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(74) 事件までの経緯

D様 ー。



不透明なスクリーンを貼ったような空が広がっています。
それは12月の色ではないけれど ー。

町に出れば、微かにクリスマスの曲が聞こえ、
商店には、クリスマスの飾りつけがされました。
それは、テレビが映し出す、都会の華やかな装飾には及ぶべくもない、
チープで、古ぼけた・・・毎年同じクリスマスツリー。
でも、どこか愛おしく、私は立ち止まり見入ってしまうのです。


さて、前回の続きに入らせて頂きます。

FK社の念願であった焼却炉の入替え ー。
私はついに、その申請書類を完璧に揃えることが出来ました。県の担当課は、もはや書類の訂正箇所を指摘することが出来なくなったのです。私が最初に相談に赴いてから、実に8年の歳月が流れていました。

この8年の間に、当社と住民の軋轢はエスカレートしていました。
担当課が指導力を発揮し、迅速に対応していれば、当社にも住民側にも良い結果を生んでいたことは確かでした。当社は、効率的な焼却作業が可能になりますし、住民たちへの煙の被害は軽減したはずです。

しかし、県の担当者たちは、自分の在任中の「受理」を避け、後任者への申し送りを繰り返したのです。
彼らは、当社と住民とのトラブルに事なかれ主義を押し通したのでした。

さて ー。
書類が整いましたので、私は、担当課に受理を急かせました。
もう、申請を拒否する理由はないのですから ー。

しかし、ある日 ー。
担当課長が、思いも寄らぬことを言い出しました。
「現在、倉庫にある在庫を全部、処分しなければ受理はしない。」と言うのです・・。


D様 ー。
「在庫」について説明したいと思います。

まず、前々回の手紙に戻らなければなりません。
その中で、私は、FK社の共同代表者であったYMとの対立で、裁判になった経緯を書きました。
以下に要約してみます。

1. 当社は、YMの裏切りにより、業務に携わる権限がなくなり、YMを提訴したのでした。
  しかし、裁判の結果が出るまでの間に、YMは事業を開始させました。工場内に、医療廃棄物の搬入を  始めたのでした。

2. しかし、裁判で係争中に、当該土地建物が競売となり、双方が入札する事態になりました。 
  そして、当方が落札したのです。YMは事業途中で、事業所から出る羽目になったのでした。


そして ー。
YMが出て行った後、私と夫は事業所に入りました。
そして、驚いたのでした・・・。

事業所内には、YKが集めた膨大な廃棄物が残されていたのです。
それは、屋外にも放置されていました。

私は、県の担当課に相談しました。
YMの事業に許可を出し、指導する立場にあった県が、その解決に乗り出すのは当然のことです。

しかし、彼らは「われ感知せず」の態度でした。
これから、FK社に廃棄物処分業の許可を出すには、そんなものはないことが前提だと言うのです。
だからと言って、FK社が業務許可を取得する前に廃棄物を焼却することは出来ません。
運び出すことも不可です。


やむ得ず、私は敷地内の倉庫にそれを保管させました。
許可取得後に、少しづつ処分することにしたのです。


しかし、D様 ー。
その思惑は外れました。

前回の手紙で述べたように、近隣住民から煙に対する苦情があり、FK社は、焼却能率が低下する状態が続いたのです。保管したものまで処分する余裕はありませんでした。

しかし、YKが残していった廃棄物は、容器が傷んでいるものが多かったのです。
優先的に処分する必要がありました。


医療廃棄物は、堅固なプラスチック容器か、内側に厚いビニール袋を入れたダンボール箱に収納されています。ダンボール箱の場合、風雨に晒されれば必然的に傷みます。倉庫内に保管させてあるとは言え、「在庫」を優先せざるを得なかったのです。

結果、搬入したものが残り・・「在庫」は入れ替わり続けました。
それが、倉庫に残っている状態だったのです。

また、稼動炉は老朽化していき、修理や改修が繰り返されました。
更に、「ダイオキシン規制法」が制定され、大規模な炉の改造も行われました。

その度に、炉の稼動を止めなければならず・・・入替え申請が遅々として進まない中、
「在庫」は膨らんでいったのです。


D様 ー。
ならば、廃棄物の受け入れを抑えればいい ー とお思いでしょうね?
しかし、それは簡単なことではないのです。

業者は大抵の場合、排出元と年間契約を結びます。
FK社も各医療機関と年間契約を結んでいました。長年、取引関係にある病院も多く、
急に「他に搬出してくれ」とは言えないのです。会社の都合で受け入れを拒否すれば、病院はたちまち廃棄物で溢れ返ることになります。


さて ー。
EN課長は、書類を受理する条件として「在庫」を処分しろと言うのでした。
しかし、老朽化した炉で、搬入物の他に在庫を焼却するのはとうてい無理でした。

私は、課長に対し、
「在庫は、焼却炉を変更した後に処分させて下さい。」とお願いしました。
入替え予定の大型炉で焼却すれば、ほんの数日で処分が可能だったのです。
私は、入替え許可の手続きを早急に進めるように訴えたのです。

しかし、D様 ー。
EN課長は「在庫の処分が先だ」として譲りませんでした。
課長は、当社の炉の焼却能力は百も承知のはずなのに ー です。

私は,課長に言いました。
「それなら、他社に委託して処分するしかありません。よろしいですか?」


さて、D様 ー。

廃棄物処理法では、廃棄物の再委託を禁止しています。
廃棄物の処分を受託した者は、それを他社に再委託をしてはならないのです。

私はEN課長に対し、
「それに違反をしてもいいのか」ー と、暗に問い質したのです。

すると課長は、
「いや、在庫はYMが残していったものじゃなかったかな?」
と言うのでした・・・。

つまり、受託した廃棄物でなければ、他社への委託は可能なのです。
在庫の廃棄物は、FK社が受託したものではなく、自社が排出したものとして他社に委託すれば、問題はないのです。医療廃棄物をFK社が排出したとするのは無理があるのですが、以前の事業者からの在庫だとすれば、なんとか法の範囲内に納まるはずでした。


D様 ー。
県の担当課は、従業員が嫌がるほど頻繁に会社に来ては、工場内を視察をしていました。
つまり、彼らは、廃棄物の在庫が膨らむ過程をつぶさに見ていたのです。
にも関わらず、EN課長は「YMが残して行った」と言うのでした。

しかし ー。
在庫はYMが残して行ったもの・・・。
県の担当課とFK社は、暗黙の合意をしたのでした。

私は早速、廃棄物を受けてくれる業者を探しました。
まず、県内の大手業者と交渉しましたが、けんもほろろに断られました。
ここの営業部長は、以前、ある病院との取引を当社に取られ、恨んでいたようなのです。
もう一社の大手業者との交渉も、価格面で折り合わず取引には至りませんでした。

私は、県内外の様々な業者にあたり、結局、隣のY県の業者と取引を決めました。
県内の業者にしたかったのですが、いたし方ありませんでした。

と言いますのは ー。
委託先が県外の業者の場合、煩わしい手続きをしなければならないのです。
受け入れる県の許可が必要となるのです。

私は急遽、書類の作成に取り掛かりました。
そして、仕上げるや、延々5時間ものドライブをして、Y県の担当課を訪ねました。
そして、担当者に早急な認可を要望したのです。

しかし、このY県の認可は遅々として進みませんでした。
何度、電話をしても「今やってます」の返答 ー。

ようやく書類の不備はないとの返答を得たのは、2ヶ月後でした。
しかし、その後、担当者が当社まで来て、廃棄物を確認をすると言いだし・・・更に時間を費やすことになりました。

その間、こちらの担当課からは、搬出を急かされ続けました。

結局、搬出の許可が下りたのは、書類を提出してから4ヵ月後 ー。
年度が変わろうとする3月下旬でした。

私は、すぐEN課長にその旨を報告し、Y県の許可証のコピーを提出しました。


そして、搬出の準備に入ったのでしたが ー。
FK社の従業員は、それぞれの職務があり、この搬出作業に携わる余裕はありませんでした
。勿論、私にも日常的な職務があり、搬出作業の指揮をとる者も必要でした。

FK社は作業員を臨時に雇用しなければなりませんでした。
しかし、雇用期間は2ヶ月間と短く ー 職安に募集を依頼しても、応募はほとんどありませんでした
。やむなく私は、夫の助力を得ることにしました。

夫は、HYに話を持ちかけました。
HYは、定職はないのですが、機械修理や溶接などが得意で、それまでも、会社の焼却炉の補修などをしてもらっていたのです。地元に様々な人脈があり、こんな場合には頼りになるはずでした。

「大丈夫。俺に任せてくれれば期間内に搬出する。」
彼は快諾してくれました。そして言葉通りに、ほどなく運転手と作業員を集めて来ました。

準備が整いました。
私は、県の担当課に「搬出を開始する」と連絡をしました。
HYの指揮のもと、廃棄物の搬出作業が始まったのです。

私はHYに対し、容器が傷んでいる場合は、全て、新しい容器に収納するよう指示をしていました。
運搬に際し、万全の措置を取ったのです。容器ごと別の容器に収納するという作業で、数が多く大変でしたが、彼らは忠実にその指示に従ってくれました。廃棄物の量は膨らむ結果となりましたが・・・。

搬出期間は、5月から6月の2ヶ月間 ー。
私が時折、作業の様子を見に行くと、彼らは懸命に作業をしていました。

さて、D様 ー。
廃棄物の処分は、排出から処分完了までの流れを明確にするために「マニフェスト」という、7枚綴りの伝票を用います。排出事業者に対し、収集運搬・中間処分・最終処分の完了を、その都度報告する義務があるのです。

当然、この搬出に際しても、FK社を排出者としたマニフェストを発行しました。
会社のゴム印と印鑑を押した伝票をHYに持たせておいたのです。彼が、Y県の業者に廃棄物を運搬するたびに、業者から、処分した旨の印鑑を貰い、私のところに持ってくるという訳です。

さて、D様 ー。
通常の取引であれば、月ごとの集計で代金を支払いますが、臨時の取引ですので、その都度の支払うことになりました。私は、HYに小切手を持たせてやってたのですが ー。


ある日、HYが事務所に来て ー。
「作業の状態で、急に運搬しなければならない時もあるし・・、作業員たちも金がない奴が多くて、賃金を日払いする時もある。賃金も含めた金を預けておいてくれないか ー。」と言うのでした。
とりあえず500万でいいからと ー。

私は、四六時中会社にいる訳ではなく、様々な用事で出かけることも多かったのです。作業はHYに任せっきりの状態でした。HYや作業員が働き易い方法取り、作業能率を上げなければ ー と思いました。

私は、夫に相談しました。
すると、夫も「作業を期間内に終了させるためには、その方がいいかも知れない」と言うのでした。
そして、FK社の台所事情を考慮し、自分が金を用意すると言い・・・結局、夫はHYに約400万円を預けました。

その後、作業は順調に進み、倉庫内の廃棄物はすべて搬出されました。
私は、空になった倉庫をみて、心底ホッとしたものです。


私はすぐ、Y県の業者からのマニフェストをコピーし、県の担当課に提出しました。
マニフェストに記載された廃棄物の量は、実際よりも大分少ない量でした。Y県の受け入れ量は限られていた為、過少申告せざるを得なかったのです。それも県との暗黙の了解事項でした。
担当課は在庫量を鑑み、明らかに少ない記載量を指摘することはありませんでした。


2ヵ月後 ー。
FK社が申請していた焼却炉設置の書類に、県の受理印が押されました。
その後は、環境アセスメントなどの追加書類を提出し、設置許可が下りることになります。

計画は、一挙に進むはずでした・・・。


そんな11月のある日 ー。
FK社に、50代半ばと思われる男性が訪ねて来ました。
「倉庫を使うことになったので、荷物を運び出して貰いたい。」
と言うのです。

荷物・・?

私は、何のことか分かりませんでした。
「荷物と言いますと・・・?」

「HYが運んで来たお宅の荷物ですよ。HYに連絡がつかないのでこちらに来たんです。
箱にお宅の会社名が書いてあったんでね。」

私は、全身から血の気が引きました・・・。
顔色は、蒼白だったと思います。


D様 ー。
HYは、廃棄物を運んだふりをして、この人の倉庫に保管して置いたのでした。
Y県の業者にも運んだことは確かですが、それはほんの一部で、ほとんどが倉庫に残されていたのです。

私は動転し、夫に連絡をしました。
やがて会社に飛んで来た夫の顔も蒼ざめていました。
夫は、電話を掛けまくり、HYを捕まえました。

そして、
「その倉庫を見てくる。」
と、事務所を飛び出て行ったのでした・・・。


その後、HYが話した内容は ー。
「借金があって、返さなければならなかった。悪いと思ったが、とりあえず荷物は倉庫を借りて保管した。もう少ししたら、金が入る予定があったんで、運び出そうと思っていた。」・・・でした。

HYは、FK社が命運をかけた搬出作業を、かくも軽く考えていたのでした。
夫は激怒し、HYに解決を迫りました。

こんなことが担当課の耳に入ったら、
申請書類の却下どころか、会社の業務許可は取り消され・・・倒産です。

夫は、FK社を守るためには、代表者である私は、この件に関わらない方がいいと考えたようでした。
すべて自分が対処するから、通常の業務だけをしていろと言うのでした。

とにかく、HYが借りていた倉庫の持ち主は、すぐ荷物を運び出すことを要求していました。
夫は早急な処分を考え、Y県の業者に掛け合いました。
しかし、焼却能力に限度があり、急に受け入れられる量はわずかでした。

HYが、また別な倉庫を見つけて来ましたので、廃棄物はとりあえずそこに保管しました。
そこから、夫は何度かY県まで運搬させましたが、全てを運び出すことは出来ませんでした。
大部分の廃棄物は、倉庫に保管された状態となったのです。

平成16年が終わろうとしていました・・・。



D様 ー。
きょうは、もう少し書く予定でしたが、前半部分が思いがけず長くなってしまいました。
続きは次回に書かせて頂くことをお許し下さい。

何かとせわしい季節です。
体調に御留意下さいますよう ー。



2010.12.2  
万 留 子
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(73) 逮捕の日 続き

D様




もう11月も終わろうとしています。
前回の手紙から1ヶ月以上が経ちました。

季節は歩みを止めず、焦燥の私を置き去りにしました。
私は、遠ざかる「時」の後姿を、必死に追いかけていたのです。

そして今、私は「時」と並走している自分に気付いています。
もうすぐ元のペースに戻れそうです。

霜の月から、喧騒の月へと変わりつつある季節に、
私は一人、貴方への手紙を書いています。
ひと時の幸せの中にいるのです。




D様 ー。
前回は、私が逮捕された日の経緯を、途中まで書かせて頂きました。
早速、その続きに入ろうと思います。


IW市内で逮捕された当日 ー 。
私は、事件を担当したNM署に護送されました。
NM署はIW市から70キロほど離れた町にある警察署です。
私たちがそこに着いたのは、午後8時を回った頃でした。

私は、逮捕の可能性を弁護士から聞いていたせいか、自分でも意外なほど冷静でした。
動揺よりも、これから始まる未知の体験に興味津々という、もう一人の自分がいたのです。

NM署内の小部屋に通された私は、係官から簡単な身元確認を受けました。
そして、逮捕容疑を告げられ、住所・氏名・生年月日・職業などを聞かれました。
報道機関には、この時に聴取した内容を発表するのだと思います。

よく「自称・会社役員」などと報道されるのは、本人がそう言うので、仕方なくそのまま発表する ー と言ったところでしょうか。

本人確認は逮捕時に行っていますから、実質的に聞かれるのは、生年月日と職業くらいなものです。
ものの20分ほどの「儀式」でした。

「さて、終わったけど・・・この署には女の人が泊まるところがないのね。だから解散という訳にもいかないし ー。今夜はお泊り頂きますので・・・これから、IW市に戻ってもらいます。」と係官が言いました。

IW市に戻る・・・?
これだけのことで、わざわざNM署に?

往復するための時間、燃費、人件費・・・・「税金の無駄使いをするな!」と説教のひとつもしたいところでしたが、逮捕時のセレモニーとして欠かせないことなのでしょう。それに、どう考えても説教する立場ではありませんでした。

私たちは(来た時と同じメンバー)、また護送車に乗り、IW市に引き返しました。

IW市中央署に着いたのは10時半を回っていました。
「遅かったなぁ。来るっていうから、弁当を用意して待ってたのに ー。」

W刑事から、私の身柄の引渡しを受けた留置課の係官は、遅い客を迎えた「民宿の主」のようなことを言うのでした。「腹減ったろ? 今、持ち物検査をするから、そのあと弁当を出すから。」ともー。

この言葉に象徴されるように、留置課の係官たちは、留置者の世話を「甲斐甲斐しく」と表現してもいいくらい誠実に行なっているのでした。

D様 ー。
この留置場にいた間、私は係官たちの言動や態度に、嫌な思いをしたことはありません。
むしろ彼らは、日常的に気遣いの言葉をかけてくれたのでした。
留置場は、私がイメージしていたところとは大分違っていました

「男の人には、厳しいことも言うみたいよ。」
のちに言葉を交わすようになった同房のNMちゃんは、笑いながら言うのでしたが ー。

こうして、私の留置場生活は始まろうとしていました・・・。



さてD様、私が逮捕されるに至った経緯ですが ー。
前回の続きを書きたいと思います。

前回は、FK社が医療廃棄物の営業許可を取るまでのことを書きました。
その許可を取り、FK社は平成8年に事業を開始したのです。

会社の焼却炉が稼動を始めました。
紆余曲折はありましたが、ようやくその日を迎え、私は安堵すると共に、感無量でした。

事業は順調にスタートしたかに思えました。
しかし、間もなく、FK社は思いがけない問題を抱えることになったのです。


D様 ー 。
私は、今までの手紙の中で、この組織犯罪のターゲットになった理由を幾つか推測してきました。
その中にこれから書く出来事も加えなければなりません。
私が今、最もその疑いを強くしているのがこのトラブルなのです。


まず、FK社が立地する近隣の環境ですが、家が建て込んでいる地域ではありませんでした。
すぐ隣でも数十メートル離れています。

会社が操業を始める前、私はこの近隣の家々を回り、開業の挨拶をしました。
その中に、KN家がありました。会社のすぐ隣の家です。
二世代が同居するKN家は、全員がS会の信者でした・・・。

初めて、この家を訪問した時 ー。
応対したのは、40代と思われる若奥さんでした。
その時の応対に、私は、特に悪い印象は持ちませんでした。近隣から挨拶に来た者への態度として、
常識的なものだっと思います。

近隣住民とトラブルを起こさないようにと、県の担当課から言われていましたので、
私は、近隣の家々によく顔を出していました。

しかし、操業を始めてまもなくのある日 ー。
会社の敷地内に、すごい勢いで軽自動車が入って来ました。
事務所にいた私が、何事かと、あっ気にとられて見ていると・・・KN家の奥さんが下りて来ました。

彼女は、事務所のドアを開けるなり、大声で言いました。
「ちょっと! 煙がうちの方に流れて来るのよ。煙を出さないで下さい!」

焼却炉の煙突は、規定の高さに建造しましたが、風向きにより近隣に煙が流れることがあるようなのでした。

「そうですか。すぐ、工場の方に注意しておきます。すみませんでした。」
私は、彼女に謝りました。しかし、彼女は憤然とした表情を崩さず、
まあ、お茶でも・・・という私の誘いに無言のまま行ってしまいました。

FK社の焼却炉は、業界では小型の部類でした。規定に適っているとは言え、煙突の高さは不十分だったと思います。ですから、時に煙が流れることは事実でした。それを耐え難いレベルと感じるのは、個人差があると思いま すが ー。

翌日ー。
私は、菓子折を持ってKN家に謝罪に行きました。
奥さんは、素っ気なくそれを受け取るのでした。

それまでも私は、KN家に対し、盆暮れの届け物は欠かさなかったし、何かにつけ様々な品物を届けていました。
しかし、このKN家の奥さんの態度は変わりませんでした。
彼女は、同様の「用件」で、頻繁に会社にやって来るのでした。

実は、D様 ー。
彼女がそんな行動をとるようになった理由に、私は思い当たることがありました・・。

上記したように、私は会社が操業を開始する前がら、KN家に何度も足を運んでいたのですが、
ある日、この奥さんが・・・、、
「今度、会の集まりの時にお茶飲みにでも来ませんか? 皆いい人だし、楽しいですよ、
 話だけでも聞いて下さい。」 と、笑顔で言ったのです。S会への誘いでした。

私は、一瞬戸惑いましたが、
「いえ、・・・申し訳ありませんが、私はS会に入ることはないと思いますので ー。」

私としては、やんわりと断ったつもりでした。

当時の私は、S会に対して特に反感は持っていませんでした。・・・と言うより、無関心だったと言う方が正確かも知れません。ただ私の父がS会嫌いで、その影響か、漠然とした胡散臭さは感じていました。
ですから、私がS会に関わることは有り得ませんでした。

私から、S会への誘いを断られたこのお嫁さんは、「ああ、そうですかぁ」と、笑顔を崩さなかったのですが・・・。

しかし、それ以後、盆暮れに贈答品をもって挨拶に行っても、彼女の態度は素っ気なく、私を見る目は、どこか反感の色を含むようになりました。

噂に寄れば、彼女の実家の父親は、S会のNR町の幹部で、彼女自身も会の中で幅をきかせているということなのです。また、NR町にはS会信者が多く、私の会社の近隣にも、かなりの人数が居住していたのです。
私が、その事実を知ったのは、会社が操業して間もなくのある晩のことでした。

まず ー。
上記したように、私の会社は、KN家の奥さんからの苦情に悩まされていました。
私は、それを解決するには、焼却炉の入れ替えしかないと考えました。会社の焼却炉は小型でしたので、煙突の高さが足りず、時に上がる煙を上空で拡散することが出来ないのです。

私は、夫に相談をし、焼却炉の入れ替え計画を立てました。炉を大型で最新のものにするのです。
どうやら、銀行融資も受けられるようでした。

しかし、焼却炉の入れ替えは、やはり県の許可が必要となり、最初の時と同じ手順を踏む必要がありました。
膨大な数の申請書類を作成しなければならないのです。

私は、県の担当課に赴き、入れ替えについて相談をしました。近隣から煙の苦情が出ているし、早急に入れ替える必要があると課長に訴えたのです。

IZ課長は、私が持参した焼却炉のパンフレットを気のない素振りで眺め、近隣住民への説明会をしろと言うのでした。話はそれからだと ー。

私は、焼却炉メーカーの所長を呼び、その段取りをして貰いました。
彼らは、説明会を何度も経験していますので、近隣を回り、難なく準備を整えました。住宅が密集している地域ではなく、対象となる家が10軒ほどだったのも幸いしました。

そして、説明会の当日 ー 。
私は、会社の事務所内にテーブルと椅子をセッティングしました。
テーブルの上には、参加者用に作成した説明書を置き、お茶菓子や飲み物も用意しました。

「行けないという家もあったから、来るのはせいぜい7,8人でしょう。こじんまりと出来るから、むしろ幸いですよ。」

所長の話を聞き、私は10人ほどの規模で準備をしました。

説明会は午後6時から開始の予定でした。
「そろそろ来る頃ですね。」
所長が、時計を見ながら言いました。

その言葉が合図になったかのように・・・駐車場に車が入って来ました。
「あっ、来ましたね。」
所長が脱いでいた上着を着ました。

続いて、もう1台の車が入って来ました。
そして、その後に2台・・・、また2台・・・3台・・。
車は続々と敷地内に入って来るのでした。

駐車場は一杯になり、敷地外の路上にも車が停められました。
「おかしいな・・・人数が多すぎる。」
所長が呟きました。

「これじゃ、席が足りないですよね。」
私は、社員に、会社内の椅子を掻き集めるように指示をしました。
しかし、狭い事務所内に置ける椅子の数は限られています。

あたふたしているうちに、事務所内に人が入って来ました。
次から次に入ってくるのです。
所長は動揺し、なすすべもなくそれを見ているのでした。

事務所内は人で埋まりました。40人ほどはいたと思います。
勿論、椅子は足りませんから、ほとんどの人が立っていました。
その中心に、KN家のあの奥さんがいました。

彼女は、
「皆さん、この近隣の人たちだから、聞いた方がいいと思ってお誘いしました。」
と言うのでした。

どう見ても、近隣の人だけとは思えなかったのですが・・・その言葉は呑み込みました。
私は、気を取り直し、予定通りの説明会をこなすことにしたのです。

まず、私が型通りの挨拶を始めました。
「今日はお忙しい中、当社の焼却炉設置についての説明会にお集まりいただきまして有難うございます。私は、FK社の代表取締役を務めている○○と申します。当社の業務は ー」

「あのね、そんなこと聞きに来たんじゃないの。」

私の話は、途中で遮られました。

「却炉をまた作るなんて、俺は反対だよ。」
「煙出して、迷惑かけられたんじゃかなわないよ。」
「大体、医療廃棄物だなんてとんでものを、何でこの町に持ち込むんだよ。」

彼らは、口々に野次るのでした。

「煙に関してご迷惑があるとすれば、心からお詫び致します。今回の焼却炉入替えは、その解決を図るために計画したものです。炉についての説明は、のちほどメーカーの所長から詳しくさせて頂きます。」

「ハンターイ。」
「焼却炉どころか、会社そのものが町から出て行って貰いたいよ。」
「変な病気に感染したらどうしてくれるんだよ。」

彼らは、焼却炉の説明などは、はなから聞くつもりがないようでした。
私の言葉はことごとく遮られました。

「医療廃棄物に関して、誤解があるようですので・・・では、その説明を先にさせて頂きます。
申し訳ありませんが、まず、静粛に聞いて下さい。質問はその後にお願いします。」

説明会は、焼却炉を入替えるための第一関門です。中断するわけには行きませんでした。
私は、何とか焼却炉の説明までもって行こうと必死でした。

しかし・・。
「だから、絶対反対だって言ってるだろ!」
「社長さん、あんた、何で素直になれないの?」

素直になれない・・・?
何を言ってるのだろう、この人は・・・。

私は、所長と顔を見合わせました。
所長の表情には、狼狽の色がありました。

それでも彼は、
「えー、私は焼却炉メーカーTG社の○○と申します。早速ですが、今回、FK社が入替えを予定している焼却炉について説明をさせて頂きます。」と話を切り替えてくれました。

そして、ホワイトボードに貼り付けておいた炉の設計図を、見えやすいように少し上に直そうとした時・・・。

「そんなもの見たって分からないよ。」
「理屈を言って、ごまかそうたって駄目だよ。」
「反対だって言ってるのに、分からないのかねぇ。」

話にも何もなりませんでした・・・。

D様 ー。
彼らの付和雷同ぶりは、徹底していました。
マスゲームでもさせれば、一糸乱れぬ演技をすることでしょう。

「ふざけるなぁー! もういいから、とっとと帰れぇーー!!」 と、一喝出来たら、どんなにすっきりしたことでしょう。
無論、言えるはずもなく・・・。

彼らは言うだけ言うと、やがて、一斉に事務所を出て行きました。
事務所には、呆然とする私と所長、そして2名の社員が突っ立っていました。


第一関門が突破できないのですから、焼却炉の入替え計画は 遅々として進まない状態が続きました。

その後も私は、KN家に足を運び続けました。
読むこともないS教新聞もとるようにしました。

KNの奥さんは、私が持参する届け物は、何でも受け取るのでした。
しかし、何日かすると、また怒鳴り込んで来るのです。

「珍しいよな。普通、届け物を受け取れば、はこちらの意向に沿った対応をするものだけどな。
品物は何でも受け取って、態度は変えないって・・・そんな人いるのか?」と、夫は驚くのでした。


そんなある日のことです。
いつものように、KN家の奥さんの車が会社に入って来ました。
私は、その時、事務所の外に出ていたところでした。

私が、そこにいるのを見た奥さんは声を荒げました。
「ちょっと、煙が出ているんだけど! 何度言ったら分かるのよ。」

私は、内心うんざりでした。
いつもは、低姿勢に謝るのですが、

「燃やせば、煙が出るのは当然です。当社はこれが商売ですから、理解して頂きませんと・・。」
つい、言葉が出てしまいました。

瞬時に、奥さんの表情が変わりました。
「何だ、お前は ー!! 謝りもしないで!!」
彼女は、私を指で差して怒鳴るのでした。

驚きました・・・。
この奥さんは、私よりも幾つか年下でした。
年下の女性から、指差しでお前呼ばわりされたのは、もちろん初めてです。

「奥さんね、私は人を指で差して『お前』なんて言葉を放ったことはありませんよ。
いい加減にして下さい。」
「何が悪いのよ。相手のことを『お前』って言うじゃない!!」
「他人に対して、使う言葉じゃありません!」
「私は言います!! 何が悪いんだ!!」

私は、彼女の形相を見て、背筋に冷たいものが走りました。
そして、意図せぬ展開に後悔の念がよぎったのでした。

「・・・とにかく、煙が出ない焼却炉を設置させて頂ければ、こんな問題もなくなりますから、設置に同意して下さい。
お願いします。」

「同意なんかするか!!」
彼女は、その捨て台詞を残し、車で走り去って行きました。


思えば ー。
私の身辺に不可解なことが起きるようになったのは、この件の後でした。

まず、会社の電化製品が次々に故障するという現象が起きました。
掃除機、コピー機、FAX、ワープロ、ICレコーダー、電話の録音機能・・・

また、私の車の故障も頻繁に起きました。
エアコン、ラジエーター、タイヤのパンク・・・アパートの駐車場に停めておいた車が、大きく凹んでいたことも ー。

また、以前の手紙にも書きましたが、車を走行中に前輪の車軸が折れ、泡や大事故というのもこの頃です。
運転中の異様な睡魔も・・・十分に睡眠はとっているはずなのに、何故なのだろうと不可解でした。

更に、事務所の雨漏りも始まりました。
事務所の流し場に、蛇が横たわっていたこともありましたし、敷地内にマムシがいたことも・・・。
それまでにはなかったことでした・・。

私が住んでいたアパートにも、不法侵入の形跡が、頻繁にありました。
手紙が開封された形跡があったことも・・・。風呂場に蛙が出始めたのもこの時期です。

また、物の紛失・・・例えば、和英辞書ですが、使いやすくとても気に入っていたものです。不可解な紛失で、部屋の中、車の中、会社の中・・・ありとあらゆるところを探しましたがとうとう見つかりませんでした。

テレビのおかしな現象・・・観ている時に突然、スイッチが切れるということも頻発しました。リモコンで再度「ON」に入れると画面が出ますが、また切れて・・・切れては「ON」を、何十回も繰り返したことがありました。

しかし、当時私は、まだ、この組織犯罪の被害者であるという自覚はありませんでした。
侵入の形跡は、管理する不動産会社によるものだろうと憤っていたのです。 

私の抗議の電話にー
「いやぁ、うちでは社員に、法の遵守を厳重に指導してますからね。そんなことはないはずです。」
そんな返答を得ても「すっとぼけてる」と思ったものでした。


さて、D様。
このKN家ですが、この若奥さん以外は穏やかな人たちなのでした。
とくに義父はS教新聞の集金に来てたのですが、来れば事務所でお茶を飲みながら、穏やかに話していくのです。彼女の夫も大人しそうな人でした。

結果的にこの義父と夫が、焼却炉設置へ同意書を書いてくれたのです。
それは、炉へ変更を認めなければなければ、自分たちが煙の被害を受け続けなければならないーと、気付いたからに他ならないのですが、私は安堵したものでした。

そして、
些細なことを指摘され、訂正が繰り返された申請書類ですが、私は根気強く担当課に足を運び、書類を整え続けました。とうとう担当者は訂正を指摘する箇所がなくなり、書類を受理しなければならなくなりました。

しかし、県はFK社に対し、ある難題を吹っかけてきたのでした。
それが、私が逮捕される原因となったのです。

D様、それを次回に書きたいと思います。
また、留置所内での生活のことや、W刑事やST検事とのやり取りなども書く予定です。


寒さが増す季節、どうかご自愛くださいますようー。



2010.11.27 万 留 子

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(72) 逮捕の日

本文に入る前に ー。


本日、ようやく記事をアップすることが出来て、ホッとしています。
予告日より、随分と更新が遅れましたことをお詫び致します。

パソコンの不可解な故障により、更新したくても出来ないという状態にありました。
中国のネット検閲よろしく、突然、画面が真っ暗になるのです。
インプットしたものはすべて消えてしまいます。その繰り返し・・・。

更新できないことは、つらいことでした。
それでも、町の図書館のパソコンから、皆様の暖かいコメントを読ませて頂き、励まされていました。
感謝の気持ちでいっぱいです。本当に有難うございました。

この更新は、町のパソコンからです。
今日、8台あるうちの1台だけが管理画面に入れることに気付いたのです。
持ち歩いていた原稿をこれからインプットします。

記事は予定していた内容の半分以下になりそうですが、頑張ってみます。


また、このパソコンは設定が変えられてしまう可能性があります。
その時は、コメント欄からメッセージを書き込もうと思います。
もし、また、更新が滞りましたら、コメント欄に目を通していただければ幸いです。

今後とも、ご訪問くださいますよう ー。
皆様の御厚意に感謝いたします。


                  

                          2010.10.26
                                   万 留 子


*********************************************


(73)




D 様





十月とは思えない空の色です。

この季節の清涼さはなく、どんよりとした灰色・・・。
それは、過ぎた梅雨を思い起こさせます。
時折、自然が見せる悪戯は、楽しむべきなのでしょうか。

北の地では初冠雪 ー。
この地の山々も、赤や黄に染まっているのだろうかと、
私は、ひとり居間にいて、郊外の山々に思いを馳せています。





さて、D様 ー。
前回の続きを書かせて頂きます。


「逮捕・・・ですか?」

「○○さんですね。ちょっと中に入っていいですか?」
一番前にいた男 ー W刑事は、私の問いには答えずにいいました。
(Wという名前は、のちに聞いたものです。私はまだ、彼の名前を知りません。)

「家、逮捕であれば用意しますので、少し待っててください。」
私は、一旦、ドアを閉めました。

私は、この事態を何ヶ月も前から予測していました。
ですから、必要と思われるもの ー 衣類、洗面具、筆記用具、本などを、キャリーバッグに詰めて置いたのです。

「○○さーん、開けて下さい。○○さん、開けて!」


外から、婦警の声が聞こえてきました。それと共に、ドアを激しく叩く音 ー。
それは、狭い1DKの事務所内に響き渡りましたが、私構わずに、身支度を始めました。

そしてー。
私は再び、玄関のドアを開けました。ものの5分も経っていません。
しかし、開けたとたん、3人が勢いよく部屋に入り込んで来ました。

そして、部屋のあちこちを調べ始めるのでした。
事務所内をはじめ、バス、トイレ、キッチン・・・。

「待って下さい。逮捕だけでしょ? 家宅捜索の令状はとってあるんですか?」
どこを見られようが構わなかったのですが、私は一応、聞いてみました。

「いや、逮捕時に不審な行動をした場合は調べてもいいの。」
W刑事が言いました。

「不審・・って、身支度をしただけですよ。」
W刑事は、私の言葉に答えずクローゼットの中を見ています。
しかし、どこを調べても不審なものがあるわけでなく、「捜索」は数分で終わりました。

W刑事が私の方に向き直りー、
「隣近所の手前もあると思って、部屋の中で執行しようと思ったんじゃない。それをいきなり閉めるんだからー。」

「隣近所は知らない人ばかりだし、別に構いませんよ」。

w刑事は、その言葉には答えず・・・、
「○○さんだね? 逮捕状が出ています。」
令状を私に示しました。そして、それを読み上げた後、腕時計を見て ー。
「えーと、18時○○分」

こうして、私は逮捕されたのでした・・・。



D様ー。
この日に至るまでの経緯を説明するには、時間をかなり遡らなければなりません。
長くなり過ぎぬよう、出来る限り、簡略に書いていきたいと思います。

私が、逮捕された容疑は、「廃棄物処理及び清掃に関する法律」違反です。
警察ば、この法律の中の「再委託の禁止」に違反したというのでした。


逮捕後ー。
部屋を出て、私が乗せられたのは、7~8人乗りのワンボックスカーでした。
前の座席には運転手とW刑事、後ろの席は私を真ん中に、婦警と護送係の警官の3人です。
逮捕はもちろん初めての体験で、それは、私の日常的な空間ではありませんでしたが、
私の心は、不思議に落ち着いていました。

「これから、どこへ行くんですか?」
私は、隣にいる婦警に訊きました。

すると、前方から声が聞こえました。
「NM署ー。」
W刑事でした。

NM署は、事件を担当した警察署です。
I市から70キロほど北にあります。

1時間半ほどの・・・決して快適とはいえないドライブが始まりました。


「ところで、今回の逮捕を自分ではどう思っているの?」
助手席のW刑事が、体半分を後ろ向きにして、私に訊いてきました。

「納得できるはずないじゃないですか。不当逮捕ですよ。」
「不当? 逮捕は当然だよ。Hにも有罪の判決が出たしね。」


D様ー。
私は、以前、Hについて書いたことがあります。
後述しますが、事件の発端はこのHでした。


私はW刑事に言いました。
「Hの逮捕後、私には、一度の事情聴取もありませんでしたよね。そして、そのまま裁判が行われて有罪判決
・・・おかしいですよ。」
「裁判は適正に行われましたぁ。裁判長が判決をだしたんだから、イチャモンを付けちゃ駄目だよ。
 今、そんなこと言うんなら、自分から裁判所に行って、証言すれ良かったでしょ。」
「捜査の段階で、聴取づべきですよ。」
「聴取は、明日から行います。ご希望通りにー。」

確かにー、
W刑事は、私の取り調べを担当したのですが、どこか憎めない人なのでした。


さて、私がこんな羽目になった経緯ですがー。
まず、私の仕事から説明しなければなりません。

私は当時、医療廃棄物の中間処理をする会社を経営していました。
代表取締役社長という立場です。

医療廃棄物の中間処理とは、つまり焼却をすると言うことです。
医療機関から排出される廃棄物は、定められた密閉容器に収納してありますので、それをコンテナ車で収集し、
そのまま焼却炉に入れて焼却処分をするのです。


私がこの仕事に携わるようになったのは、以下のいきさつからでした。


平成3年ー。
夫は、I市に住む知人(MZ氏)から、ある事業への投資を依頼されました。
短期間の融資で良いし、担保も付けると言うのでした。

夫は、その話の詳細を聞くために、この地方のNR町を訪れました。私は運転手役での同行でした。

私たちは、MZ氏に会って、話を聞いたのですが・・・。
その話の内容は、電話での話しと大きく違っていました。
曖昧なところが多く、担保物件も、金額に見合うものではなかったのです。
結局、夫はその話を断りました。

MZ氏は、気を悪くすることもなく「食事に行きましょう」と、私たちを誘いました。
その時、一緒についてきたのがYM - 私が「廃棄物」に関わるきっかけとなった人物です。

食事しながらの話では・・・。
MYの家は、かつてNR町の大地主で、祖父は町長を長く務めていたということでした。

「今の役場も、私の祖父が寄付した土地に建っているんですよ。」
YMは、誇らしげに語るのでした。話の内容とは裏腹に、YMは50代前半の貧相な男でしたが・・・。

YMは、食品加工の会社を経営していましたが、数年前に廃業したというのでした。
「その工場で、今、別な事業を計画しているんですよ。」
MZ氏が口添えをしてきました。

訊けば、「医療廃棄物の中間処理の会社を立ち上げているところだ」と言うのです。
「YMさんは、今、その資金繰りが大変なんですよ。」
また、MZ氏が言いました。

医療廃棄物の処分業を始めるには、県の許可を受けなければならない、
許可のための申請書類を整えるには、まとまった資金が必要となる ー、と言うのでした。

「良かったら、これからその工場を見に行きませんか?」
もし、今回の融資用に準備していた資金があるなら、少しの間だけ融通してもらえないか・・・と、二人は頼んで来たのです。


さて、D様 ー。
結果的に、夫はその資金を出すことになりました。
その後、何度か話し合った結果、共同で仕事をしていくことが合意されたのです。


そして、平成4年6月ー。
私とYMが代表者となり、FK株式会社が設立されました。
共同代表という形です。夫は別の仕事がありましたので、私を代表者としたのです。

私は心ならずも、廃棄物処理業という、未知の分野に足を踏み入れることになりました。

しかし・・・。
会社設立後、YMの話に嘘が多いことが分かってきました。
YMは、会社設立前は、「県の許可は1~2ヶ月で下りる」と言っていたのですが、許可を得るためには、
まだまだ多くの書類の提出が必要だったのです。

また、全部自分の土地だと言っていた会社の敷地は、一部が借地で、地主へ借地料が、何年にも亘り滞納されていました。水道代も滞納 ー 「以前のものを支払わなければ、水を出すわけには行かない」と役場では言うのでした。食品加工会社時代のものですから多額でした。電気、電話も同様・・・。

更に、YM個人の懐事情も火の車で、生活費にも事欠いていました。
夫は、「おんぶに抱っこ」をされた状態で、必要な資金を出し続けました。

そして 、平成5年1月末ー 。
ようやく県からの許可が下りたのですが・・・それは「焼却設備を設置しても良い」というものでした。
つまり、焼却炉を建設するための許可です。業務を開始するためには、焼却炉を設置した後、「営業許可」というものを受けなければならないのです。

乗ってしまった舟 ー 川中で降りるわけにはいきませんでした。
夫は、焼却炉建設のための資金の工面を始めました。


しかし、D様ー。
YMは、この「焼却炉設置許可」が下りた後、態度を一変させたのでした。
自分の名前で許可が下りたのだから、好きにさせてもらうー 「金は返せばいいだろう」と言うのです。

許可の申請は、YMの個人名で出していました。
FK社を設立する時に、その個人名を会社名に変更することが合意されたのです。

しかし、会社設立後、YMは「申請の途中で変更すると、更に時間がかかってしまう」と言うのでした。
許可が下りてから、変更したほうが良い ー ということで、私はそれに従いました。

のちに知ることになったのですが、、許可が下りてからの変更は「不可」なのでした。
申請の段階での変更は可能で、許可までの時間に影響することも、ほとんどなかったのです。
YMは、私を欺いていたのでした。

さて、YMは ー 。
私に対し、会社の役員を辞任するとの内容証明書を送り付けて来ました。
廃棄物処理に関して何の権限もないFK社は、存在意義を失ってしまったのです。

夫は、YMの人間性に唖然とし、そして、憤りました。
これから一緒に、長く事業をしていくのだから、家族同然だよ・・・と、YMの生活費まで出していた夫の善意は、見事に裏切られたのです。


夫と私は、弁護士に相談しました。
弁護士は、それまでの書類を調べー、

「FK社は、YMと、土地建物の賃貸借契約を結んでいますね。賃料も支払っている。」
と言うのでした。

つまり、焼却炉を設置するための土地は、FK社の権利下にあったのです。
YMは、FK社に無断では焼却炉を設置できません。
YMに下りた許可は、FK社の不同意のもとでは紙切れ同然というわけです。

私は、YMに対し、土地建物から出て行くようにとの内容証明書を送付しました。
そして、その後、裁判所に提訴したのです。


公判が始まりました。
しかし、二回目の公判が終わってまもなく、思いがけないことが起きました。
当該の土地建物が、競売にかけられたのです。

YMの土地建物には、食品加工会社時代の担保がついていました。銀行は、貸金を少しでも回収すべく、競売の措置をとったのでした。FK社がYMと結んだ「賃貸借契約」は、この物件を落札した者には対抗できません。

裁判所は弁護士に電話をしてきて、このまま裁判を続けても無意味になる ー と言うのでした。


土地建物を手に入れるには、競売に参加して落札するしかありませんでした。
YMには、当時、有力なスポンサーが付いていました。当然、入札してくるはずです。
夫は、また5千万円近くの金策をしなければなりませんでした。

幸い、知人の紹介で、関東圏で飲食店チェーンを展開するE社が融資してくれることになりました。
条件は、競落した土地建物をE社名義にすること ー。そして、県からの業務許可が下りた時点で、FK社が買い戻すということが合意されました。


さて、競売が行われ ー 。
無事、FK社が落札することが出来ました。
YM側も入札したのですが、こちら側の金額が上回ったのです。
(YMは意気消沈し、スポンサーは怒り狂ったとの噂が聞こえてきました。)


さて、D様 ー 。
土地建物は手に入れました。
しかし、それはようやくスタートラインに立ったと言うことです。
私たちは、県への許可申請を、一から始めなければなりませんでした。

FK社の名前で、すべての申請書類を揃えることになりました。
幸い、YMが申請した時のコピーがありました。私は、それらの書類の「申請人」の欄をFK社に書き換え、短期間でそれを作り上げました。

私は、その書類を持って県の担当課行きました。
「一応、預かって内容を精査します。」
「よろしくお願いします。」

しかし、「精査」は、遅々として進みませんでした。
些細なミスを指摘され、書類を入れ替えるということが繰り返されました。
私は、根気強くそれに従いましたが、内心は「もう、うんざり」でした。

ミスがあるなら、まとめて指摘してくれれば、効率的に訂正できるし、時間も短縮できるはずでした。
しかし、担当者は、それを一枚ごとに指摘してくるのです。

やむなく、夫の知人の県会議員に相談してみました。
議員の自宅を訪ね、事情を話すと ー 。

「ああ、あそこの部長は同級生なんですよ。ちょっと待って下さい。」
議員は私たちの目の前で、その部長に電話をかけてくれました。
知り合いなのでよろしく ー そんな簡単な電話でした・・・。

翌日、私が県の担当課に行くとー。
担当者の態度はガラッと変わっていました。
「書類は通りました。受理します。」
書類には、あっ気なく受理印が押されたのでした。


その後 ー。
県への許可申請は順調に進み、FK社は「医療廃棄物処理」の業務許可を得ることが出来ました。
そして、様々な準備期間を経て、開業したのは平成8年のことでした。



「あっ、その前にツタヤに行かなきゃな。」
FM署に向かっていた車中 ー W刑事が言いました。


私が借りていたレンタルDVDを返却するために、ツタヤに寄ることになっていたのです。
W刑事は、私の申し出を以外にも、
「延滞金がかかるもんな。いいよ。」と、受け入れてくれたのでした

ツタヤの駐車場に車が停められました。

「私、こういうの借りたことないから・・どうすればいいの?」
カウンターにいけばいいんです ー との私の言葉を受けて、婦警がDVDを入れた袋を持って、車から下りて行きました。

ツタヤの店内は明るく、いつもと変わらぬ人の出入りがありました。
それを護送車から眺める私・・・。

日常と非日常が交差する不思議な感覚の中で、私は、明日からのことをぼんやり考えていました。



D様、この続きを次回に書かせていただきます。


日ごと深まる秋の中で、私はひとり、過ぎた日の断片を繋ぎ合わせています。
D様もどうか御自愛下さいますようー。



                             2010.10.14
                                     万 留 子

















(71)  「FD改竄事件」から見えること

D様




静かに・・・、
無彩色の空が広がっています。

木々たちは息を潜め、ひんやりした空気は微動だにしません。
耳を澄ませば、町の喧騒は確かに聞こえるのだけれど・・・

時間が止まってしまったかのような錯覚に戸惑いつつ、
私は一人、パソコンのキーボードを叩いています・・。






さて、D様 ー。

この地の原子力発電所で、今月からプルサーマル計画が始まりました。
これは、使用済みウランを再処理して作る「MOX燃料]による発電で、事故の危険性が高いと言われています。
また、今回稼動された原子炉は、34年も前に作られたもので、危険性は更に増しています。

この計画に慎重で、頑として稼動を認めなかった前知事が失脚し、その後、就任した知事の下で、計画は一挙に進められたのです。まさに、あれよあれよと言う間の稼動開始です。

この計画に反対の声を上げたのは、この地方の人口の少なさを鑑みても、ごく僅かでした。
稼動開始日に、10人ほどが発電所の門前に集まった程度です。それも、近隣のI市に所在する市民団体で、
原発が立地する市町村での反対運動は、私が知る限りではありません。

県は、安全性に関しては、様々な条件を課してあり、問題はないと言いますが、文言どおりに信じていいものなのか ー 疑問を持たざるを得ません。


10年ほど前 ー。
当時、私が経営をしていた会社で、運転手を募集したことがありました。
何人かが履歴書を持って面接に来ました。

その中の一人に、20代前半の男性がいました。

私は、履歴書を見て ー 、
「前はT電力にいたのね。原発だったら給料は良かったでしょう?
どうして辞めたの?」と、訊きました。

すると、どこかヤンキー風の面影がある彼は・・、
「ヤバイすよ、あそこは ー 。髪の毛が抜けちゃってる人とかいるんですよ。若いのにペロンですからね。
 病院に行っても、別な病名が付けられるらしいすよ。俺、長くいる所じゃないなって思いましたよ。」

彼は、あっけらかんと話すのでした。
私は、唖然と、彼の顔を見ていただけでした・・・。


その後、まもなくT電力の長期に亘る「トラブルを隠し」が判明しました。
あまりにも杜撰だった原発の管理・・・前知事は憤り、プルサーマル計画を凍結させました。
計画は、頓挫する事態となったのです。

その後、プルサーマル計画は、遅々として進まない状態が続きました。
そんな中での知事の逮捕・・・「福島県知事汚職事件」と言われています。

この事件は ー。
知事の弟が、自社の土地を、建設会社に不当な高値で売却した ー とされた収賄事件です。
この会社が県の工事を受注していることから、土地の「時価」と「売却額の差額」が収賄とされました。
検察は、工事入札の際に、知事の「天の一声」があったとしたのでした。

東京地方検察庁特別捜査部が担当し、前知事や県庁の幹部らが逮捕されました。


1審は有罪判決 ー 前知事は控訴しました。
そして、控訴審が行なわれ・・・。

高裁判決を簡略に言えば ー、
「特定建設会社に受注させる行為は、県の職務に対する社会の信頼を失墜させた。しかし、知事の弟の土地売買に おける利益(時価との差額)は認められない。」というものです。

つまり土地売買の違法性は認定されなかったものの、建設会社が県の工事を受注するにあたり、
いわゆる「天の一声」は、あったとされたのでした。知事は、自分に何らの利益もないままに、特定企業に受注させたというのですから、不可解な判決です。

この事件で、東京地検から事情聴取された福島県庁幹部は、
「自分は談合などに関して供述しなかったのに、担当検事は言っていないことまで記して供述調書を作成した」と、述べています。

この県庁幹部の事情聴取を担当したのが、前田恒彦検事 ー 今、「証拠改竄事件」で逮捕されている前田容疑者でした。



さて、D様 ー。

不正郵便事件は、検察のでっち上げであったことが判明しました。

この事件は、自称障害者団体「凛の会」の会長・倉沢邦夫被告が、厚労省元係長に対し、郵便料割引きに必要な証明書の発行を依頼し、不正にその発行を受けたというものです。

「郵便料金割引制度」の偽証明書の発行は、厚労省元係長(上村勉被告)の単独犯行であったにも関わらず、   検察は、村木厚子氏を巻き込んだ虚構の事件を組み立てたのです。

ターゲットは、民主党の石井一氏だったと言われています。
現に、この事件は、総選挙が迫っていた昨年の春に表面化して来ました・・・。


まず、大阪地検特捜部は、昨年2月から4月のにかけて、
「凛の会」の倉沢被告を始め、ダイレクトメール発送に関与した広告主や、広告会社の関係者を逮捕しました。

「凛の会」は、不正に発行された証明書を使い、2006年~2008年の間に、ダイレクトメール約3180万通を発送したのでした。広告主は11社に及び、正規の支払いとの差額は37億5千万円に上りました。


そして、5月に ー。
偽証明書を発行した上村勉被告(厚労省係長)が逮捕されました。
検察はこの時点で、村木氏や石井氏を巻き込んだストーリーを作り上げていたと思われます。

上村被告は、公判において
「単独でやった。検察には何度もそう言ったが聞いて貰えなかった。」と証言をしています。

上村被告が言うように、検察が作成した彼の供述調書は、「村木氏の命令で作成した」との内容になっています。つまり検察は、上村被告の供述調書をストーリーにそって作文し、強引に認めさせたのです。

検察が、初公判で読み上げた「冒頭陳述書」には、まことしやかにその様子が書かれています。


(以下引用:()内は筆者記)
 
6月上旬、上村(厚労省元係長)は、被告(村木氏)に問題点を伝えた上で、それでも発行していいか指示を仰いだ。被告は、「先生からお願いされて部長からおりてきた話だから、決裁なんかいいんで、すぐに証明書を作ってください。上村さんは心配しなくていいから」などと告げた。

上村は6月上旬、深夜に書面を作り、翌早朝ごろ、企画課長の公印を押して5月28日付の虚偽の証明書を作成し、被告に手渡した。

被告は、部長に発行を伝え、部長は国会議員に電話で報告した。
被告は、証明書を受け取りにきた倉沢に「何とかご希望に沿う結果にしました」と言いながら証明書を交付した。                                                
上村は稟議書だけでも残した方が言い訳しやすいと考えたが、
被告は「もう気にしなくていいですよ。忘れてください」などと告げた。   (引用終了)



まことしやかであり、唖然とさせられます。
検察は、誰も言ってないことを言ったとして、上記書面を作り上げたのです。
特に下線部分の記述などは、小説家も顔負けの作文力です。

しかし、上村被告が証明書を作成した時のフロッピーディスクの内容は、このストーリーの時系列とは一致しませんでした。村木厚子氏も、上司の塩田元部長も、石井一氏も、上村勉被告も・・・全てがこの検察のストーリーを否認し、そして、フロッピーディスクが彼らの否認を裏付けていたのです。

中学生にでも、この事件の真相は見えるはずでした・・・。
検察にも見えないはずはないのです。

しかし、あろうことか前田容疑者はそのFDを改竄したのでした。
事実を曲げてまで、ストーリーに沿って有罪にしようとする強い意志が見えています。

それまで真摯に生きてきた女性に無実の罪を着せ、積み上げてきたキャリアを踏みにじり、人生を台無しにしてまで・・・ストーリーにこだわったのです。


D様 ー。
検察のこのような手法は、この事件だけなのでしょうか?
今に始まったことではない ー と思っている国民は多いはずです。

この国に張り巡らされている統治システムは、現体制の足元を少しでも揺らす動きがあれば、敏感に反応します。警護の歯車が動き始めるのです。

この事件が表面化してきた昨年春は、まさに総選挙前夜 ー。
従順にこの統治体制を守ってきた自公政権が、覆されようとしていました。

そんな時期に、小沢一郎氏、石井一氏の周辺者が逮捕されていきました。

「凛の会」会の倉沢被告は、かつて石井氏の秘書をしていました。
石井氏は村木氏の裁判において、下記の証言をしています。


(以下引用:表現は一部変更)

「本事件に関わった倉沢を知ってますか?」と、弘中弁護士の質問が核心に触れ始めた。
「勿論!」と、石井氏が答える。
「どんな人でしたか?」
「1982年に秘書公募で採用した。礼儀正しい人だったが、1年後の選挙で私が落選した時に事務所を離れ、その後、職を転々とした後、弟(石井一二氏)の秘書になったので、私にとっては、弟の秘書という印象が強い。」

更に ー 、
「1年で辞めたので、重要な仕事は担当していない。」とも石井氏は答えた。
そして、石井氏は、 倉沢被告が自分にとって重要人物ではないと ー。

「彼は、私のインナーサークルの人ではない。奥さんが働いて支えてるとも聞いたし、失礼な言い方になるが、
 職を転々としてるので、どこで何をしてるか知らない。いわば周辺の人だ。」と ー。  (引用終了)


その後、石井氏は、「倉沢氏とは、年平均で1~2回しか会っていない。それも事務所に顔を出す程度です。」とも証言しています。

更に、検察が描いたストーリーを崩す石井氏の証言が続きました。

「あなたは、厚労省社会援護局元部長の塩田幸雄氏との面識はありますか?」
との質問にはー、

「覚えがありません。長年議員をしていると、相手は僕を知っててもこちらは記憶がないということが、いくらで もあります。塩田さんというのは直接会ったこともないし、顔も思い浮かばない。」

「では ー。平成16年2月下旬頃、あなたが塩田氏に、障害者団体の件で相談が行くので、よく聞いてやって欲し いと、電話したことは?」
「全くありません。働きかけなど一切していません。」

しかし、「そのようなことが、あたかも有ったような報道が多々なされ・・・」石井氏は、週刊誌を名誉毀損で訴えたのでした。


(以下引用)

「訴訟など起こしたくなかったっんですが・・・」石井氏の声のボリュームが少し上がる。

「報道がなされた2009年春は総選挙前の大変な時期ですよ。まして党副代表でしたから。
 その時期に、新聞、TV、週刊誌などで毎日毎日、身に覚えのないことが報道され、カメラやマスコミがいつも ついてくる。そんな状況が続いて本当に困りました。
 
 そのうち「キャリアウーマンが私の依頼に抗しきれなかった!」などというタイトルが、地下鉄の中吊りにも載 る有様で・・・」石井氏は真剣に訴える。

しかし「ついには男女関係でもあるのかという電話までかかってくるようになり・・・」と話しはじめると、廷内のあちこちで笑いが起きる。
「まぁ、そのような訳で弁護士に相談して、身の潔白を証明するために週刊誌を訴えたのです。」  (引用終了)



石井氏の上記証言から、検察のリークによりマスメディアが動かされていることが分ります。

しかし、石井氏は、自分の日々の行動を、逐一、手帳に記録していました。
勿論、氏が厚労省の塩田元部長に働きかけたという平成16年2月25日の行動も記録されています。
この日、石井氏はゴルフをしていたのでした。

しかし、不可解なことに、
検察側が提出した倉沢被告の手帳の記述は、「13時 石井一、木村」となっているのです。

法廷内に掛けられた大きなディスプレイに、手帳のその部分が映し出されました。

弁護士が、この記述について石井氏に質問しました。
「これが本事件にあなたが関与している・・・口添えを依頼され、厚労省に働きかけた、という疑いに繋がってる のですが、あなたはこの日、倉沢と会われてますか?」

石井氏は ー、
「絶対ありえません。私は過去40年間、その日の出来事を手帳に記録してますから・・・200冊になるんですよ。
 それを確認してもらえれば分ります。」

この石井氏の証言を得た村木氏の弁護士は、この手帳を証拠として採用するよう裁判長に要請しました。
すると・・・。


(以下引用)

検事が「異議あり!」と大声で叫びながら立ち上がる。公判前整理手続で証拠採用していないものを、突然出すな、というのが検事の言い分だ。「採用できません!」検事の顔が真っ赤になる。「ダメです!」「認められません!」

「では、証拠採用が必要な理由を述べます。」と弘中弁護士が冷静に話し始める。
「まず何より、石井氏の関与を言ってるのは検察官です。これを争う場で、否定材料を提出するのは、当たり前で はないですか?」。

立ち上がった検事は、着席するのも忘れて、真っ赤な顔のままで弘中氏を見つめている。(引用終了)


この手帳の記述は、石井氏が事情聴取を受けた際に、担当した前田容疑者に見せています。
しかし、前田容疑者はろくに確認もしなかったといいます。


しかし、D様ー。
ここでひとつ疑問が生じます。
「凛の会」の倉沢被告の手帳に書かれていた2月25日の「13時 石井一」という記述は何なのでしょう・・・?
何故、そんな記述が残っているのでしょうか。

倉沢被告を「脅し、すかし」して、検察のストーリーに沿った記述を加えさせた・・・
FDの改竄などを鑑みれば「有り得ない」 ーとは言えないのです。


石井氏は、証言の最後に ー、
「私は、この裁判の結果は、検察庁の倫理・存在(意義)を問うていると思っている。検察が、公正無私で善であ ることを、私は希望している。」と、語ったのでした。


D様 ー。
検察による証拠改竄 ー 私は、これは前田容疑者の個人の犯罪ではなく、
検察という組織が長年培ってきた体質から吹き出た「膿」であると考えています。
そして、検察は、この「膿」をまだまだ内包しているはずだと ー。

それは ー、
権力を監視し、その暴走を食い止める責務がある、マスメディアの腐敗ともリンクしています。

検察は、三井環氏の「裏金問題の告発」をなりふりかまわず阻止し、あろうことか、三井氏をでっち上げの事件で逮捕したのでした。国民から与えられた「正義の剣」は、それを持つ者の汚れた手により、不正義のために使われたのです。

そして、臆面もなく、氏に有罪判決を出した裁判所 ー。
それを、ろくな批判もしなかったマスメディア・・・この国の法治システムは、悪を罰するよりも、現体制に不都合な者を排除する機能が優先しているのです。



さて、D様 ー。
今、この国の至るところから、組織犯罪を訴える被害者の声が上がっています。
公安Kには、それを捜査する役務があるはずー。
しかし、この組織はこれを捜査するどころか、封殺すべく躍起になっているのです。

何故・・・?

ここにも、「膿」を内包した組織の実体が垣間見えています・・・。





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さて、D様ー。

3年前の4月のことです。
私は、仮事務所として借りていたI市のマンションの一室にいました。

夕方6時頃 ー 玄関のチャイムが鳴りました。

防犯チェーンを掛けたまま、ドアを開けると ー 。
そこにいたのは、50代らしき男 ーそして、その後ろに、男女が二人・・・。

私は、彼らが来た用件を悟りました。
「逮捕・・・ですか?」

すると、一瞬の間を置き、一番前の男が口を開きました・・・。



D様、この続きを次回に書かせて頂きます。
ただ、次回の手紙は再来週に届くと思います。


日に日に秋が深まっています。
不順な天候にご自愛くださいますようー。




2010.9.30
万 留 子





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<追伸>


D様 ー。

ブログへの妨害がエスカレートしています。
パソコンのディバイスに放電が頻繁に行なわれるようになりました。
何の異常もないのに、突然、バッテリー切れの表示が出て、画面が真っ暗になります。

すぐ、スイッチを入れ直すと元の画面が現われます。
放電が行なわれているのです。
このような機器の存在はすでに、一般には知られていることで、
それが行なわれていることは確かだと思います。

近隣のアジト・・・。
この組織犯罪においては、近隣にアジトを設置することが知られていますが、
そこから様々な加害行為が行なわれているのです。

つまり、私の書くことがこの組織犯罪者たちにとり、不都合な内容なのでしょう。
この犯罪に実態の一端が、図らずも露呈しています。

この実態は今、社会に広まりつつあるのですが、この犯罪者たちは国民に注視されている自覚がありません。
相も変わらず卑劣な犯罪を続けているのです。





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(70) 「被害者の訪問」と「公安K」について

D様 ー。





「冷たい」と表現してもいいような雨が降っています。
空を見上げても、その粒を捉えらることは出来ないけれど、
地面には後から後から・・・。

太陽が、猛スピードで地球から遠ざかって行ったのです。
緩やかな陽射しを望む木々たちを無視して ー 。

待ち焦がれた秋が、こんな形で現われるなんて・・・。

「気まぐれな太陽はまた戻ってくるさ」と、灰色の雲は言うのだけれと ー。




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さてD様 ー。
9月18日のことです。
私は、事務所でパソコンに向かっていました。

すると、窓際のソファに座って雑誌を読んでいた夫が ー、
「誰かがいらしたぞ。」と、声を掛けてきました。
窓越しに、こちらに来る人が見えたようです。

私が、玄関に行くと、
そこにおられたのは、御夫婦らしき二人でした。
お歳は、私より少しご年配でしょうか・・・。


ご婦人の方が口を開きました。
「あの・・・こちらは、パルちゃんという犬を探していらっしゃる・・・」

私は、一瞬、頭が混乱しました。
必死に整合を図る脳細胞が、ご婦人の次の言葉を待ち ー 私を高揚感が襲いました。

パルの居場所を知ってる・・・。

「はい、そうです!」
私は、たたみ掛けるように言いました。

「まるこさん・・・?」
「はい。」

「ストーカー被害を受けていらっしゃる・・?」
「ええ・・。」
「実は、私も・・・。」


訪ねて来られた御夫婦は、この組織犯罪の被害者でした。
パルの名前を出したのは、私を確認するためで、行方を知っている訳ではなかったのです。

それでも、私は、お二人が訪ねて来て下さったことを嬉しく思いました。
この組織犯罪の被害者とお会いするのは、初めてだったのです。

「よろしかったら、どうぞ。お入り下さい。」

むさ苦しい家で恐縮でしたが、お二人は上がって下さいました。
部屋は、普段はほとんど使用しないところで、居心地も良いとは言えなかったと思います


お二人は、KTさんと名乗られ、関東のT県からいらっしゃったということでした。

「あの、現在、被害を受けておられるんですか? 」
と、奥さんが私に訊かれました。

「ええ。ひどいものですよ。」
「そんな風には見えないから・・。」

そんな風にはみえない・・・ということは喜んで良いものなのか・・・。

私たちは、しばし、自分の被害の状況を説明し合いました。
KTさんの被害は、まだ、私のレベルには来ていないようでした。

付きまとい、アンカリング、家宅侵入、衣服の穴あけ、物の紛失、移動・・・などのことをお話になられました。
このレベルでも、被害者が受ける苦痛は大きなものがあります。

話が、家宅侵入のことになった時 ー 、
「戸のガラスなんかは、2,3分で外してしまうと言いますよね。」
と、KTさんが話されました。

「ガラスを外す・・・?」
ゴムのパッキンを外して、簡単に取り外すというのです。
それは、私には新しい情報でした。

確かに、施錠してある戸でも、ガラスを外せば家宅侵入は簡単です。
どんなに厳重な施錠も、功を奏さないことになります。
元通りに嵌めておけば、痕跡も残りませんし・・。

貴重な情報でした。


その日の夕食時 ー。
私は、夫にそのことを話しました。
ガラスを外して侵入する手口があると ー。

すると夫は・・・、
「ガラスなんか外さなくても、施錠してある部分を、切り取っちゃうという方法があるんだよ。 音がしないようにガムテープなんか使って・・これをやられたら参るよな。」

私は、黙るしかありませんでした・・・。
夫はこの犯罪の基本的な実態すら、理解していないのです。

この組織犯罪は、痕跡を残さないことに細心の注意を払います。
ガラスを切って、家宅侵入を図るなどということはしないのです。

しかし、ある意味、私は夫の能天気さに救われることも多いのです。
暗くなりがちな家の雰囲気を、彼が通常に保っているのかも知れません。


さて ー、
KTさんと私が話をしたのは、30分間ほどだったでしょうか・・・。
第三者にこの組織犯罪を説明すれば、長い時間と豊富な語彙が必要となりますが、被害者同士であれば、
簡単な言葉ですぐ分かり合えます。

私は、もう少し、お話したかったのですが、お二人は短時間で腰を上げられました。
何か予定があったのかも知れません。

帰り際に、連絡先をお尋ねしたのですが、教えて頂けなかったことは残念でした。

「また、ぜひ寄ってみて下さい。」

お二人は、パソコンはやらないとのことでした。
同じ県内の被害者の方と交流があり、私のことは、その方よりお聞きになったのだと ー。

「その方からコメントなどを戴ければ嬉しく思いますので・・・。」
私は、せめてそうして戴ければと思ったのでした。


お互いに被害内容を話し、情報を交換し合あう・・・これは、言うまでもなく大切なことです。
しかし、そのレベルで終わらず、社会へのアピールという次の段階に進むべきだと思うのです。
それには、被害者同士の連帯は不可欠です。

ただ、私自身何をしているのか ー そう自問すれば、
インターネットという限定された分野でのアピールだけなのですが・・・。

そういう意味で、街宣活動などを積極的に行なっている方々には、頭が下がるばかりです。
今回、訪ねて来られたKTさんは、パソコンをやらない方ですが、この犯罪の情報はしっかりと得ておられました。ネット以外の積極的なアピール活動は、組織犯罪の実態をジワジワと社会に浸透させているのです。



「誰だったの? 玄関先でずいぶん長話だったな。」

夫は、私たちが玄関で話していたと思ったようでした。

「以前の知り合いの方が、こちらにいらしたので、寄って下さったの。」
私は、夫にそう言いました。

D様 ー。
夫は、私がブログを開設していることを知りません。
私が、パソコンに向かっていると、インターネットの記事でも読んでいるんだろう・・と思っているのです。
お二人が、ブログを読んで、訪ねて来てくれた・・・と言ったとしても、ポカンとすることでしょう。
そして、その先の説明が長くなるはずでした。私は咄嗟に、言わない ー という選択をしたのです。

それにしても、自分以外の被害者と、直接お話できたことは有意義なことでした。






さて、D様 ー。

ここ数回、公安Kについて書かせて戴きました。
この組織について書くべきことは、まだまだあります。

戦前の特高警察が蘇ったようなこの組織は、今まさに、やりたい放題の無法集団になっていると言われています。
それは、日本国憲法下の民主主義の国にはあるまじき態様であり、もはや狂気が支配しているとしか言えません。この組織の実態解明が急務であることは、言うまでもありません。

公安Kがそれに異を唱えるならば、この国の治安維持活動全般を掌握する組織としての、責務を果たすべきです。つまり、現在、この日本において、多数の告発がある組織犯罪をどう捉えているのか ー それを明確にするべきでしょう。

この犯罪を告発する者を、精神異常者として封殺していく段階は終わりました。
その手法はもはや通用しないのです。この組織犯罪を、未来永劫、隠しおおせるはすはありません。



すでに、インターネット上には、この組織に対する不審と不信が渦巻いています。
例えば、下記の記述 - 。


(以下引用)
デジタル大辞泉の解説

こうあん‐けいさつ 【公安警察】

警察組織のうち、公共の安全の維持を目的とする組織。
警視庁公安部や各道府県警察の警備部公安課・外事課など。日本共産党・その他の左翼団体・右翼団体・宗教団体・外国の情報機関などを捜査対象とする。

公安は、警察組織を隠れ蓑にした犯罪組織である。公安の活動の大半が犯罪である。
そして、犯罪組織公安を内包し、温存するのが日本警察機構である。

公安が、警察組織を隠れ蓑にする以上、その犯罪は完全に隠蔽し続けなければならず、
今や公安の持つ能力の大半は、「犯罪」と「行った犯罪の隠蔽」のために費やされている。

その隠蔽工作は心理学を応用し、多方面で巧妙かつ入念である。
その活動はインターネット上にも多数見られる。

その結果、本来の公安活動に費やされる能力は、微々たる物でしかない。
犯罪を取り締まるべき警察に犯罪組織が存在する。理由は、日本の警察が警察業務の執行にあたり、法に従わない、つまり犯罪行為によって執行することを今だ必要と考えているからである。
警察の犯罪行為の実行部隊が、公安なのである。

民主主義を憲法に掲げる法治国家である現在の日本で、法にそむいて公安警察と言う、犯罪を業務とする組織が存在しうるのは、犯罪を取り締まる側の警察機構に隠されているからであり、公安警察が日々繰り広げる犯罪は、警察組織によりことごとく闇に葬られる。

この環境の下で、今の公安警察は公安警察官が繰り広げる犯罪に対し、管理統制能力を喪失し、まさに無政府状態でありながら、この隠蔽機能だけが正常に機能し、凶党集団と化した公安警察官たちが、国民に日々重大な危害を加えているにもかかわらず、この脅威を国民はほとんど知る事が出来ない。(引用終了)          



ここに書かれていることは、まさに私たち組織犯罪の被害者が告発している加害組織の実態そのものです。


自分たちのしていることは、ばれる筈はない。ばれても白を切ればそれまでのことー。
被害者が警察に相談しても、相手にしないよう指導してある。
作り上げたシステムの中で、自分たちを罰せられるのは誰もいない。
最終的には、被害者を「精神異常者」に仕立て上げればいい・・。

そんな傲慢の極みの中で、犯罪は増長されて行きました。
インターネット上に渦巻く、被害者の声を整合すれば、上記の犯罪形態が明確に浮かび上がって来ます。

これは、被害者に限らず、国民全体がこの無法集団に蹂躙されているということです。
その卑劣さは、新興宗教の狂信者たちが加わることにより、現在、より増長されています。


この公安Kの最高責任者は、現在、西村泰彦警備局長とのこと ー。
私は、西村氏に訴えます。現在、この日本で繰り広げられている卑劣な組織犯罪の実態を国民に開示せよとー。

少なくとも、組織の任務として、この組織犯罪の捜査は急務であるはずです。
公安Kがこの犯罪と無関係だとするなら、実行しているのはどの組織なのかを明確にするのが責務のはずー。

洩れ出ている公安Kに対する疑念が嘘だと言うなら、この組織犯罪を即刻、解明するべきでしょう。
西村局長 ー あなたにはその権限があるのだから ー。


この組織犯罪の被害者の苦しみを思えば、一刻の猶予もないのです。



D様 ー。
私への身体攻撃は、エスカレートしています。
膝に捻ったような痛みを感じるようになりました。
勿論、家宅侵入の形跡は、頻繁に見つかっています。

それでも、私は書くことを止めません。
書き続けます。



不順な天候の折、どうか御自愛下さいますよう ー。





2010.9.23
万 留 子




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