(24)
D 様
今日の、この地は暖かな空気で覆われています。
陽射しは柔らかく、車の上で寝転ぶ猫たちに降り注いでいます。
時おりの乾いた風が、干した洗濯物を揺らしては去って行きます。
平和で幸福な風景・・・。
私は、ほんの束の間、安らぎに包まれたのでした・・・。
D様ー。
昨日、郵便局に行った時のことです・・・ 。
私は、郵便物を出すついでに、公共料金の支払いを済ませようとしました。
時刻は、正午を少し回っていました。
駐車場に着き、車から降りる時、一瞬、私は迷いました。
小さなポリタンクを、車に置いたままにしておくべきかどうか ー についてです。
何のことかとお思いでしょうね・・・。
いつも利用するスーパーマーケットの一角に、アルカリイオン水の製水機が、設置されています。
店から2リットル用のポリタンクを買えば、その容器に、自由にこの水を汲むことが出来るのです。
アルカリイオン水は、お茶や料理などに使うと、美味しさを引き出してくれます。
また、健康にもいいということで、私はほぼ毎日、2つのポリ容器に、水を汲んで持ち帰っているのです。
昨日、私は、郵便局の帰りにスーパーに寄って、その水を汲んで来ようとしたのでした。
そんなポリ容器など、車の中に置いて行くのが当たり前 ー 「わざわざ郵便局の中まで持っていくなんて、おかしいー。」と思われたに違いありません。
その通りです。
そんなことで迷うのはおかしいのです・・・。
しかし私は、車から離れて戻ってきた時、車内の様子が変わっていることを、過去に何度も経験しているのです。たとえば、座席の位置がずれていたり、バックミラーや、ナビゲーションのディスプレイの角度が変わっていたり、異臭がしたり・・・。
だから、私は出来る限り、車には物を置かないようにしているのです。
特にパソコンなどは、車の中に置くことは絶対にありません。
買い物をする時などは、カートに積んで店内を巡ります。
さて、私は、郵便局の駐車場に停めた車の中で、ポリ容器について迷いました。
郵便物をポストに入れ、振込みをするだけだから、時間はかからない・・・。
それに、狭い駐車場は、局の建物と近接している・・・。
結局、私は、ポリ容器は置いたままにして車を離れました。
郵便局の中は空いていました。
私は、郵便物を局内のポストに入れ、窓口で税金の振込みを頼みました。
私の前に待っている人はなく、係りの人は、私の依頼にすぐ取りかかってくれました。
しかし、以外に時間がかかりました。
私の後から頼んだ人の方が、早く呼ばれるのです。
ようやく自分の名前が呼ばれました。
「お待たせしました。」
「何か、問題がありましたか?」
私は係りの男性に訊きました。
「イヤ・・問題はありません。ちょっと・・確認がありまして・・」
何か歯切れの悪い返事でした。
しかし、私はそれ以上は何も言わないで、窓口を離れました。
「あれっ・・?」
車に戻り、ドアを開けた時、私は思わず声を上げました。
運転席の後ろに置いた、二つのポリ容器のうちの一つが、助手席の後部座席に移動していたのです・・。
家を出る時、私は、二つのポリ容器をスーパーのポリ袋に入れました。そして、袋の口を結びました。
それを、運転席の後ろに置いてから、車に乗り込んだのです。
郵便局に着き、車を降りる時に、私はそのポリ容器を持って行くべきかどうか迷い、しばし視線を留めていたのですから、記憶は確かです。運転席の後部座席、足元の所にありました。
そして、車に戻ると・・・、
ポリ容器の1つは袋から出され、助手席の後ろに移動していました。
ポリ容器が自力で移動するはずもありません。
また、座席の足元から座席の上に、自然に「転げ上がる」ことなどあり得ません。
それに、二つのポリ容器は、袋に入れられて、袋の口は結ばれていたのです。
誰かが車を開け、ポリ容器を移動させたのです・・・。
私は、後部座席に転がっているポリ容器を見て、憂鬱感に襲われました。
D様、これを誰かに話したら、その人は何と言うでしょう・・・?
そうです。あのセリフです。
「誰が、何のためにそんなことをするの・・・?」
分かってもらおうと、必死で話せば話すほど、こちらの精神状態が疑われるのです。
私は、ポリ容器を袋に戻し、スーパーに向かいました。
物を移動させたり、隠したり、量を変化させたり・・・これらの手口は「ガスライティング」と呼ばれています。
1944年公開のアメリカ映画、「ガス燈」からネーミングされました。イングリット・バーグマンが主演しています。
映画の内容はー、
家の中で起きる様々な不思議な現象に、新婚の妻の精神状態が不安定になっていきます。
一人でいると聞こえてくる音、ガス灯の不可解な揺らぎ、物の移動、紛失・・・。
妻はおびえ、自分の記憶や感覚に自信を無くしていきます。
しかし、原因は彼女自身にあったのではなく・・・。
この映画からネーミングされた「Gaslightig(ガスライティング)」という本が、1994年にアメリカで出版されました。この本には、ターゲットとなった人物を破滅させるまでの手口が詳細に記されています。
私が、この本の存在を知ったのは、インターネット上のAGSASからでした。
このサイトの管理人はT氏で、彼は御自身の体験を通し、この組織犯罪を詳細に分析、考察をしておられます。この「ガスライティング」という書籍も、T氏が内容を抜粋し、和訳されているのです。(AGSASに掲載しています。)
「ガスライティング」には、悪魔の手口が満載されています。
証拠を残さず、巧妙かつ執拗にターゲットを破滅させていくのです。
現在、集団ストーカーの被害者が訴える被害内容の多くは、この手口のどれかに分類されると思います。
D様ー。
私は前回、この祖職犯罪の被害者を、精神異常者とこじ付ける「歴史と分析」というサイトを取り上げました。
このサイトの中に、「ガスライティング」に書かれている手口を、精神異常者の妄想だと講釈している項目があります。
しかし、この筆者が忘れているのは、「ガスライティング」という書籍は、精神異常者の妄想を集大成したものではないということです。この本は、証拠を残さすに人を破滅させる方法として、現実に実行可能な内容が書かれているのです。
そして、この本の内容を実行することは、難しいことではなく、組織がその意図をもってすれば、簡単に出来ることなのです。また、書かれていることを基本とする、手口のバリエーションは、いくらでも創造できるでしょう。
被害者の訴えがあり、その加害方法をレクチャーする本が存在する。そして、その実行は難しいことではない ー 。つまり、被害者が訴える被害内容は、妄想などではなく、現実に起きている犯罪の可能性が極めて高い ー と考えるべきなのです。
(勿論、Kがこの本を教本にしているという意味ではありません。また、「ガスライティング」の内容は、私自身の体験を通し、その都度紹介していくことにします。)
さて、D様ー。
前回の手紙の続きです。
昨秋、私と夫は、回転寿司のK寿司を訪れました。
全国チェーンのこの店が、この町に開店したのは一昨年のことです。
それ以来、私たちは、気軽にこの店を利用するようになりました。
その日、私たちが店に行ったのは、夕方の早い時間でした。5時を少し回った頃です。
店内に入ると客はまだ、まばらでした。
私たちはレーンに並ぶボックス席の、一番奥に案内されました。
店内には、寿司皿が流れるレーンが3本あり、店内を巡っています。レーンの両側には、4人~6人座れるテーブル席が並んでいます。その他に、12,3人が座れるカウンター席があります。
私たちは席に着いて、まず飲み物を注文しました。
そして、私は夫のつまみに「魚の竜田揚げ」を電子パネルにインプットしました。
レーンを見ると、流れている寿司はほとんどありません。
でも、レーン一杯に流れてくるのは、時間的に間もなくだと思いました。
私は、電子パネルで注文するのが面倒なので、回っているものから選びたいのです。
やがて「竜田揚げ」が、新幹線の車両型トレーに載せられ、レール上を走って来ました。
それを取り、目の前に置いて見ると、いつもより色が濃いような気がしました・・・。
「・・・固いな。・・なんだコレ?」
夫がひと口食べて言いました。
私も食べてみました。コチコチでした・・・。
「固すぎるよね。・・それに、小さい端切ればかり・・量も少ない。」
私は、店員を呼びました。
(夫に「いいから・・」と、制止されたのですが ー 。)
「これ固くて、食べられないのですが・・。取り替えてもらえますか?」
店員は、「すみません。お取替えします」と、皿を調理場の方に持って行きました。
やがて、私たちが座っていたレーンは満席になりました。
しかし、寿司は一向に流れてきません。レーンの上は、相変わらずガラガラの状態でした。
他の客は、パネルで注文しているようで、私たちの横を「新幹線」が、何度も行き来していました。
「竜田揚げ」の取替え品はなかなか来ません・・・。
私は仕方なく、パネルを操作して、何種類かの寿司を注文しました。
しかし、遅いのです・・・。
他の席に向かう「新幹線」が、頻繁に横を通り過ぎるのですが、こちらには一向に停まりません。
レーンには相変わらず、ガラガラ状態で取りようがなく・・・。
ようやく、「魚の竜田揚げ」が来ました。
今度のは、固くはありません。しかし、冷めていました・・・。
その後、注文した品も来たのですが、どれも、ネタが極端に貧弱なのです。
海老の天ぷらを載せたものなど、呆気にとられました。
あまりにも小さいのです・・・。
私は、気分を害したのですが、夫はアルコールが入ったせいか気にしません。
私は、気を取り直してアイスクリームを注文しました。
やはり、なかなか来ません・・・・。
席の横を「新幹線」が頻繁に行き来しています・・・。
レーンは、何も載せずにカタカタと回り続け・・・。
だいぶ待って、やって来たアイスクリームは、溶けかかっていました。
やがて帰ることになり・・・。
私は、会計の依頼を、電子パネルにインプットしようとしました。
しかし、画面が動かないのです。フリーズしていました・・・。
店員を呼ぼうとしたのですが、動き回っていて、なかなか気付いてくれません。
散々でした・・・。
誰でも、時にはこんな目に遭うのでしょう。
しかし、このK寿司は、行く度に不愉快なことが起きるのです。
飲食店で、嫌な目にあう被害者は多いのです。
飲食店に限らず、この犯罪の協力者は、どこにでもいると言ってもいいでしょう。
店の経営者や、店員を協力者にするくらいは、この加害組織にとって簡単なのです。
特に、この小さな町では、被害者が選ぶ店は限られていますから、「効率的」にそれが出来ます。
被害者は、どこに行ってもハラスメントを受けることになるのです。
D様ー。
「情は人の為ならず」ということわざがあります。
今の若者の中には、この意味を誤って解釈をする人も多いとか ー 。
「他人に情けをかけることは、その人の為にならないので、安易にかけるものではない。」
と考えるらしいのです。
このことわざの意味は、勿論そうではなくー、
「人の為に良いことをすれば、巡りめぐって、それが自分に返ってくる」という意味です。
しかしD様、私は思います。
人の為に良いことをすれば、人はその瞬間に報奨を受けていると ー 。
良いことをすれば、人は幸福感に包まれます。
誇らしい気持、充実感・・・それが人を幸せな気持にさせるのです。
そして、相手の喜ぶ様子、嬉しそうな表情、感謝の言葉 ー それらは、幸福感をより大きなものにします。
人間とは、そういうふうに出来ているのだと思います。
私は、時々思います。
この犯罪の加害者たちは、人として、幸福感に包まれることなどあるのだろうかとー。
何の恨みがあるはずもない被害者に対し、加害行為を続ける者たちの「心」とは、どんなものなのだろうかと ー 。
人間としての「心」を失い、卑劣な犯罪を繰り返す日々・・・。
その目に、人間としての光はないはずです。
彼らは一生、「心」を失くしたまま生きていくのでしょうか・・?
限りなく不幸な者たち・・・私はそう思います。
さて、昨年の12月のことです ー 。
私はいつものように、パルを連れて散歩に行きました。
冷たい小雨が降っていました・・・。
D様、この続きを次回の手紙に書きたいと思います。
朝晩の冷えが増してきています。
どうか健康に御留意くださいますよう - 。
2009.10.29
万 留 子

今日の、この地は暖かな空気で覆われています。
陽射しは柔らかく、車の上で寝転ぶ猫たちに降り注いでいます。
時おりの乾いた風が、干した洗濯物を揺らしては去って行きます。
平和で幸福な風景・・・。
私は、ほんの束の間、安らぎに包まれたのでした・・・。
D様ー。
昨日、郵便局に行った時のことです・・・ 。
私は、郵便物を出すついでに、公共料金の支払いを済ませようとしました。
時刻は、正午を少し回っていました。
駐車場に着き、車から降りる時、一瞬、私は迷いました。
小さなポリタンクを、車に置いたままにしておくべきかどうか ー についてです。
何のことかとお思いでしょうね・・・。
いつも利用するスーパーマーケットの一角に、アルカリイオン水の製水機が、設置されています。
店から2リットル用のポリタンクを買えば、その容器に、自由にこの水を汲むことが出来るのです。
アルカリイオン水は、お茶や料理などに使うと、美味しさを引き出してくれます。
また、健康にもいいということで、私はほぼ毎日、2つのポリ容器に、水を汲んで持ち帰っているのです。
昨日、私は、郵便局の帰りにスーパーに寄って、その水を汲んで来ようとしたのでした。
そんなポリ容器など、車の中に置いて行くのが当たり前 ー 「わざわざ郵便局の中まで持っていくなんて、おかしいー。」と思われたに違いありません。
その通りです。
そんなことで迷うのはおかしいのです・・・。
しかし私は、車から離れて戻ってきた時、車内の様子が変わっていることを、過去に何度も経験しているのです。たとえば、座席の位置がずれていたり、バックミラーや、ナビゲーションのディスプレイの角度が変わっていたり、異臭がしたり・・・。
だから、私は出来る限り、車には物を置かないようにしているのです。
特にパソコンなどは、車の中に置くことは絶対にありません。
買い物をする時などは、カートに積んで店内を巡ります。
さて、私は、郵便局の駐車場に停めた車の中で、ポリ容器について迷いました。
郵便物をポストに入れ、振込みをするだけだから、時間はかからない・・・。
それに、狭い駐車場は、局の建物と近接している・・・。
結局、私は、ポリ容器は置いたままにして車を離れました。
郵便局の中は空いていました。
私は、郵便物を局内のポストに入れ、窓口で税金の振込みを頼みました。
私の前に待っている人はなく、係りの人は、私の依頼にすぐ取りかかってくれました。
しかし、以外に時間がかかりました。
私の後から頼んだ人の方が、早く呼ばれるのです。
ようやく自分の名前が呼ばれました。
「お待たせしました。」
「何か、問題がありましたか?」
私は係りの男性に訊きました。
「イヤ・・問題はありません。ちょっと・・確認がありまして・・」
何か歯切れの悪い返事でした。
しかし、私はそれ以上は何も言わないで、窓口を離れました。
「あれっ・・?」
車に戻り、ドアを開けた時、私は思わず声を上げました。
運転席の後ろに置いた、二つのポリ容器のうちの一つが、助手席の後部座席に移動していたのです・・。
家を出る時、私は、二つのポリ容器をスーパーのポリ袋に入れました。そして、袋の口を結びました。
それを、運転席の後ろに置いてから、車に乗り込んだのです。
郵便局に着き、車を降りる時に、私はそのポリ容器を持って行くべきかどうか迷い、しばし視線を留めていたのですから、記憶は確かです。運転席の後部座席、足元の所にありました。
そして、車に戻ると・・・、
ポリ容器の1つは袋から出され、助手席の後ろに移動していました。
ポリ容器が自力で移動するはずもありません。
また、座席の足元から座席の上に、自然に「転げ上がる」ことなどあり得ません。
それに、二つのポリ容器は、袋に入れられて、袋の口は結ばれていたのです。
誰かが車を開け、ポリ容器を移動させたのです・・・。
私は、後部座席に転がっているポリ容器を見て、憂鬱感に襲われました。
D様、これを誰かに話したら、その人は何と言うでしょう・・・?
そうです。あのセリフです。
「誰が、何のためにそんなことをするの・・・?」
分かってもらおうと、必死で話せば話すほど、こちらの精神状態が疑われるのです。
私は、ポリ容器を袋に戻し、スーパーに向かいました。
物を移動させたり、隠したり、量を変化させたり・・・これらの手口は「ガスライティング」と呼ばれています。
1944年公開のアメリカ映画、「ガス燈」からネーミングされました。イングリット・バーグマンが主演しています。
映画の内容はー、
家の中で起きる様々な不思議な現象に、新婚の妻の精神状態が不安定になっていきます。
一人でいると聞こえてくる音、ガス灯の不可解な揺らぎ、物の移動、紛失・・・。
妻はおびえ、自分の記憶や感覚に自信を無くしていきます。
しかし、原因は彼女自身にあったのではなく・・・。
この映画からネーミングされた「Gaslightig(ガスライティング)」という本が、1994年にアメリカで出版されました。この本には、ターゲットとなった人物を破滅させるまでの手口が詳細に記されています。
私が、この本の存在を知ったのは、インターネット上のAGSASからでした。
このサイトの管理人はT氏で、彼は御自身の体験を通し、この組織犯罪を詳細に分析、考察をしておられます。この「ガスライティング」という書籍も、T氏が内容を抜粋し、和訳されているのです。(AGSASに掲載しています。)
「ガスライティング」には、悪魔の手口が満載されています。
証拠を残さず、巧妙かつ執拗にターゲットを破滅させていくのです。
現在、集団ストーカーの被害者が訴える被害内容の多くは、この手口のどれかに分類されると思います。
D様ー。
私は前回、この祖職犯罪の被害者を、精神異常者とこじ付ける「歴史と分析」というサイトを取り上げました。
このサイトの中に、「ガスライティング」に書かれている手口を、精神異常者の妄想だと講釈している項目があります。
しかし、この筆者が忘れているのは、「ガスライティング」という書籍は、精神異常者の妄想を集大成したものではないということです。この本は、証拠を残さすに人を破滅させる方法として、現実に実行可能な内容が書かれているのです。
そして、この本の内容を実行することは、難しいことではなく、組織がその意図をもってすれば、簡単に出来ることなのです。また、書かれていることを基本とする、手口のバリエーションは、いくらでも創造できるでしょう。
被害者の訴えがあり、その加害方法をレクチャーする本が存在する。そして、その実行は難しいことではない ー 。つまり、被害者が訴える被害内容は、妄想などではなく、現実に起きている犯罪の可能性が極めて高い ー と考えるべきなのです。
(勿論、Kがこの本を教本にしているという意味ではありません。また、「ガスライティング」の内容は、私自身の体験を通し、その都度紹介していくことにします。)
さて、D様ー。
前回の手紙の続きです。
昨秋、私と夫は、回転寿司のK寿司を訪れました。
全国チェーンのこの店が、この町に開店したのは一昨年のことです。
それ以来、私たちは、気軽にこの店を利用するようになりました。
その日、私たちが店に行ったのは、夕方の早い時間でした。5時を少し回った頃です。
店内に入ると客はまだ、まばらでした。
私たちはレーンに並ぶボックス席の、一番奥に案内されました。
店内には、寿司皿が流れるレーンが3本あり、店内を巡っています。レーンの両側には、4人~6人座れるテーブル席が並んでいます。その他に、12,3人が座れるカウンター席があります。
私たちは席に着いて、まず飲み物を注文しました。
そして、私は夫のつまみに「魚の竜田揚げ」を電子パネルにインプットしました。
レーンを見ると、流れている寿司はほとんどありません。
でも、レーン一杯に流れてくるのは、時間的に間もなくだと思いました。
私は、電子パネルで注文するのが面倒なので、回っているものから選びたいのです。
やがて「竜田揚げ」が、新幹線の車両型トレーに載せられ、レール上を走って来ました。
それを取り、目の前に置いて見ると、いつもより色が濃いような気がしました・・・。
「・・・固いな。・・なんだコレ?」
夫がひと口食べて言いました。
私も食べてみました。コチコチでした・・・。
「固すぎるよね。・・それに、小さい端切ればかり・・量も少ない。」
私は、店員を呼びました。
(夫に「いいから・・」と、制止されたのですが ー 。)
「これ固くて、食べられないのですが・・。取り替えてもらえますか?」
店員は、「すみません。お取替えします」と、皿を調理場の方に持って行きました。
やがて、私たちが座っていたレーンは満席になりました。
しかし、寿司は一向に流れてきません。レーンの上は、相変わらずガラガラの状態でした。
他の客は、パネルで注文しているようで、私たちの横を「新幹線」が、何度も行き来していました。
「竜田揚げ」の取替え品はなかなか来ません・・・。
私は仕方なく、パネルを操作して、何種類かの寿司を注文しました。
しかし、遅いのです・・・。
他の席に向かう「新幹線」が、頻繁に横を通り過ぎるのですが、こちらには一向に停まりません。
レーンには相変わらず、ガラガラ状態で取りようがなく・・・。
ようやく、「魚の竜田揚げ」が来ました。
今度のは、固くはありません。しかし、冷めていました・・・。
その後、注文した品も来たのですが、どれも、ネタが極端に貧弱なのです。
海老の天ぷらを載せたものなど、呆気にとられました。
あまりにも小さいのです・・・。
私は、気分を害したのですが、夫はアルコールが入ったせいか気にしません。
私は、気を取り直してアイスクリームを注文しました。
やはり、なかなか来ません・・・・。
席の横を「新幹線」が頻繁に行き来しています・・・。
レーンは、何も載せずにカタカタと回り続け・・・。
だいぶ待って、やって来たアイスクリームは、溶けかかっていました。
やがて帰ることになり・・・。
私は、会計の依頼を、電子パネルにインプットしようとしました。
しかし、画面が動かないのです。フリーズしていました・・・。
店員を呼ぼうとしたのですが、動き回っていて、なかなか気付いてくれません。
散々でした・・・。
誰でも、時にはこんな目に遭うのでしょう。
しかし、このK寿司は、行く度に不愉快なことが起きるのです。
飲食店で、嫌な目にあう被害者は多いのです。
飲食店に限らず、この犯罪の協力者は、どこにでもいると言ってもいいでしょう。
店の経営者や、店員を協力者にするくらいは、この加害組織にとって簡単なのです。
特に、この小さな町では、被害者が選ぶ店は限られていますから、「効率的」にそれが出来ます。
被害者は、どこに行ってもハラスメントを受けることになるのです。
D様ー。
「情は人の為ならず」ということわざがあります。
今の若者の中には、この意味を誤って解釈をする人も多いとか ー 。
「他人に情けをかけることは、その人の為にならないので、安易にかけるものではない。」
と考えるらしいのです。
このことわざの意味は、勿論そうではなくー、
「人の為に良いことをすれば、巡りめぐって、それが自分に返ってくる」という意味です。
しかしD様、私は思います。
人の為に良いことをすれば、人はその瞬間に報奨を受けていると ー 。
良いことをすれば、人は幸福感に包まれます。
誇らしい気持、充実感・・・それが人を幸せな気持にさせるのです。
そして、相手の喜ぶ様子、嬉しそうな表情、感謝の言葉 ー それらは、幸福感をより大きなものにします。
人間とは、そういうふうに出来ているのだと思います。
私は、時々思います。
この犯罪の加害者たちは、人として、幸福感に包まれることなどあるのだろうかとー。
何の恨みがあるはずもない被害者に対し、加害行為を続ける者たちの「心」とは、どんなものなのだろうかと ー 。
人間としての「心」を失い、卑劣な犯罪を繰り返す日々・・・。
その目に、人間としての光はないはずです。
彼らは一生、「心」を失くしたまま生きていくのでしょうか・・?
限りなく不幸な者たち・・・私はそう思います。
さて、昨年の12月のことです ー 。
私はいつものように、パルを連れて散歩に行きました。
冷たい小雨が降っていました・・・。
D様、この続きを次回の手紙に書きたいと思います。
朝晩の冷えが増してきています。
どうか健康に御留意くださいますよう - 。
2009.10.29
万 留 子


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