駐車場の一角を、店の明かりが照らしていました。

私とパルは駐車場を通り抜けました。
駐車場から数十メートルで、川原の土手沿いの道に行き当たります。

私たちは、突き当たりを右に折れました。
折れてすぐの所に、地区の小さな集会所があります。そして、その北隣が、消防団の駐屯所です。
橋のたもとになります。

橋の長さは7,80メートルくらいー。
私とパルは、その橋を渡らずに、道路を横切って土手沿いの道を進みます。
道路を横切ってすぐー、土手に隣接している場所に、高齢者用のデイケアセンターがあります。

その横を通りすぎようとした時、建物の上の方に閃光が走りました。
私は驚いて、光が見えた屋根の方を見ました。

屋根は何事もなく、小雨に打たれているだけでした・・・。
建物の中は暗く、静まり返っていました。

「パル、今の光は何だろうね・・・?」
私は、独り言のようにパルに話しかけました。

私とパルは、土手沿いの道を歩き続けました。
なまり色の川の水面が、橋の明かりに揺らいでいます。
向こう岸に見えるS病院の陰気な明かりが、小雨にぼんやりと反射していました。

私は、パルをリードから離しました。人がいない時は、いつもそうしているのです。
パルは、誰もいない川原に走り下りていきました。
私が土手沿いを歩いて行くと、パルは川原を動き回りながらも、こちらに合わせて移動するのです。

私は、土手沿いの道を一人で歩いていました。
突然、強烈な光が私の顔に当たりました。
驚いて見ると、やはり車のライトでした・・・。

土手沿いの道に停まっていたのです。
車は、右側駐車をしていました。前方をこちらに向けてあったので、私の顔に強烈な光が当たったのです・・・。

車は、バックをして向きを変えると、向こうに行ってしまいました。
「さっきと同じ・・偶然なのだろうか・・・?」
私は、遠ざかっていく赤い尾灯を呆然と見ていました。

私は再び、歩き始めました・・・。
その時 ー 。薄暗い東の空に閃光が走りました。
瞬間的で強烈な光です。

「何!?・・・今のは・・・。」
薄暗い小雨の中、私は立ち止まりました。
得体の知れない不安が、私を襲いました・・・。


D様ー。
私は、今回これを書くことを躊躇しました。
空に閃光が走るなどということは、現実離れした話ですし、理解してもらえるはずもありません。馬鹿げた妄言だと言われるのが落ちでしょう。

でもD様、あなたなら、その状況を2、3質問しただけで、事実か妄言かの判断をなさるはずだと考えたのです。

「閃光が走った」というのは、空が一瞬、明るくなった状態です。
車のライトが反射した ー というレベルのものではありません。もっと広範囲にです。
空の範囲は、頭上の高い所ではなく、東の空の低い部分でした。歩いていた私の視線が、自然に捉えられる範囲です。

私がいた位置以外からも、光は見えたとは思いますが、地形的に目撃者は少ないと考えています。

その理由はー。
川沿いの土手を歩いていくと、1キロほどで国道に突き当たります。
それ以上は進めません。国道を越えて、更に、向こうに行こうとすれば、かなり遠回りをしなければなりません。
迂回して行ったとしても、歩くのがやっとの細い道です。小雨降る12月のあの日、そのあたりに人がいたとは考えられません。細い道の先は海です。

あの光は何だったのだろう・・・?
私は、今でも、時々、思い出します。

D様、人為的にその状況を作り出すことは可能なのではないでしょうか?
誰が、何のためにー?
あなたなら、そんなセリフを言うはずもありません。

前回の手紙で、私は、ガスライティングについて説明しました。
その手法の一つに「ブライティング」というのがあります。これは、眩しい光や、執拗な光の演出で、ターゲットの神経を疲弊させたり、不安に陥れるというものです。

初期段階では、「最近、ハイビームのライトが多くなったなー」とか、「赤い光や、眩しい光が多いなー」と思うだけです。しかし、やがて、その不自然さに気付きます。
ターゲットが「何か、おかしい・・」と感じるまで、執拗に続けられるのです。

その日の「ブライティング」は、更に続きました・・・。
話を続けることにします。

呆然としていた私を、パルが見上げていました。
私の様子を怪訝に思っているようです。

「パル、ごめん・・・行こう」
私は、再び歩き始めました。

もう一つの橋のところに出ました。
左に行けば、橋を渡って向こう岸に行けます。
まっすぐ行けば、やがて国道に突き当たり、行き止まりです。

パルは、道路を横切り、まっすぐ走っていきました。
私は橋を渡り、向こう岸に行きたかったのですが、パルの後を追いました。

国道に突き当たったところに、小さな公園があります。
敷地の南端に、子供が遊ぶジャングルジムや、シーソー、鉄棒などが設置されています。
また、高齢者の為のゲートボール場がありますが、小雨降る12月の夕暮れには、人っ子一人いませんでした。

私は、濡れたベンチに腰を下ろし、公園内を動き回るパルを見ていました。

しばらくして、私はふと、あたりを見回しました。
すると、視線の先 ー 公園に隣接する建物の裏口に、人が立っていました。
こちらを見ているのです・・・。

「・・いつの間に・・・何をしているのだろう・・・」
陰気なその人影は、動きもせず、こちらを見ているのでした。

公園に隣接する建物 ー それは、Y警察署なのです。
「あれは警察官なのだろうか・・・」
公園に着いた時は、裏口には誰もいなかったはずです。
「なぜ、こちらを見ているのだろう・・・」

私は、パルを呼びました。
そして、リードに繋ぐと、その人影に近づいて行きました。 

立っていたのは、黒っぽいジャンパーを着た中年の男でした。
「こんばんわ・・」 
私は、声をかけてみました。

その時、奥からもう一人の男性が出て来ました。同じ年配のようです。
「散歩させているんだね・・」
後から来た方が、私に言いました。
「・・ええ・・何か・・」
「あー・・いや・・・」
男性は口ごもりました。そして、立っていた男性に「もう、いいから・・」と言うなり、二人とも建物の中に入っていったのでした。

薄暗い中で、身動きもせずこちらを見ている男 ー それは、不気味な光景でした・・・。
私が近づいて行かなければ、あの男性は、私が公園にいる間、こちらを見続けていたことでしょう・・・。

私は、パルを連れて公園を出ました。
来た道を戻り、橋を渡って向こう岸に向かいました。
その時・・・。


D様、この続きを次回の手紙に書くことにします。

朝晩の冷えが一層増しています。
どうか、御自愛下さいますよう ー 。

                                                   2009・11.5
                                                                                                                   
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命ある限り書き続けます。

記事のアップが遅くなってしまいました。お詫び致します。

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接続診断をしても、問題はなく・・・遠隔操作による悪質な妨害だと考えています。

アップまでに何時間もかかってしまいました。それでも、私は書くのを止めることはありません。今後とも応援していただければ幸いです。


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この小説は、どの回もほぼ独立した形式になっています。繋がりがあるとしても、その回の前後だけです。でも、時間があれば(1)から読んで頂ければ嬉しく思います。そして、今後ともよろしくお願い致します。
尚、この小説は事実をもとに書かれています。


<記事の更新>
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