(19)
D 様
今日の空は青く、風が時おり木の葉を揺らしています。
家のモミジの葉の先が、黄色味を帯びてきました。
夏の青葉は、犬小屋への日差しを遮ぎり、パルの一日を快適にしてくれていました。
その役割を終え、遠慮がちに秋への身支度を始めたようです。
さてD様ー。
前回の手紙で、私はPPM(ピーター、ポール&マリー)のことを書きました。
スーパーのワゴンに並べられたCDの中から、彼らのアルバムを見つけ、私は思わそれを手にしたのでした。今月6日のことです。彼らのサウンドは、私を60年代へタイムスリップさせてくれました。
そのことを、私は17日の手紙に書いたのでした。
そして翌日、私は朝刊を読んで驚きました。メンバーのマリーの訃報が載っていたからです。
もう72歳になられていたとのことで、私は改めて歳月の重なりを思ったのでした。
それにしても、なんという偶然なのでしょう。
再度聴いたCD・・・彼女は、変わらぬ若さで歌っていました。
さて、前回の手紙の続きを書こうと思います。
隣のアパートに、医者が入居しているという事実は、私を驚愕させました。
注射痕、メスの痕、シーツに残る液を垂らしたようなピンクの染み、痺れる手足、部屋の薬品臭、
低温ヤケドのような痕、・・・さまざまな事象が一挙に頭に浮かびました。
「医者がすぐ隣に住んでいた・・・・」
その頃、私は夜中に目覚めることが多くなっていました。
ハッとした感じで目を覚ますのです。
そして、大抵の場合、外から聞こえる微かな音に気付きます。
ゴォーとした機械音 ー 静まりかえった部屋に、遠い地響きのように聞こえてきます。
何の音だろう・・・?
ずっと疑問でした。それでも、私は起き上がることをせず、目をつぶってその音を聞いているだけでした。疲れきっていたのです。
ある夜ー。
夜中に目覚めた私は、やはりその音を聞きました。
枕にのせた頭の中に響いてくるゴォーという微かな音・・・。
私は、ぼんやりとその音を聞いていました。
そして寝返りをうった時、私は何気なくパジャマの襟元に手をやりました。
一番上のボタンが外れていました・・・。
しっかりとしたネル地のパジャマで、大きめのボタンがついています。自然に外れるはずはありません。
夜気が冷たい折、無意識に外したということも考えられません。
私はハッとして、両腕をさすりました。
左上腕部に微かな痛み・・・注射後の痛みでした。
(その頃、私は朝になると、体のあちこちをさする癖がついていました。
注射の有無を確かめていたのです。たいていの場合、腕や脚のどこかに痛みを感じました。
しかし、その箇所を確認することはほとんどありませんでした。注射をされているという事実と向き合うのが怖かったのです。)
ゴーォという音は続いていました・・・。
私は上腕部を押さえ、暗い部屋の中で震えていました。
しかし、D様ー。
私の頭の中は、どんな時も冷静な部分を残しているようです。
それは、貴方から無意識のうちに学んだのだと思います。
私は起き上がりました。
目覚めるといつも聞こえてくる音・・・それを確かめようと思ったのです。
私は居間に行き、サッシ戸を開けました。
その外側には雨戸があります。付いている簡易な錠を外して戸を少し開けました。
ゴォーという音が大きくなりました。
私は、開けた戸の間から少し顔を出して、音のする方を伺いました。
音はアパートから出ていました。
アパートの1階の部屋に灯りがついていまっした。
その部屋のガスの温水器が稼動していました。部屋の外側にボイラーの排気が出るようになって
いて、それが動いていたのです。音の発生源はそこでした。
シャワーを浴びているようです。
日中には気付くこともない音が、夜中になると、戸を閉め切った家の中にまで侵入して来ていたのでした。
耳を澄ますと、2階の方からも同様の音が聞こえていました。
2階の部屋は見えません。敷地の西側へ行き、更に少し北側に行ったあたりからは見えます。
私は雨戸をもう少し開けて、外に出ました。
2階の1室に灯りがついているのが見えました。そこからもゴォーという音がしています。
やはりもシャワーを使っているようでした。
こんな時間に・・しかも2室が同時に・・・。
ひと仕事終えたというところなのでしょうか・・・。
私は、思わず上腕部を押さえました。
「あそこが医者の部屋なのだろうか・・・?」
音の正体はつかめました。
しかし、私はいっそう暗うつな気持に陥ったのでした・・・。
そんなある日ー。
私は用事があり、車で出かけようとしました。
敷地から道路へ出ようと左右を見渡し時、アパートの駐車場から1台の車が出ていくのが見えました。
「アレッ?」と思いました。
近くのL薬局によく停めてある車でした。
L薬局は、1年半ほど前に開店した調剤薬局で、筋向いの病院のすぐそばにあります。
犬の散歩の時にそこを通るので、そのグレーの小型車には見覚えがありました。
社名などは書いてない車ですが、長時間停めてあることから、薬局関係者の車であることは確かだと思います。
「このアパートに何の用事があったのだろう・・・?」
医者の所に、何か薬品をもって来た・・そう考えるのは穿ち過ぎでしょうか。
車は、我が家と反対の方向に行こうとしていました。その方向からの出入りは、我が家から死角になり見えません。その時は、私が車を出そうとしていたので気が付いたのでした。
私は、その車と同じ方向に車を走らせました。家の敷地から左側に出る方向です。
いつもは右側に行くのですが、ガソリンを入れる時は左側に行きます。その方が給油スタンドに入りやすいのです。
その車の後ろを付いて行く形になりました。
2百メートルほど走り、車は、交差点を左折して行きました。
私は赤信号で停止して、その車が行った方向を見つめていました・・・。
そのグレーの車は不思議な走り方をしました。
走ったコースは、アパートを出発点としてコの字型になるのです。それなら、アパートから出る時に右側に行った方が効率的でした。つまり、我が家の前を通るコースです。
D様、車はなぜ、我が家の前を通らなかったのでしょう?
その車は、その時初めてアパートを訪れたのではないような気がしました。
慣れた道路を走るような運転・・・いつも、このコースをとっていたのかも知れません。
私の家から死角になるコースをー。
何故、わざわざ・・・・?
私は、その薬局を利用した時のことを思い出しました。
その数ヶ月前のことでした。
私は、視覚の異常に気付き、町内の眼科に行きました。視野に欠けている部分があったのです。
緑内障を疑いましたが、そうではありませんでした。検査をしても視覚器に異常はなく、原因が分からないのです。
血行が良くなる薬を飲んでみることになりました。
医師が薬の処方箋を書いてくれましたので、私はそれを持ってL薬局に行きました。
眼鏡をかけた中年の女性が出てきました。その女性は処方箋を見ながら、詳しく病状を訊き始めました。
初めての利用者に対し、アレルギーの有無や、他に飲んでいる薬の情報などを質問するのは当然のことです。
しかし、私は違和感をもちました。
私が、その薬局を利用したのは、初めてではありません。以前、膀胱炎の症状が出た時に、訪れたことがありました。その時にさまざまな質問に答えていて、そのデータは残っているはずでした。
しかも、その女性が訊くのは、病気の詳しい内容だったのです。
医師が、私を診察した結果の処方箋なのですから、改めて病状を訊く必要はありません。薬剤師として必要な質問をした後は、処方箋に従って薬を出せばいいことです。
その女性は、私が答えることをメモしていました。私はごく簡略に答えていました。
言葉の端に、「その質問には納得できない」というニュアンスを含んでいたと思います。
その時、奥から初老の男性が出て来ました。
私と目が合いました。
瞬間、私は本能的な嫌悪を感じました。
私の様子を伺うような目・・・興味、冷酷、揶揄、優越感・・その目は異様な光を放っていました。
「こんにちわ・・・」
男は、私から目を離さずに言いました。
「こんにちわ・・」
私は、努めて明るく答えようとしましたが、ぎこちない口調になりました。
すると、男は何をするでもなく、また奥へ戻って行ったのでした・・・・。
それ以来、私はその薬局を利用していません。
D様、私はナーバスになり過ぎているのでしょうか?
でも、あの時、初老の男に感じた嫌悪は、反射的で、かつ本能的なものでした。
私は、自分のその直感を疑いません・・・。
この組織犯罪は、さまざまな人間が加害行為に協力しています。
被害者が訴える犯罪の実態は、加害者の数の多さを示唆しています。
だから、通常の犯罪を計るものさしでは、この犯罪を理解することは出来ません。
加害者たちは、通常の人間がもつ、常識的な感覚を隠れみのに、犯罪を繰り返しているのです。
しかし、20年前、ソ連の崩壊を予測した人がいるでしょうか?
どんなに堅固に見える組織でも、あっけなく崩れる日が来るのです。
この犯罪は必ず、暴かれる日が来ます。私はその日は近いと信じます。
D様、私は以前の手紙で、私が住むこのY町の特殊性について触れました。
他の町より統制が進んでいるのは、その特殊性からです。
それを次回の手紙に書きたいと思います。
昨日歩いた川原の片隅に、彼岸花が咲いていました。
夏の草花が勢いを失うなかで、季節の花は、その存在を誇示しているかのように生気を放っています。子供の頃、この不思議な形状の花に見とれていたことを思い出しました・・・。
朝夕の冷えが増して来たようです。
ご自愛下さいますようー。
2009.9.24
万 留 子

今日の空は青く、風が時おり木の葉を揺らしています。
家のモミジの葉の先が、黄色味を帯びてきました。
夏の青葉は、犬小屋への日差しを遮ぎり、パルの一日を快適にしてくれていました。
その役割を終え、遠慮がちに秋への身支度を始めたようです。
さてD様ー。
前回の手紙で、私はPPM(ピーター、ポール&マリー)のことを書きました。
スーパーのワゴンに並べられたCDの中から、彼らのアルバムを見つけ、私は思わそれを手にしたのでした。今月6日のことです。彼らのサウンドは、私を60年代へタイムスリップさせてくれました。
そのことを、私は17日の手紙に書いたのでした。
そして翌日、私は朝刊を読んで驚きました。メンバーのマリーの訃報が載っていたからです。
もう72歳になられていたとのことで、私は改めて歳月の重なりを思ったのでした。
それにしても、なんという偶然なのでしょう。
再度聴いたCD・・・彼女は、変わらぬ若さで歌っていました。
さて、前回の手紙の続きを書こうと思います。
隣のアパートに、医者が入居しているという事実は、私を驚愕させました。
注射痕、メスの痕、シーツに残る液を垂らしたようなピンクの染み、痺れる手足、部屋の薬品臭、
低温ヤケドのような痕、・・・さまざまな事象が一挙に頭に浮かびました。
「医者がすぐ隣に住んでいた・・・・」
その頃、私は夜中に目覚めることが多くなっていました。
ハッとした感じで目を覚ますのです。
そして、大抵の場合、外から聞こえる微かな音に気付きます。
ゴォーとした機械音 ー 静まりかえった部屋に、遠い地響きのように聞こえてきます。
何の音だろう・・・?
ずっと疑問でした。それでも、私は起き上がることをせず、目をつぶってその音を聞いているだけでした。疲れきっていたのです。
ある夜ー。
夜中に目覚めた私は、やはりその音を聞きました。
枕にのせた頭の中に響いてくるゴォーという微かな音・・・。
私は、ぼんやりとその音を聞いていました。
そして寝返りをうった時、私は何気なくパジャマの襟元に手をやりました。
一番上のボタンが外れていました・・・。
しっかりとしたネル地のパジャマで、大きめのボタンがついています。自然に外れるはずはありません。
夜気が冷たい折、無意識に外したということも考えられません。
私はハッとして、両腕をさすりました。
左上腕部に微かな痛み・・・注射後の痛みでした。
(その頃、私は朝になると、体のあちこちをさする癖がついていました。
注射の有無を確かめていたのです。たいていの場合、腕や脚のどこかに痛みを感じました。
しかし、その箇所を確認することはほとんどありませんでした。注射をされているという事実と向き合うのが怖かったのです。)
ゴーォという音は続いていました・・・。
私は上腕部を押さえ、暗い部屋の中で震えていました。
しかし、D様ー。
私の頭の中は、どんな時も冷静な部分を残しているようです。
それは、貴方から無意識のうちに学んだのだと思います。
私は起き上がりました。
目覚めるといつも聞こえてくる音・・・それを確かめようと思ったのです。
私は居間に行き、サッシ戸を開けました。
その外側には雨戸があります。付いている簡易な錠を外して戸を少し開けました。
ゴォーという音が大きくなりました。
私は、開けた戸の間から少し顔を出して、音のする方を伺いました。
音はアパートから出ていました。
アパートの1階の部屋に灯りがついていまっした。
その部屋のガスの温水器が稼動していました。部屋の外側にボイラーの排気が出るようになって
いて、それが動いていたのです。音の発生源はそこでした。
シャワーを浴びているようです。
日中には気付くこともない音が、夜中になると、戸を閉め切った家の中にまで侵入して来ていたのでした。
耳を澄ますと、2階の方からも同様の音が聞こえていました。
2階の部屋は見えません。敷地の西側へ行き、更に少し北側に行ったあたりからは見えます。
私は雨戸をもう少し開けて、外に出ました。
2階の1室に灯りがついているのが見えました。そこからもゴォーという音がしています。
やはりもシャワーを使っているようでした。
こんな時間に・・しかも2室が同時に・・・。
ひと仕事終えたというところなのでしょうか・・・。
私は、思わず上腕部を押さえました。
「あそこが医者の部屋なのだろうか・・・?」
音の正体はつかめました。
しかし、私はいっそう暗うつな気持に陥ったのでした・・・。
そんなある日ー。
私は用事があり、車で出かけようとしました。
敷地から道路へ出ようと左右を見渡し時、アパートの駐車場から1台の車が出ていくのが見えました。
「アレッ?」と思いました。
近くのL薬局によく停めてある車でした。
L薬局は、1年半ほど前に開店した調剤薬局で、筋向いの病院のすぐそばにあります。
犬の散歩の時にそこを通るので、そのグレーの小型車には見覚えがありました。
社名などは書いてない車ですが、長時間停めてあることから、薬局関係者の車であることは確かだと思います。
「このアパートに何の用事があったのだろう・・・?」
医者の所に、何か薬品をもって来た・・そう考えるのは穿ち過ぎでしょうか。
車は、我が家と反対の方向に行こうとしていました。その方向からの出入りは、我が家から死角になり見えません。その時は、私が車を出そうとしていたので気が付いたのでした。
私は、その車と同じ方向に車を走らせました。家の敷地から左側に出る方向です。
いつもは右側に行くのですが、ガソリンを入れる時は左側に行きます。その方が給油スタンドに入りやすいのです。
その車の後ろを付いて行く形になりました。
2百メートルほど走り、車は、交差点を左折して行きました。
私は赤信号で停止して、その車が行った方向を見つめていました・・・。
そのグレーの車は不思議な走り方をしました。
走ったコースは、アパートを出発点としてコの字型になるのです。それなら、アパートから出る時に右側に行った方が効率的でした。つまり、我が家の前を通るコースです。
D様、車はなぜ、我が家の前を通らなかったのでしょう?
その車は、その時初めてアパートを訪れたのではないような気がしました。
慣れた道路を走るような運転・・・いつも、このコースをとっていたのかも知れません。
私の家から死角になるコースをー。
何故、わざわざ・・・・?
私は、その薬局を利用した時のことを思い出しました。
その数ヶ月前のことでした。
私は、視覚の異常に気付き、町内の眼科に行きました。視野に欠けている部分があったのです。
緑内障を疑いましたが、そうではありませんでした。検査をしても視覚器に異常はなく、原因が分からないのです。
血行が良くなる薬を飲んでみることになりました。
医師が薬の処方箋を書いてくれましたので、私はそれを持ってL薬局に行きました。
眼鏡をかけた中年の女性が出てきました。その女性は処方箋を見ながら、詳しく病状を訊き始めました。
初めての利用者に対し、アレルギーの有無や、他に飲んでいる薬の情報などを質問するのは当然のことです。
しかし、私は違和感をもちました。
私が、その薬局を利用したのは、初めてではありません。以前、膀胱炎の症状が出た時に、訪れたことがありました。その時にさまざまな質問に答えていて、そのデータは残っているはずでした。
しかも、その女性が訊くのは、病気の詳しい内容だったのです。
医師が、私を診察した結果の処方箋なのですから、改めて病状を訊く必要はありません。薬剤師として必要な質問をした後は、処方箋に従って薬を出せばいいことです。
その女性は、私が答えることをメモしていました。私はごく簡略に答えていました。
言葉の端に、「その質問には納得できない」というニュアンスを含んでいたと思います。
その時、奥から初老の男性が出て来ました。
私と目が合いました。
瞬間、私は本能的な嫌悪を感じました。
私の様子を伺うような目・・・興味、冷酷、揶揄、優越感・・その目は異様な光を放っていました。
「こんにちわ・・・」
男は、私から目を離さずに言いました。
「こんにちわ・・」
私は、努めて明るく答えようとしましたが、ぎこちない口調になりました。
すると、男は何をするでもなく、また奥へ戻って行ったのでした・・・・。
それ以来、私はその薬局を利用していません。
D様、私はナーバスになり過ぎているのでしょうか?
でも、あの時、初老の男に感じた嫌悪は、反射的で、かつ本能的なものでした。
私は、自分のその直感を疑いません・・・。
この組織犯罪は、さまざまな人間が加害行為に協力しています。
被害者が訴える犯罪の実態は、加害者の数の多さを示唆しています。
だから、通常の犯罪を計るものさしでは、この犯罪を理解することは出来ません。
加害者たちは、通常の人間がもつ、常識的な感覚を隠れみのに、犯罪を繰り返しているのです。
しかし、20年前、ソ連の崩壊を予測した人がいるでしょうか?
どんなに堅固に見える組織でも、あっけなく崩れる日が来るのです。
この犯罪は必ず、暴かれる日が来ます。私はその日は近いと信じます。
D様、私は以前の手紙で、私が住むこのY町の特殊性について触れました。
他の町より統制が進んでいるのは、その特殊性からです。
それを次回の手紙に書きたいと思います。
昨日歩いた川原の片隅に、彼岸花が咲いていました。
夏の草花が勢いを失うなかで、季節の花は、その存在を誇示しているかのように生気を放っています。子供の頃、この不思議な形状の花に見とれていたことを思い出しました・・・。
朝夕の冷えが増して来たようです。
ご自愛下さいますようー。
2009.9.24
万 留 子

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