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(19)

D 様


今日の空は青く、風が時おり木の葉を揺らしています。
家のモミジの葉の先が、黄色味を帯びてきました。
夏の青葉は、犬小屋への日差しを遮ぎり、パルの一日を快適にしてくれていました。
その役割を終え、遠慮がちに秋への身支度を始めたようです。


さてD様ー。
前回の手紙で、私はPPM(ピーター、ポール&マリー)のことを書きました。
スーパーのワゴンに並べられたCDの中から、彼らのアルバムを見つけ、私は思わそれを手にしたのでした。今月6日のことです。彼らのサウンドは、私を60年代へタイムスリップさせてくれました。
そのことを、私は17日の手紙に書いたのでした。

そして翌日、私は朝刊を読んで驚きました。メンバーのマリーの訃報が載っていたからです。
もう72歳になられていたとのことで、私は改めて歳月の重なりを思ったのでした。
それにしても、なんという偶然なのでしょう。
再度聴いたCD・・・彼女は、変わらぬ若さで歌っていました。



さて、前回の手紙の続きを書こうと思います。

隣のアパートに、医者が入居しているという事実は、私を驚愕させました。
注射痕、メスの痕、シーツに残る液を垂らしたようなピンクの染み、痺れる手足、部屋の薬品臭、
低温ヤケドのような痕、・・・さまざまな事象が一挙に頭に浮かびました。

「医者がすぐ隣に住んでいた・・・・」


その頃、私は夜中に目覚めることが多くなっていました。
ハッとした感じで目を覚ますのです。

そして、大抵の場合、外から聞こえる微かな音に気付きます。
ゴォーとした機械音 ー 静まりかえった部屋に、遠い地響きのように聞こえてきます。

何の音だろう・・・?

ずっと疑問でした。それでも、私は起き上がることをせず、目をつぶってその音を聞いているだけでした。疲れきっていたのです。

ある夜ー。
夜中に目覚めた私は、やはりその音を聞きました。
枕にのせた頭の中に響いてくるゴォーという微かな音・・・。
私は、ぼんやりとその音を聞いていました。

そして寝返りをうった時、私は何気なくパジャマの襟元に手をやりました。
一番上のボタンが外れていました・・・。
しっかりとしたネル地のパジャマで、大きめのボタンがついています。自然に外れるはずはありません。
夜気が冷たい折、無意識に外したということも考えられません。

私はハッとして、両腕をさすりました。
左上腕部に微かな痛み・・・注射後の痛みでした。

(その頃、私は朝になると、体のあちこちをさする癖がついていました。
注射の有無を確かめていたのです。たいていの場合、腕や脚のどこかに痛みを感じました。
しかし、その箇所を確認することはほとんどありませんでした。注射をされているという事実と向き合うのが怖かったのです。)

ゴーォという音は続いていました・・・。
私は上腕部を押さえ、暗い部屋の中で震えていました。

しかし、D様ー。
私の頭の中は、どんな時も冷静な部分を残しているようです。
それは、貴方から無意識のうちに学んだのだと思います。
私は起き上がりました。
目覚めるといつも聞こえてくる音・・・それを確かめようと思ったのです。

私は居間に行き、サッシ戸を開けました。
その外側には雨戸があります。付いている簡易な錠を外して戸を少し開けました。
ゴォーという音が大きくなりました。

私は、開けた戸の間から少し顔を出して、音のする方を伺いました。
音はアパートから出ていました。

アパートの1階の部屋に灯りがついていまっした。
その部屋のガスの温水器が稼動していました。部屋の外側にボイラーの排気が出るようになって
いて、それが動いていたのです。音の発生源はそこでした。

シャワーを浴びているようです。
日中には気付くこともない音が、夜中になると、戸を閉め切った家の中にまで侵入して来ていたのでした。

耳を澄ますと、2階の方からも同様の音が聞こえていました。
2階の部屋は見えません。敷地の西側へ行き、更に少し北側に行ったあたりからは見えます。
私は雨戸をもう少し開けて、外に出ました。

2階の1室に灯りがついているのが見えました。そこからもゴォーという音がしています。
やはりもシャワーを使っているようでした。

こんな時間に・・しかも2室が同時に・・・。
ひと仕事終えたというところなのでしょうか・・・。
私は、思わず上腕部を押さえました。

「あそこが医者の部屋なのだろうか・・・?」

音の正体はつかめました。
しかし、私はいっそう暗うつな気持に陥ったのでした・・・。


そんなある日ー。
私は用事があり、車で出かけようとしました。
敷地から道路へ出ようと左右を見渡し時、アパートの駐車場から1台の車が出ていくのが見えました。
「アレッ?」と思いました。

近くのL薬局によく停めてある車でした。
L薬局は、1年半ほど前に開店した調剤薬局で、筋向いの病院のすぐそばにあります。
犬の散歩の時にそこを通るので、そのグレーの小型車には見覚えがありました。
社名などは書いてない車ですが、長時間停めてあることから、薬局関係者の車であることは確かだと思います。

「このアパートに何の用事があったのだろう・・・?」
医者の所に、何か薬品をもって来た・・そう考えるのは穿ち過ぎでしょうか。

車は、我が家と反対の方向に行こうとしていました。その方向からの出入りは、我が家から死角になり見えません。その時は、私が車を出そうとしていたので気が付いたのでした。

私は、その車と同じ方向に車を走らせました。家の敷地から左側に出る方向です。
いつもは右側に行くのですが、ガソリンを入れる時は左側に行きます。その方が給油スタンドに入りやすいのです。

その車の後ろを付いて行く形になりました。
2百メートルほど走り、車は、交差点を左折して行きました。
私は赤信号で停止して、その車が行った方向を見つめていました・・・。

そのグレーの車は不思議な走り方をしました。
走ったコースは、アパートを出発点としてコの字型になるのです。それなら、アパートから出る時に右側に行った方が効率的でした。つまり、我が家の前を通るコースです。

D様、車はなぜ、我が家の前を通らなかったのでしょう?
その車は、その時初めてアパートを訪れたのではないような気がしました。
慣れた道路を走るような運転・・・いつも、このコースをとっていたのかも知れません。
私の家から死角になるコースをー。

何故、わざわざ・・・・?


私は、その薬局を利用した時のことを思い出しました。
その数ヶ月前のことでした。

私は、視覚の異常に気付き、町内の眼科に行きました。視野に欠けている部分があったのです。
緑内障を疑いましたが、そうではありませんでした。検査をしても視覚器に異常はなく、原因が分からないのです。

血行が良くなる薬を飲んでみることになりました。
医師が薬の処方箋を書いてくれましたので、私はそれを持ってL薬局に行きました。

眼鏡をかけた中年の女性が出てきました。その女性は処方箋を見ながら、詳しく病状を訊き始めました。
初めての利用者に対し、アレルギーの有無や、他に飲んでいる薬の情報などを質問するのは当然のことです。

しかし、私は違和感をもちました。
私が、その薬局を利用したのは、初めてではありません。以前、膀胱炎の症状が出た時に、訪れたことがありました。その時にさまざまな質問に答えていて、そのデータは残っているはずでした。

しかも、その女性が訊くのは、病気の詳しい内容だったのです。
医師が、私を診察した結果の処方箋なのですから、改めて病状を訊く必要はありません。薬剤師として必要な質問をした後は、処方箋に従って薬を出せばいいことです。

その女性は、私が答えることをメモしていました。私はごく簡略に答えていました。
言葉の端に、「その質問には納得できない」というニュアンスを含んでいたと思います。
その時、奥から初老の男性が出て来ました。

私と目が合いました。

瞬間、私は本能的な嫌悪を感じました。
私の様子を伺うような目・・・興味、冷酷、揶揄、優越感・・その目は異様な光を放っていました。

「こんにちわ・・・」
男は、私から目を離さずに言いました。

「こんにちわ・・」
私は、努めて明るく答えようとしましたが、ぎこちない口調になりました。
すると、男は何をするでもなく、また奥へ戻って行ったのでした・・・・。

それ以来、私はその薬局を利用していません。

D様、私はナーバスになり過ぎているのでしょうか?
でも、あの時、初老の男に感じた嫌悪は、反射的で、かつ本能的なものでした。
私は、自分のその直感を疑いません・・・。

この組織犯罪は、さまざまな人間が加害行為に協力しています。
被害者が訴える犯罪の実態は、加害者の数の多さを示唆しています。
だから、通常の犯罪を計るものさしでは、この犯罪を理解することは出来ません。
加害者たちは、通常の人間がもつ、常識的な感覚を隠れみのに、犯罪を繰り返しているのです。

しかし、20年前、ソ連の崩壊を予測した人がいるでしょうか?
どんなに堅固に見える組織でも、あっけなく崩れる日が来るのです。
この犯罪は必ず、暴かれる日が来ます。私はその日は近いと信じます。



D様、私は以前の手紙で、私が住むこのY町の特殊性について触れました。
他の町より統制が進んでいるのは、その特殊性からです。
それを次回の手紙に書きたいと思います。


昨日歩いた川原の片隅に、彼岸花が咲いていました。
夏の草花が勢いを失うなかで、季節の花は、その存在を誇示しているかのように生気を放っています。子供の頃、この不思議な形状の花に見とれていたことを思い出しました・・・。


朝夕の冷えが増して来たようです。
ご自愛下さいますようー。



                                                  2009.9.24   
                                                       万 留 子




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(18)

D 様


今日のこの地は、透明な青空が広がっています。
日差しは明るく、風邪はさわやかです。
木々の緑は、夏と変わらぬ彩できらめいていますが、どこか穏やかです。
秋色に変わる日が近いことを知っているのでしょうか・・・。


D様、先日、わたしは3枚のDVDを買いました。
その1枚はPPM(ピーター、ポール&マリー)のアルバムです。隣町のスーパーで、信じられないくらい安い値段がついていました。

PPMは、中学から高校時代にかけてよく聴いたものです。
「パフ」「花はどこへ行った」「風に吹かれて」「天使のハンマー」「ジョニーは戦場に行った」「500マイル」など、懐かしい曲がたくさん入っていました。

私は、アコースティックな音に包まれて、しばし、あの時代にタイムスリップしたのでした。

若者たちが持つ反戦旗が林立したあの時代・・・。
平和への願いはうねりとなり、世界に渦巻いていました。

そんな中で歌われていたのが、PPM、ボブ・ディラン、ジョーン・バエズなどのフォークソングです。
日本においても、ギターを持った若者たちが、各地で反戦集会を開いていました。彼らは世の矛盾を怒り、戦争のない世界への願いを歌で主張していたのでした。

「ただ、時代の波に呑まれていただけ・・」と、今は、頭をかく大人たちも多いとは思いますが・・・。
それでも、ピュアな情熱を燃やし仲間と集った日々は、今も輝きを放っているはずです。

団塊の世代と言われた若者たちは、その後、この国の体制に組み込まれ、経済の高度成長を支えました。そして、今、定年の時を迎えています・・・。

時代は、歩を休めず移ろっていきます。

しばしのタイムスリップは、甘酸っぱい郷愁で私を包み、今の日常を忘れさせてくれました・・・。



さて、D様。
前回の手紙の続きを書きたいと思います。

ガス検知器について、説明に来た所長は饒舌でした。
私と夫に、そのシステムについて詳しく説明をしてくれました。

所長はひととおり説明した後、目の前のアパートまで私たちを導きました。
ガスメーターに付いているアンテナを見せたいと言うのです。
夫は、「自分は見る必要はない」と言うので、私だけがついて行きました。

ひとまたぎで行けるアパートですが、敷地内に入ったのは初めてでした。
一階の階段下にあたる場所にガスメーターがありました。
メーターには、確かに小さなアンテナが付いていました。異常があれば、そのアンテナから、電柱の上に取り付けられた機器に電波が発信されるらしいのです。
機械オンチの私でも何となく分かりました。

「でも、なぜ、あの電柱の上の電波発信機は、ウチの方を向いているのですか?」
私は、素朴な疑問を口にしました。
「いやいや、あれの向きは関係ないんです。この辺一帯をカバーしますからー。」
ーならば、あえて不自然とも思える我が家の方向に向けなくとも・・・。
私は、その疑問は口にしませんでした。所長は、もう次の話に移っていたからです。

「それにしても、お宅は電柱に囲まれてるよねぇ・・電磁波が・・。最近はオール電化に変える人も多いけど、電磁波の問題を忘れているよね。健康がね・・・我田引水じゃないけど、ガスはそんな心配はないから・・・。あっ、そうだ、この本を差し上げますよ。」
所長は、アパートの駐車場に停めた車の中から、本と小冊子を持ってきました。
本は、電磁波が健康に悪影響を及ぼすという内容のものでした。

私は、所長にその本を戴いたお礼を言い、何気なく訊きました。
「この探知機は町内に何ヶ所くらい設置してあるのですか?」
饒舌な所長の口が一瞬、よどみました。

「・・・320ヶ所です・・。」
「320ヶ所? そんなに設置してあるんですか・・?」 
320ヶ所といえば、この小さな町ではかなりの数です。ほとんどをカバーしているのではないかと思いました。
ーそれなら、ここに取り付けたのは、むしろ遅いほう・・・。 
私は、不思議な安堵感に浸ったのでした。

しかし、のちに分かったことですが、所長のこの言葉は嘘でした。
「320ヶ所」という数字は虚偽だったのです・・・。


それは今年2月ー。
通りに面した2DKの平屋に、若い夫婦が入居することになりました。以前住んでいた老夫婦が、前年の8月に退去して以来、空き家になっていたのです。そこに小学生の息子と3人で住むことになったのでした。

その準備として、止めてあったガスや電気を、使用できる状態にしなければなりませんでした。私は、ガスは、説明に来て来てくれたあの所長の会社を使って上げたいと思いました。
電話をしたところ、「ぜひ」ということで、早速、係りの若い男性が二人やって来ました。

以前は違うガス会社と契約していましたので、そのままにしてあったガスボンベやメーターを取り替える必要があるとのことでした。
私とその係りの男性は、日にちなどの打ち合わせをしました。

その時、話があのガス検知器のことになりました。
「・・・町内に320ヶ所も設置してあるんだから、ほとんどカバーしているんでしょ?」
私は何気なく言ったのでした。
「320ヶ所? ・・・いや、まだ2,3ヶ所ですよ。これからですけど、今のところ設置の予定はないしー。」

私は一瞬、耳を疑いました。
ーあの所長は、確かに「320ヶ所」と言った・・・。
私はそれを復唱したのですから間違いはありません。あの時、私は320ヶ所という数字に安堵したのでした。

私の頭の中に疑問符が渦巻きました。
なぜ、そんな嘘を言ったのだろう・・・?

(結局、ガスの契約は以前の会社に決まりました。
入居する予定の夫婦が、そのガス会社に知人がいるとのことで、すでに話を決めていたからです。私はまた、お詫びの電話をしましたが、電話にでた女性は快く承知してくれました。)


所長はなぜ、嘘の数字を言ったのかー。
あの時の所長の話は、そのひとつを除けば、本当のことだったと思います。
探知機についての説明も、電磁波が健康に悪影響を及ぼすこともー。
そして、次の言葉も・・・。

私はその言葉を聞いて、がく然としたのでした。
それは・・・。

その前にまず、私がなぜその言葉に衝撃を受けたか、それを書きたいと思います。

その頃、私が掃除のために夫の寝室に行くと、いつも薬品の匂いが鼻に付くのでした。
病院の診察室のような匂いです。
夫は、軽い糖尿の気があり、定期的に通院していました。検査のため血液採取などをすることがあるので、その時の消毒薬かなとも思いました。でも、腕のほんの一部分を消毒するだけで、翌日の寝室に鼻につくほどの匂いが残るとは思えません。しかも、病院に行かない日も同様に匂うのです。

(私の部屋も同じ匂いがあったのかも知れません。しかし、自分がその匂いに浸った状態では気付きにくいと思います。それに私は、習慣的に起床するとすぐ窓を開け放ちます。)

やがて夫は、左脚が痛くて歩けなくなってきました。急に症状が出てきたのです。
力仕事や、激しい運動をしたわけではなく、通常の日常生活のなかでの発症でした。

病院で診てもらったところ、椎間板ヘルニアとの診断でした。
「若い頃、ずいぶんギックリ腰をしたからなぁ・・。」
ギックリ腰と椎間板ヘルニアの因果関係は分かりませんが、それにしても、夫の病状は急激に悪化していきました。

夫の病状は不思議な経過をたどり始めました。
日中に針治療などを受け、痛みも治まり、就寝したはずなのに、夜中の2時くらいになると激しい痛みで目を覚ますのです。うなり声を上げるくらいの痛みです。

私がハッとして目を覚ますと、夫の声が聞こえてきます。
私が飛び起きて夫の部屋に行くと、消毒薬の匂い・・・。
その頃、夫は痛む部分に湿布薬を貼っていたのですが、そのミント系の匂いとは異なる匂いが漂っています。

家の中に誰かが侵入している・・・そんな気がしてなりませんでした。
でも、戸締りには入念にしているはず・・・。
(その当時は、のちに分かったサッシ戸を外した痕跡にはまだ気付いていません。)

私は夫に痛み止めを飲ませ、脚をさすり続ける・・・。
そんな日が続きました。

私の注射痕も続いていました。私の心身は疲れの極致に至っていました。
それでも私は、家の中が暗くならないようにと気丈に振舞っていました。

所長から、検知器の説明を受けたのはそんな時でした。

所長は話し続けました。
「このアパートもね、全室入ってないから・・・3分の2くらいかな・・経営も大変だと思いますよ。古いからしょうがないけど・・でも、入居者の質は不思議にいいんだよね。学校の先生とか、医者とかー。」

医者?

私はがく然としました。
この安普請の古いアパートに医者・・・?

この町には、もっとましなアパートがいくつもあります。新築して入居者を募集するチラシも時々、新聞に入ってきます。一般的に高収入と言われる医者が、こんな1DKの古いアパートにいるとは・・・。
我が家とアパートの間に塀はなく、行き来は簡単にできます。

私の頭のなかに、「薬品の匂い」「注射痕」「メスの痕」「夜中の突然の目覚め」「夫の不思議な病状」・・・さまざまな事実がうず巻きました。
そして、このアパートに向かって異様に吠える犬・・・。

私は、所長の言葉に血の気が引きました。

D様、これは単なる偶然なのでしょうか・・・。


私の身体には、今もさまざまな症状が出ています。
朝になると付いている低温ヤケドのような痕、夜中に目を覚ますとこわばっている手、シーツに付いている血を薄めたような染み(ヒザの関節がギクシャクするようになりました)、チリチリ痺れている手と足・・・等々。

そして、住居侵入も続いています。
1週間ほど前には、全く湿り気のない居間のカーテンにナメクジがついていました。
侵入している形跡は、その他にも数多く見つかっています。

D様、この組織犯罪の卑劣さは他に類を見ません・・・。


今年2月、私はこのアパートから出て行く車をみて「あれっ」と思いました・・・。
D様、それを次回に書きたいと思います。


北の地方ではもう初冠雪があったとかー。
季節は、この地の紅葉の準備に追われていることでしょう。
朝晩の冷えにご留意くださいますようー。


                                                 2009.9.17
                                                      万 留 子



(17)

D 様


この4日間、この地にはさわやかな陽光が降りそそぎました。
太陽にはもう真夏の強烈さはなく、風は心地よく乾いていました。
私は今日、このファインデイを満喫すべく、久ぶりに家の周りを掃除したのです。
庭の雑草は、真夏と変わらない緑色で、まだ伸び続けています。
私はそれを、一本づつ手で引き抜き、しばし無心の時を過ごしたのでした。


しかし、D様ー。
引き抜いた草を片付ける時、私の気持は一瞬、曇りました。
「また、湿っている・・・」
家の周りが異様に湿っているのです。
以前から気になっていました。

今年の梅雨に入る前、私は夫と共に家の周囲に土を積み上げました。
家の周りの地形が、いつの間にか、家の方に近づくにつれ低くなっていたからです。
私たちは、雨の侵入を防ぐための措置をほどこしたのでした。

家の周りの地形が、雨水の侵入を促すように変化していくなど、自然には起こり得ない現象です。
地形は、この1年位の間に少しづつ変化していきました。
「変だな・・・」とは思っていました。
玄関側の通路には、ベージュ色の細かい砂利が敷いてあったのですが、それが少しづつ薄くなっていたからです。ほとんど地肌が見えるところも出来ていました。

この家を購入したのは、4年ほど前ですが、砂利はその時から敷かれていました。
築20年の家ですから、かなり前に敷かれたものだと思います。
それが、この1年の間に、少しずつ削り取られるように薄くなっていったのです。

そして、気が付いた時には、家の周りに雨水が溜まるようになっていました。
この少しずつの変化は、この組織犯罪の特徴のひとつです。

(脳科学者の茂木健一郎氏がよく出すクイズに、徐々に変化していく写真がありますが、
どこが変化しているのか中々分かりません。人間の脳は、急激な変化には敏速に反応しますが、
時間をかけた微妙な変化は気付きにくいようです。)

昨秋の夜、私は、枕元に置いてある電気スタンドの笠に目を留めました。
シェードは布製なのですが、埃よけのビニールが巻いてあります。
そのビニールの一端がほどけてシェードからはがれていたのです。不自然なほつれでした。
「いつ、はがれたのだろう・・?」
動かすことなどほとんどないのにー。
気にはなりましたが、いずれ直そうと思い、そのまま寝てしまいました。

数日後、私はまた、電気スタンドに目を留めました。
以前より、はがれている部分が大きくなっているようでした。一度はがれれば、その部分が大きくなって来るのは、当然のことです。「早く直さなければ・・」と思いました。
しかし、就寝前でしたので、そう思っただけで直すことはありませんでした。
当時、心身共に疲れていたせいもあります。

さらに数日後、そのほつれは更に大きくなっていました。
しかも、あり得ないほつれ方でした。

そのビニールは、幅5センチ位で、シェードを上下に巻きながら、グルグルと一周する形で覆ってありました。その日、ほどけていたのは上下に巻いてある二回り目でした。
二回り目は自然にはほどけません。つまり、誰かが手でビニールの端を上にもっていかなければ、ほどけることはないのです。

「また・・・」
私は暗澹たる気持でした。
その当時、私の回りには、誰かが家に侵入しなければ、起こりえない現象が頻発していました。
私の日常はそれに翻弄され、疲れきっていたのです。
私は、そのほつれを直す気力すら出ない状態になっていました。

電気スタンドのビニールは、その後もほどけ続けました。
そして、2ヶ月後には、3分の2位がほどけた状態になってしまったのです。

気付かれない程度に、少しずつものを壊していくーというのは、この組織犯罪の手口のひとつです。
その他の例はいずれ書きたいと思ってます。


さて、昨日ー。
好天が続いたにも関わらず、我が家の周りは、異様な湿り気を帯びていました。
水を撒いたように湿っているのです。不自然な湿り方でした。

以前から、私はその不自然さには気付いていました。

ある日の夕方ー。
好天の一日で、家の周りの土は表面が白く乾いていました。
しかし、翌朝になってみると、土はジットリと湿っているのでした。夜露に濡れたという程度の湿りではありません。水が中まで滲み通っているのです。
しかも、白く乾いている所と、湿って黒くなっている所がまだらになっています。
通りの方から、死角になっている所が主に湿っているのでした。

我が家は、南側にアパートが建っていますから、日当たりがいいとは言えません。
しかし、そのアパートのせいで、雨もそれほど吹き込まないのです。
それに、東西に風の通り道がありますから、好天になればいつまでも湿っていることはありません。
それが、今年、盛土をした後、水を撒いたような湿りが始まりました。
まるで、雨水の侵入を阻止された腹いせのようにー。

D様、「そんなことまでするのか・・?」と、お思いですか?
この犯罪の卑劣さは、人間の通常の想像をはるかに超えています・・・。


さて、前回の続きを書かせていただきます。

12月中旬の朝ー。
私は、右脚の注射痕に驚愕し、怯えました。
夫は、「虫に食われたんだ、虫・・」と、自分自身に言い聞かせるように言うのでした。

なぜ、病院に行かなかったのかー。
その理由は・・・。

私は、その2年ほど前から、目に異常を感じるようになっていました。
通常の生活には支障はないのですが、文字が読みづら状態なのです。
昨年の10月に、町内の眼科で検査した結果、視野の一部が欠けているのが分かりました。
緑内障ではなく、原因は分かりません。眼科の先生は、脳に何か異常があるかも知れないと、町内の脳神経外科の医院に紹介状を書いてくれました。

そして、その医院でいろいろ調べたのですが、脳にも異常はありませんでした。
担当の先生は、血行不良などが原因で、視力に異常が出る場合があると説明してくれました。そして、血行を良くするための薬を飲み、経過を見ることになったのです。

親切な先生で、肩が凝ってるかどうかを触診し、「かなり凝ってるね・・。でも、大丈夫、きっと良くなりますよ。」と言ってくれたのでした。
週に1度、通院することになりました。

翌週、私はまた、その医院を訪れました。

順番が来て、診察室に入った時です。
先生はパソコンの前の診察用の椅子に座っていました。
私はあいさつをして、その前の椅子に座りました。
その時、看護士の女性が入って来ました。
そして、「先生、ちょっと・・」と医師を、陰の離れたところに呼んだのでした。

何か、話しているようでした。
やがて、戻ってきた先生は眉根を寄せていました。
そして、パソコンで私のデーターを見ながら、「えーと・・・○○先生の紹介で・・検査のためにこちらに来たんだよね・・・」などと、独り言のようにつぶやくのでした。
先生を呼んだその看護士の女性は、すぐそばに立っています。

その立っている看護士に、私は違和感をもちました。
その医院はMRIの検査機のほかに、リハビリのためのマッサージ機などもあり、患者が多いのです。看護士はみな、忙しく院内を走り回っています。
診察室で、看護士が先生の側で、何もせずに立っているなどということはありません。
看護士は、私の顔をチラチラを伺っています。

「2週間分の薬を処方します・・経過に変化がなければ・・原因は分からないですよ・・」
目を逸らしながら、そう言う先生の対応は、前回とまったく違っていました。

D様、看護士の女性は、担当医に何を言ったと思われますか?

私の人格をおとしめる、何かを言ったことは確かでしょう。
たぶん、私に精神的な疾患があるかのような言葉を発したのだと推測しています。
先生のそばに立ち、私の顔を伺う表情で直感しました。

この組織犯罪の協力者はいたるところにいます。当然、病院関係にもいると思われます。
この看護士が協力者だとは言いませんが、何か、外からの情報を吹き込まれれている可能性はあります。
ターゲットの悪評を撒き散らすことは、この組織犯罪者たちが協力者を使ってよく行うことです。

D様、こんな場合どんな対応をしたらいいのでしょうか?
「先生、私には精神疾患はありません」・・と、言えばよかったでしょうか?
「その看護士さんは、先生に何を言ったんですか? 教えてください」・・でしょうか?
・・馬鹿げた言葉です。それこそ、精神病を疑われてしまいます。

黙っているしかありませんでした。
私は憂うつな気持で医院を出たのでした。

私は、自分の体にある注射痕を見た時、そのことを思い出したのです。
病院に行って、何と言えばいいのでしょう?
「寝ている間に、誰かに注射されました。なんの注射なのか調べて下さい」
こう言えば、医者はどう対処すると思われますか?

現実に、私の体には注射痕がついているのですから、冷静に医学的に調べてくれることも考えられます。
しかし、それを付けられた状況を説明しても、理解されることはないでしょう。

この組織犯罪の被害者は、精神異常者とされるケースが多いのです。
精神異常者として強制入院させるか、自殺に追い込むか、きれて犯罪を起こさせるか、病死、事故死・・・それが、この組織Kが行う「実地演習」の到達点だと考えられます。

この組織に属する者はどんな教育をされているのか・・。
定期的に社会に送り出される「卒業者」は、どんな仕事をしているのか・・・。
それが明らかにされなければ、この日本の民主主義は蝕まれ続けることでしょう。

何年か前、ロシアでの衝撃的な映像が、テレビで放映されたことがありました。
群集の中で騒いでいた女性に、後ろから近づいて行った女が注射をしたのです。
注射を打たれた女性は、瞬時に倒れました。
ゾッとする映像でした。

注射は、昏睡させる目的で打ったらしいのですが、それにしても信じられない光景でした。
旧ソ連では、こんなことは当たり前のように行われていたのでしょう。

旧ソ連のKGBにあたるのが、日本ではKという組織です。
日本における組織Kの活動には、国民の目は届いていません。
暴走しないと誰が保証できるでしょう。

私は、今、日本全国の被害者が告発しているこの組織犯罪を、Kの仕業であるとは言っていません。
しかし、その疑いはもっています。

この組織に属する人たちは何をしているのかー。
巨額の予算は何に使われているのかー。
それを明らかにするのは、民主主義国家として当然のことです。


注射痕は2ヶ月くらい続きました。
今はもう消えていますが、長さ1センチ位のメスの痕が薄く残っています。(当時、注射痕と共にメスの痕がついていたこともありました。)

D様、私の健康は、徐々に蝕まれているようです。
手足がチリチリとしびれるようになりました。
脚の血管は、あちこちに細い糸くずがくっ付いているかのように、肌に浮き上がってきています。

私は何を打たれたのでしょう・・・?


D様ー。
昨年、我が家のそばの電柱に、ガス会社が検知器を付けたことを以前書きました。覚えておられますか? 
その後、私の耳鳴りが始まり、犬や猫の様子も変わってきたのでした。そこで私は、ガス会社に検知器について問い合わせをすると、営業所長が来て説明をしていきました。
このことを6通目の手紙に書きました。

その手紙の中で、私はこの所長がある嘘を言ったと書きました。
なぜ、そんな嘘を言う必要があったのかー?
しかし更に、所長はその時、そんな嘘はどうでもよくなるほどの、ある事実を口にしました。
その言葉に私はがく然としたのでした。

それは、私にとって衝撃的な言葉でした・・・。
D様、それを次回の手紙に書きたいと思います。

季節は秋への足を早めているようです。
朝晩の冷えに風邪など召しませぬようー。



                                                2009.9.10
                                                     万 留 子





(16)

D様


日暮れの早さに、夏はもう遠い後姿だと気付かされます。
犬と散歩する夕刻ー西の山々は、透明なサーモンピンクの空にくっきりとその稜線を刻み、
あたりの景色を覆う黄昏色のヴェールは、日一日とその濃さを増しています。
涼しさが寒さへと変わっていく季節のなかで、私の一日が繰り返されていきます。

今日の昼食後・・・・。
私は、事務所の椅子に座って、何気なく道行く人を見ていました。

(我が家の、西側を走る道路の通行量は、この一年の間に大分少なくなりました。
近くにあったスーパーが、昨年8月に閉店したからです。
時折、車の往来と、近隣の人が歩いていく姿が見える程度です。 閑静になったことを、喜ぶべきなのでしょうが、買い物の不便や、夜間の防犯を考えればマイナスです。)

椅子に座っていた私の耳に、「カーッ」という声が聞こえてきました。喉の奥から、痰をかき出す音です。
「来た・・」
私は思わず眉をしかめました。

自転車に乗ったその男は、私の家の前に差し掛かると、必ず唾を吐いて行くのです。
一時はほぼ毎日でした。このところ、しばらく来ないなと思っていたら・・来ました。

男はやっぱり、私の家の前を通り過ぎる時に、「ペッ!」と唾を吐いて行きました。
注意しようにも自転車ですから、アッと言う間に行ってしまいます。
道路沿いのヒバの木に、唾がベッタリと付いていたこともありました。

男が来ると分かるのです。
遠くから「カーッ」と、唾を吐く準備をする声が聞こえて来るからです。
以前、その声がしたので、急いで窓を開け、「唾を吐くのは止めてください!」と大声で言ったのですが、アッという間に行ってしまいました。

この組織犯罪(集団ストーカー)の被害者は、唾を吐かれると訴える人が少なくありません。
「唾を吐いている人などいくらでもいるー」と、お思いですか?
確かにその通りです。しかし、被害者は、それが通常の頻度を超えているから言うのです。唾吐きは、何度も何度も繰り返されます。被害者が苛立ち、怒るまで・・・。
そして怒れば、「唾を吐いたぐらいで怒る頭の変な奴」との悪評をたてるのです。

被害者の近くで、咳払いをするというのも同種のハラスメントです。
「咳払いする人間はどこにでもいるし、気にする方がおかしいー」・・誰に訊いてもそう答えることでしょう。
そうです。単なる咳払いです。そんなことを気にするのは、精神的におかしいのです。
被害者にしても、通常であれば気にも留めないことです。

なぜ、気にするのかー?
それは、何度も何度も、ありえない頻度で咳払いする人に出会うからです。

たとえば、スーパーに買い物に行った時ー。
店に入るなり、すれ違った人が「ゴホン」とします。
かごとカートが置いてある場所にいた人が「ゴホン」、
野菜売り場で追い越して行った人が「ゴホン」、
魚を見ていると後ろで「ゴホン」、
惣菜売り場で横にいた人が「ゴホン」、
レジで前に並んでいた人が「ゴホン」、
調味料を見ていると通りすがりの人が「ゴホン」・・・。

被害者は咳払いが、気になってくるのです。
中には、偶然、咳が出た人もいると思いますが、それにしてもあり得ない頻度です。
これは何度も繰り返され、被害者は、たとえ一人二人の咳にも敏感になるという心理状態におちいります。

しかし、これを説明して、第三者の理解を得ることは難しいのです。
詳しく説明すればするほど、人の理解は遠のき、「何で、そんなことにこだわっているのだろう・・?」との疑問を持たれてしまうのです。

一見、些細とも思えるハラスメントは多種多様です。それが重複して被害者を苦しめます。
D様、あなたならこの犯罪の巧妙さを理解して頂けると思います。

(幸いにして、私は、不自然な咳をする人を、さりげなく観察する余裕が出来てきました。大抵の者は、その目に知性の光はありません。)
しかし、このような行為に協力する者とは、一体どういう種類の人たちなのかー。
D様、あなたはどうお考えになるでしょう?

私の観察によれば、男女とも低所得者と思われる人たちが多いようです。
彼らは、この犯罪の全容を知らないまま、パートを受け持っていると考えられます。
つまり、咳払いをしたり、唾を吐いたりすれば、なにがしかの報酬が貰えるのでしょう。あるいは、力関係において断れないような人から頼まれているかー。

現在、日本の地域社会は、統制が行き届いた形態になっています。
警察、行政(役所等)、議会、商工会、各種団体・評議会、消防団、町内会、PTA・・・。
どの組織も、リーダーを中心とする磐石なものです。
このリーダーたちは横のつながりもあり、地域全体の統制が保たれているのです。

これらの組織に属する人、または何らかの形で関係のある人たちが、何も知らないまま、巧妙に協力者にさせられていることは充分に予測されます。リーダー格が誘導しようと思えば、難しいことではありません。
しかし、この犯罪の全容を知っているのはごく一部の者だと思います。

特に、私が住むこのY町は、ある特殊性を持っています。それは、日本全国でこの町だけーというのではありませんが、それほど多くない特性です。このことに付いては、次回以降に書きたいと思っています。


さて、D様ー。
前回、私は、就寝中の住居侵入について書きました。
住居に侵入されても、目を覚まさない理由は、おそらく麻酔系のガスを使用しているとの推測をしました。
それは間違っていないと思います。

就寝中の住居侵入の目的はいろいろありますが、侵入された側が目を覚まさなければ、何でも出来ます。身体に危害を加えることも・・・。

昨年9月の朝ー。
朝食を食べようとした私は、アゴに違和感を感じました。
アゴの上下を結ぶ関節に痛みが走り、力が入らないのです。物が噛めません。
前夜の夕食時、そして就寝するまでは何の異常もありませんでした。当日の朝になったらそんな状態になっていたのです。
「寝違えたんじゃないのか?」
夫は病院に行くよう勧めてくれました。

朝食も食べられないまま、私は町内の整形外科の医院に行きました。
レントゲンを撮ってもらいましたが、異常はありませんでした。
私は、痛みの原因は何かと担当医に尋ねました。「炎症を起こしていると思われるが、その原因は分からない」とのことでした。激しい運動などが原因の場合もあるらしいのですが、私の場合には当てはまりません。
結局、炎症止めの薬を処方してもらっただけでした。

受診の帰り、ファーストフード店に寄りました。
そして、コーヒーを飲んでいる時ー。

私は、口を大きく開けることが出来ないので、慎重にカップを口元に運んでいました。
にも関わらず、何か口の中に違和感があるのです。
舌で口の中を探ってみました。すると、以前、歯の治療で詰めた金属が取れかかって、グラグラしてる状態でした。

「アレッ、どうして・・?」

不思議でした。昨夜の夕食の時は何の問題もありませんでした。特に固いものを食べたわけでもありません。寝る前に歯を磨いた時も異常はありませんでした。
私は就寝中に歯ぎしりなどはしませんし、原因に心当たりは全くなかったのです。
歯の詰め物は、一夜にしてそんな状態になってしまいました。

D様、あなたはもうお分かりになったことと思います。
私がそれに気付いたのは、数ヶ月経ってからでした。

11月下旬のある朝ー。
朝食後、私は何気なく左の上腕部を触りました。
すると、触った部分におかしな痛みを感じました。
私は着ていたセーターを巻くり上げて、その部分を見てみました。

赤むらさき色の円形の痣・・・注射痕でした。
私は全身から血の気が引きました。

その頃、私の身の回りには、異常なことが起こり続けていました。
物の紛失、故障、ありえない移動、不可思議な音、光・・・。
(これらは、この組織犯罪の被害者がネット上で訴えている内容と共通するものです。これらを詳細に分析しているサイトもあります。)

当時、私はパニック状態となっていましたが、幸い冷静な部分は残っていました。
自然には起こりえない痕跡・・・就寝中に誰かが家に侵入しているのです。

「戸締りは入念にしているはず・・。」

(その後、私は戸締りが完璧ではなかったことを知るのですが、その時点では、侵入経路が分かりませんでした。)

注射痕に呆然としたまま、私は数ヶ月前のあごの炎症を思い出しました。
前夜まで何の異常もなかったあごが、翌朝、口を開けようとすると激しい痛みに襲われたのでした。

あの時、私は就寝中に口をこじ開けられたのではなかったのか・・・?
歯の詰め物をはずす危害が加えられた・・・。

D様、たいていの人は、「そんなことまで?」「まさか・・」「馬鹿げた想像だ・・」との反応を示すことでしょうね。そして、またこの言葉です・・・「誰が、何のためにー。」

しかし、あの時のあごの痛み、歯の異常は、何かの力が作用しない限り起こり得ないことでした。そして、それは現実に起きたことです。
(被害者たちは、この犯罪の悪質さ卑劣さを身をもって体験しています。確かにそれは、信じがたい犯罪なのです。)

私はそれまで何年間も、注射をしたことはありませんでした。

私は、夫に上腕部の痕跡を見せました。
「昨日までこんな痕はなかった・・・有り得ない・・。」
夫は私の腕にある痕跡をみて一瞬、驚いた表情を見せました。
しかし、無理に笑顔を作り、言うのでした。
「虫に食われたんだろう・・虫だよ、虫・・」

私はその頃、夫に対し毎日のように、不可思議な現象を訴えていました。しかし、家の中のことは、私に任せきりの夫は、私の言うことが理解ができずに、聞くのを嫌がるという状態になっていました。

「俺は、人に恨まれるようなことは何もしてないよ。誰が、何の為にそんなことをするんだ」

夫の言うことは、第三者の通常の反応でした。
いつしか夫の頭には、「そんなことは有り得ない。妻の勘違いに決まっている」という、堅固な回路が出来上がっていました。何を言っても、その回路で、不可思議な現象を整合してしまうのでした。

上腕部の円形の痕跡は、虫に食われたものではありません。触ってみて分かりました。
押すと注射後の独特の痛みを感じるのでした。

当時、私はすでに心身共に疲れきっていました。
そんな時のその注射痕でした・・・。
「何を打たれたのだろう・・・?」
私は、不安と恐怖で押しつぶされそうでした。

しかし、私には日々やるべきことが沢山ありました。
家事一切をしなければなりませんし、会社の事務的な仕事もあります。
私は、気力だけで動いている状態でした・・・。

D様、私はあなたから、物事を論理的に考えるすべを教えて戴きました。
どんな時も、理性を失わずに考えなければなりません。
しかし、卑劣で悪質なこの犯罪にどう対応すべきなのか、私はその答えが見つかりませんでした。

私は思考することが億劫になっていました。
ただ、機械的に、そして緩慢に体を動かし、一日を過ごすだけでした。

風呂に入らない日が続きました。
毎朝、パジャマの上から体を触ってみると、いつもどこかに、注射後のあの痛みを感じる部分があるのです。でも、確認することはしませんでした。
私は自分に、「気のせいなのだ・・・注射痕などあるはずがない」と言い聞かせていました。
入浴すれば、その時に注射痕が見つかるかも知れない・・・それが怖かったのです。

そんなある日の朝方、右脚の筋肉が激しくつった痛みで目が覚めました。
私は、横になったまま足を擦りました。しかし、痛みは治まりません。
体を起こして擦り始めた時、右脚の踵の上部に青黒いアザがあるのに気が付きました。
注射痕でした・・・。

頭から血の気が引きました。
私はそのまま倒れるように、また横になり布団を頭から被りました。
震えが止まりませんでした。
予想したとおり、夫は「虫だ、虫に食われたんだ」と言うのみでした。
12月も中旬のことです。就寝中にどんな虫に食われたというのでしょう・・。

D様、なせ医者に行かなかったのかとお思いですか? 
当然の疑問です。
その理由を次回の手紙に書きたいと思います。



D様、日本中を喧騒の渦に巻き込んだ選挙が終わりました。
政権が代わり、新しい政治が動き出そうとしています。
この変化が国民の幸せに繋がりますようー。

またインフルエンザの流行が騒がれています。
どうか健康に御留意下さい。




                              
                                                    2009.9.3
                                   
                                                     万 留 子

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